大野和基のインタビュー本のヤニス・バルファキスの「金融資本主義という病理」
コロナ騒動やウクライナ戦争などによる今日の経済危機は、2008年の世界金融危機の頃から進行している事態の延長であると指摘する。
2008年の金融崩壊を、FRBやG20の中央銀行は、一致団結して破綻した大手金融機関へ融資拡大を行い、金融市場を救済した。しかし、これと同時に、労働者や中産階級などの民衆に対しては、政府支出の削減や増税による緊縮財政策を実施した。その結果、金融市場は再生したが、結局それは世界の黒字を再循環する力を奪い、資本主義のダイナミズムを奪い、投資と購買力の縮小を促進して、総需要の下落を早めた。富は飛躍的に上昇して強者に集中して、生産的な投資は崩壊し、賃金は停滞し、金利は急落し、政府や企業はフリーマネーの中毒になる-----これが2008年の金融市場を延命させた経済政策の実態だと言う。
この金融政策が、ゾンビ企業を増やし、企業債務バブルを膨れ上がらせた。世界の企業資本主義社会の隅々にまで浸透し、膨れ上がったこのバブルを弾く針のような役目を果たしたのが、今回のパンデミックだった。この意味で2020年の経済不況は、2008年の金融危機から準備されていたようなもので、この金融債務バブルの本格的な崩壊が起これば、これよりはるかに大規模な経済危機を迎えることになると言うのである。
「小さな政府」をもとめた新自由主義者たちは、「大きな政府」に反対し、まず死因人々や困窮した労働者たちなど、生活難に喘いでる人々に資金を提供することことに反対してきたが、政府も、規制緩和や減税、経済の活性化を図り、大企業や新興財閥などに資金を供給などして、国家を成長させた。戦後の福祉国家体制を否定し、個人の自己責任を基調とした新自由主義への転換だが、
この国家の介入に反対していた自由主義者たちが、金融市場や銀行が破綻した場合には、国家に莫大な紙幣を刷らせて、その国債を元手に銀行救済に働きかけるよう要請したのである。
結局、新自由主義とは、ごく少数の強者のための社会主義であり、それ以外の人々にとっては厳格な緊縮財政をしくと言う体制に他ならないと断定する。
さて、このような新自由主義体制は、大企業への優遇とテクノロジーの進化を伴って、今や、特定の巨大なプラットフォーム企業に富も情報も集中していくような状態を生み出し、資本主義はテクノ封建主義(techno feudalism)に変質していると言う。資本主義のエンジンは、利益性と市場性にあるのだが、その利益は、私的な利益ではなく中央銀行が発行する金そのものとなり、市場については、尤も経済的な活動が地上からGAFAの形成する封土(feudal estate)になったという。
著者は、公平で正しい民主主義を実現するために、三つのラジカルな対策案を提示して、独自のポスト資本主義像を提案している。
一寸飛躍した提案だが、転換期に直面した資本主義の改変案の一つと見るべきであろうか。
1989年サッチャーが首相になった頃のイギリスの福祉国家体制の悲惨さを見て、暗澹としたことがある。
世界の金融センターのシティは、清掃人のストでゴミが散乱して宙を舞っていて、家の修理を依頼したら、職人は、小一時間仕事をするがすぐに止めて帰り翌日に回して時間を稼いで、延々と仕事を伸ばし続けて何時終るか分からず埓が開かない・・・悪質な労働組合のサボタージュと労働党の政治不如意で、政治経済は全土に亘って麻痺状態、
悪の元凶であった労働組合をぶっ潰しにかかったサッチャリズムが、レーガリズムと呼応した新自由主義のはしりであった、
それ以降、著者が糾弾する新自由主義旋風が一世を風靡して、先進国を吹き荒れた。
弱肉強食の新自由主義が、世紀末から21世紀の経済成長を牽引したのかどうかその効果は、ICTデジタル革命やグローバリゼーションの勃興台頭が起こっているので分からないが、これも、制度疲労を起して立ち行かなくなってきた。
