先にタゴールのナショナリズムについて紹介したが、同時代にインドの独立運動で活躍した偉大な思想家二人の巨頭ガンディーとタゴールの論争が興味深い。
タゴールにとって、人が自由の中で生き、かつ理性を行使できることは、最高に重要であった。政治と文化、ナショナリズムと国際主義、伝統と近代についてのかれの態度は、すべてこの信念に照らして理解される。ナショナリズム運動に対する条件付きの支持は、外国支配による自由の欠如への抵抗とともに、こうした心情から生まれた。人を過去の奴隷と化す、理性に基づかない伝統主義に対する強固な拒否の根底にも、自由への情熱があった。
タゴールは、ガンディーに、個人としても、政治指導者としても、最大級の敬意を払っていたが、そのナショナリズムの形態や、インドの過去の伝統についてのかれの保守的な本能には、深く懐疑的であった。
リーダーとして世俗的にならざるを得なかったガンディーに対して、
理性を無視し、その位置に盲目の信仰を据え付け、それを精神的なものと持ち上げる傾向を賛美するとき、われわれは、自らの心と運命の蒙昧化という代価を払い続けるのである。民衆の内にある軽信という、この非合理の力を利用せんとする点で、わたしはガンディーを非難する。と言っている。
興味深いのは、「チェルカー」、すなわち、原始的な糸挽車をもって家で糸をつぐむべしとする、ガンディーの熱烈な主張の利点にはタゴールは一貫して懐疑的であった。タゴールは、この構想の経済的根拠なるものを、ペイしないきわめて非現実的だとみていたのである。
しかし、ガンディーにとっては、この行為はインドの自己実現の重要な一部であって、すべての人が、「毎日30分、犠牲として」、より恵まれた生活を送る人がより不幸な人々と、一体化するために、糸を紡ぐことを求めたのである。
タゴールの考えたのは、チェルカーは、思考を要求せずただひたすら時代遅れの発明品を回すのみで、最小限の判断や忍耐力しか用いない。人々に何事かを思考させる方法ではない。独立運動のメインテーマなら、頭を使て、もう少しましなことを考えよと言うことかも知れないが、
ガンディー像の象徴のような糸挽車について、両巨頭のツバゼリアイがあったとは面白い。
科学に対する両極端の態度において、二人が激しく衝突したのは、1934年ビハール州で数千人の命を奪った破壊的な大地震。
ガンディーが、この地震が、我々の罪、不可触民差別の罪に対して、「神がくだし賜うた神罰と信じざるを得ない」と一つの積極的な教訓を引き出したのに対して、
タゴールは、地震の原因を、倫理上の過失に帰すことの中に含意される認識の在り方に反発して、「我が国の多くの民衆にとって、自然現象についてのこのような非科学的な見解が、いとも容易に受け入れられるがゆえに、何にもまして不幸である。」と一蹴した。
タゴールは、イスラム、キリスト教、あるいは、シーク教的な理解を軽視するヒンズー正統主義のような宗教的党派主義に反対した。ナショナリズムでさえ疑念の対象であった。自らの文化と遺産への興味と関心を維持しつつも、ほかの世界で何が起き、人々がいかに生き、何を価値あるものにしているか、学ぶべきであるというタゴールの両面性は、文化的多様性に対する態度にも表れている。
注目すべきは、タゴールは、イギリス支配に対して痛烈な抗議と告発を行い続けてきたが、欧米帝国主義への敵対と西欧文明の拒絶とはつとめて峻別しようと試みた。「シェイクスピアの戯曲やバイロンの詩、そして何にもまして・・・19世紀イギリス政治の寛容な自由主義をめぐる議論」から、インドが多くを得ていることに注意を喚起したのである。
これらが、セン教授のガンディーとタゴール論のすべてではないが、
タゴールの理知的合理精神と、ガンディーの何となく人間的な側面を垣間見た感じがして、興味深かった。
タゴールにとって、人が自由の中で生き、かつ理性を行使できることは、最高に重要であった。政治と文化、ナショナリズムと国際主義、伝統と近代についてのかれの態度は、すべてこの信念に照らして理解される。ナショナリズム運動に対する条件付きの支持は、外国支配による自由の欠如への抵抗とともに、こうした心情から生まれた。人を過去の奴隷と化す、理性に基づかない伝統主義に対する強固な拒否の根底にも、自由への情熱があった。
タゴールは、ガンディーに、個人としても、政治指導者としても、最大級の敬意を払っていたが、そのナショナリズムの形態や、インドの過去の伝統についてのかれの保守的な本能には、深く懐疑的であった。
リーダーとして世俗的にならざるを得なかったガンディーに対して、
理性を無視し、その位置に盲目の信仰を据え付け、それを精神的なものと持ち上げる傾向を賛美するとき、われわれは、自らの心と運命の蒙昧化という代価を払い続けるのである。民衆の内にある軽信という、この非合理の力を利用せんとする点で、わたしはガンディーを非難する。と言っている。
興味深いのは、「チェルカー」、すなわち、原始的な糸挽車をもって家で糸をつぐむべしとする、ガンディーの熱烈な主張の利点にはタゴールは一貫して懐疑的であった。タゴールは、この構想の経済的根拠なるものを、ペイしないきわめて非現実的だとみていたのである。
しかし、ガンディーにとっては、この行為はインドの自己実現の重要な一部であって、すべての人が、「毎日30分、犠牲として」、より恵まれた生活を送る人がより不幸な人々と、一体化するために、糸を紡ぐことを求めたのである。
タゴールの考えたのは、チェルカーは、思考を要求せずただひたすら時代遅れの発明品を回すのみで、最小限の判断や忍耐力しか用いない。人々に何事かを思考させる方法ではない。独立運動のメインテーマなら、頭を使て、もう少しましなことを考えよと言うことかも知れないが、
ガンディー像の象徴のような糸挽車について、両巨頭のツバゼリアイがあったとは面白い。
科学に対する両極端の態度において、二人が激しく衝突したのは、1934年ビハール州で数千人の命を奪った破壊的な大地震。
ガンディーが、この地震が、我々の罪、不可触民差別の罪に対して、「神がくだし賜うた神罰と信じざるを得ない」と一つの積極的な教訓を引き出したのに対して、
タゴールは、地震の原因を、倫理上の過失に帰すことの中に含意される認識の在り方に反発して、「我が国の多くの民衆にとって、自然現象についてのこのような非科学的な見解が、いとも容易に受け入れられるがゆえに、何にもまして不幸である。」と一蹴した。
タゴールは、イスラム、キリスト教、あるいは、シーク教的な理解を軽視するヒンズー正統主義のような宗教的党派主義に反対した。ナショナリズムでさえ疑念の対象であった。自らの文化と遺産への興味と関心を維持しつつも、ほかの世界で何が起き、人々がいかに生き、何を価値あるものにしているか、学ぶべきであるというタゴールの両面性は、文化的多様性に対する態度にも表れている。
注目すべきは、タゴールは、イギリス支配に対して痛烈な抗議と告発を行い続けてきたが、欧米帝国主義への敵対と西欧文明の拒絶とはつとめて峻別しようと試みた。「シェイクスピアの戯曲やバイロンの詩、そして何にもまして・・・19世紀イギリス政治の寛容な自由主義をめぐる議論」から、インドが多くを得ていることに注意を喚起したのである。
これらが、セン教授のガンディーとタゴール論のすべてではないが、
タゴールの理知的合理精神と、ガンディーの何となく人間的な側面を垣間見た感じがして、興味深かった。