熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

宮崎駿映画「風立ちぬ」

2013年08月11日 | 映画
   ゼロ戦を開発した堀越二郎を主人公にした宮崎駿の映画で、イタリアのカプローニとの時空を超えた友愛と戦闘機の開発秘話、そして、堀辰雄の小説「風立ちぬ」「菜穂子」を下敷きにした結核に侵された薄幸の少女菜穂子との美しくも儚い愛を描いた、非常に爽やかな物語である。
   関東大震災で壊滅的な打撃を受け、不景気に喘ぐ暗い日本の世相を描きながら、少しずつ第二次世界大戦への足音が忍び寄る束の間の平安な日本の社会をバックにしながらも、軽井沢の高級ホテルやかなり恵まれた人々の生活や、飛行機に思い入れて限りなき夢を抱いた二人の航空機エンジニアの国境を越えた架空の楽しい夢への語らいなどが挿話として描かれているので、決して暗い映画ではない。

   飛行機については、イタリアの三翼機などユニークな航空機を開発したイタリアのジャンニ・カプローニ伯爵との飛行機への夢のある語らいと、二郎が技術研修に出かけたドイツの戦闘機製造会社のユンカース航空機製作との大きな技術の開き等興味深い話なども含めて、当時の三菱重工の戦闘機開発の内情などが語られていて、非常に興味深かった。

   飛んでいる飛行機が殆ど爆撃機のシーンをバックに、戦争のため敵の町を爆撃に行くが半分も戻ってこないそうだと言いながら、カプローニは、「私は飛行機を造る人間・設計家だ!いいかね日本の少年よ。飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもなく、それ自体が美しい夢なのだ。設計家は夢にカタチを与えるのだ!」と語るシーンがあり、この夢を見て二郎は設計家になる決心をする。
   心ならずも、会心の作ゼロ戦が若き有為の多くの日本の宝を特攻の道具と化してしまった堀越二郎の苦痛と慙愧、無類の兵器マニアでありながら強烈な反戦思想の宮崎駿の矛盾した心の錯綜が、ダブル・イメージで滲み出たシーンである。

   ドイツからも航空機製造技術が20年も遅れていた日本だったが、堀越二郎が設計したゼロ戦は、第二次世界大戦当初は、世界屈指の最高峰の戦闘機であった。
   Wikipediaでは、「Mitsubishi A6M Zero」は、When it was introduced early in World War II, the Zero was considered the most capable carrier-based fighter in the world, combining excellent maneuverability and very long range.In early combat operations, the Zero gained a legendary reputation as a dogfighter, achieving the outstanding kill ratio of 12 to 1,・・・と記されている。
   大戦後半には、交戦国の戦闘機も向上しており、日本の敗色濃厚になってからは、神風特攻隊用の戦闘機として1800機以上が敵船をめがけて突撃して、一機として帰って来なかった。

   この映画のラストシーンで、カプローニとの夢の対話で、ゼロ戦が空を舞う。
   カプローニは問う「君の10年はどうだったかね?」
「力は尽くしました…終わりはズタズタでしたが」「国を滅ぼしたんだからなぁ…」
   その時、草原の向こうから美しい飛行機の編隊が通り抜ける「あれかね…君のゼロは」 パイロットたちが次々に敬礼していく。白い機体が空を覆い尽くす。
カプローニ「美しい。いい仕事だ」二郎「一機も戻ってきませんでした…」

   
   この映画で最も美しい物語は、やはり、菜穂子との儚くも消えて行った束の間の愛情物語であろう。
   堀辰雄の「風立ちぬ」と「菜穂子」の着想やイメージ、物語が、この映画の各所に鏤められていて、美しいストーリーになっている。
   この映画では、二郎と菜穂子の最初の出会いは、列車の移動中に風に飛ばされた二郎の帽子を菜穂子がキャッチするのだが、その後、関東大震災が起こって、二郎が、傷ついた女中お絹を背負って、震災後の大混乱の人ごみをかき分けて、菜穂子を上野の実家へ送ると言うシーンである。
   堀辰雄の「風立ちぬ」の方は、この映画の再会シーンである高原で彼女がキャンバスを立てて風景画を描いているところから始まっていて、彼が結核治療のためにサナトリウムでの療養に付き合って小説を書きながら、貴重な時間を噛みしめながら生きると言う話である。
   中学生の頃、文通していた可愛い文学少女が、堀直子のペンネームで、小説を書いていたのを思い出した。

   この映画のテーマとも言うべき、ポール・ヴァレリーの詩の一節「風立ちぬ、いざ生きめやも」は、映画では、帽子を受け取った二郎が菜穂子にお礼を言うと、菜穂子がこの言葉を言うのだが、この小説では、冒頭の高原でのデートの最中に風が吹いたので、彼が口走るので、ニュアンスが大分違うのだが、宮崎駿の場合には、この言葉が、二人の人生に二重に膨らみを見せていて味わい深い。
   風が吹いて来た、雄々しく生き抜こうと言う、困難な時代や境遇であればこその、宮崎駿の雄叫びとエールであろうか。

   ところで、小説の彼女は節子であって、菜穂子ではないが、堀辰雄の小説「菜穂子」にも療養中の菜穂子が、サナトリウムを抜け出して夫に会いに行くと言う場面があって、この映画でも最も感動的な場面で使われているので、ここから、菜穂子と言うヒロインの名前を借用したのであろう。
   サナトリウムから一直線、名古屋駅のホームに入ってくる列車。行き交う人波をかき分け、ふたりはお互いの姿を探して見つけると、必死に抱き合う。二郎は「帰らないで…ここでふたりで暮らそう」。感動的な再会である。
   「菜穂子」には、幼馴染で建築設計家の都築明が登場し、サナトリウムで菜穂子との交歓もあるので、この映画で、宮崎駿は、「風立ちぬ」と「菜穂子」の両方から、想を得ている感じだが、はるかに、ロマンチックだ。

   私は、特に堀辰雄のファンでもないのだが、宮崎駿は、堀辰雄の話から、素晴らしい菜穂子像を紡ぎ出していて感動ものである。
   菜穂子の見舞いに、「ナオコ カッケツ」との電報を受け取って、東京へ駆けつけて、玄関からではなく庭から直接に駆け込んで菜穂子を抱きしめて接吻すると言うシーンも、同じ庭からの小説以上に非常に劇的だし、サナトリウムを抜け出す場面も、二郎と束の間の結婚生活を送りたいためにサナトリウムを飛び出して二郎の元に赴いて結婚して、二郎がゼロ戦の原型となる「九試」の制作が完成してテスト飛行の朝に、「今朝は気分が良いのでちょっと散歩してきます」と永遠の別れを告げて、一人サナトリウムへ帰って行くシーンは実に感動的である。
   女医として見舞いに来た義妹が、置手紙を見て号泣して後を追おうとすると、家主の黒川夫人が、止める。黒川夫人「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね…」

   たった二人の黒川夫妻の媒酌による結婚式も感動的だが、
   二郎は、今日は疲れただろうからゆっくりお休み、と気づかう。しかし、菜穂子は「…きて」と床に誘う 灯りが消える。と言う初夜
   二郎は、菜穂子にせがまれ、左手を病床の菜穂子とつないだままで図面を引く。菜穂子「仕事している次郎さんを見るのが一番好き…」

   実際の堀越二郎の奥方は、この菜穂子とは違っていたようだが、堀越二郎と全く同年代で時代の潮流に翻弄されながらも次代の息吹を敏感に感じながら生きていた堀辰雄のイメージした世界とダブらせて、当時のインテリの心の葛藤を描きながら、宮崎駿は、今の日本を考え直そうと示唆したのではなかろうか。

   色々書きたいことがあるが、切りがない。
   私は、イノベーションを学び続けているので、カプローニが次郎に示唆する「創造的人生の持ち時間は10年だ…君の10年を、力を尽くして生きなさい」と言う言葉に感銘を受けたのだが、今回は、これで筆を置く。

   とにかく、花嫁衣装でもなく質素だが、髪には一輪の花が飾られた菜穂子の花嫁姿を見て、二郎が「美しいよ」と応えるのだが、その姿の美しさ崇高さ初々しさは、涙がこぼれる程素晴らしく、最初から最後まで、磨きに磨かれ、推敲に推敲を重ねられた画面の美しさとストーリー展開の感動は秀逸もので、良い映画を魅せて貰ったと感謝している。

   最後に、数年前に、私がワシントンのスミソニアンで撮ったゼロ戦の写真を載せておきたい。
   
   
   

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