市場経済至上主義の政治経済体制が続いた後、英国での労働党の復権など、ヨーロッパで民主主義の中道政治が優勢となって、福利厚生を指向したリベラルな体制となったが、
政治経済社会体制など国際情勢が、不穏になってくるにつれて、ポピュリストや極右政党の台頭が著しく、右傾化を辿っている。
さて、国際情勢は、民主主義勢力の弱体化に呼応するように、中ロなど独裁体制の専制国家体制の台頭が著しく、グローバルサウスをも取り込もうとする勢いであり、世界の地政学的な勢力地図が変りつつある。
弱肉強食の市場至上主義の新自由主義か、リベラルで社会的公正を指向した福祉国家体制かと言った一頃の選択では通用しなくなってしまった。
コロナ騒動やウクライナ戦争などによる今日の経済危機は、2008年の世界金融危機の頃から進行している事態の延長であると指摘する。
2008年の金融崩壊を、FRBやG20の中央銀行は、一致団結して破綻した大手金融機関へ融資拡大を行い、金融市場を救済した。しかし、これと同時に、労働者や中産階級などの民衆に対しては、政府支出の削減や増税による緊縮財政策を実施した。その結果、金融市場は再生したが、結局それは世界の黒字を再循環する力を奪い、資本主義のダイナミズムを奪い、投資と購買力の縮小を促進して、総需要の下落を早めた。富は飛躍的に上昇して強者に集中して、生産的な投資は崩壊し、賃金は停滞し、金利は急落し、政府や企業はフリーマネーの中毒になる-----これが2008年の金融市場を延命させた経済政策の実態だと言う。
この金融政策が、ゾンビ企業を増やし、企業債務バブルを膨れ上がらせた。世界の企業資本主義社会の隅々にまで浸透し、膨れ上がったこのバブルを弾く針のような役目を果たしたのが、今回のパンデミックだった。この意味で2020年の経済不況は、2008年の金融危機から準備されていたようなもので、この金融債務バブルの本格的な崩壊が起これば、これよりはるかに大規模な経済危機を迎えることになると言うのである。
「小さな政府」をもとめた新自由主義者たちは、「大きな政府」に反対し、まず死因人々や困窮した労働者たちなど、生活難に喘いでる人々に資金を提供することことに反対してきたが、政府も、規制緩和や減税、経済の活性化を図り、大企業や新興財閥などに資金を供給などして、国家を成長させた。戦後の福祉国家体制を否定し、個人の自己責任を基調とした新自由主義への転換だが、
この国家の介入に反対していた自由主義者たちが、金融市場や銀行が破綻した場合には、国家に莫大な紙幣を刷らせて、その国債を元手に銀行救済に働きかけるよう要請したのである。
結局、新自由主義とは、ごく少数の強者のための社会主義であり、それ以外の人々にとっては厳格な緊縮財政をしくと言う体制に他ならないと断定する。
さて、このような新自由主義体制は、大企業への優遇とテクノロジーの進化を伴って、今や、特定の巨大なプラットフォーム企業に富も情報も集中していくような状態を生み出し、資本主義はテクノ封建主義(techno feudalism)に変質していると言う。資本主義のエンジンは、利益性と市場性にあるのだが、その利益は、私的な利益ではなく中央銀行が発行する金そのものとなり、市場については、尤も経済的な活動が地上からGAFAの形成する封土(feudal estate)になったという。
著者は、公平で正しい民主主義を実現するために、三つのラジカルな対策案を提示して、独自のポスト資本主義像を提案している。
一寸飛躍した提案だが、転換期に直面した資本主義の改変案の一つと見るべきであろうか。
1989年サッチャーが首相になった頃のイギリスの福祉国家体制の悲惨さを見て、暗澹としたことがある。
世界の金融センターのシティは、清掃人のストでゴミが散乱して宙を舞っていて、家の修理を依頼したら、職人は、小一時間仕事をするがすぐに止めて帰り翌日に回して時間を稼いで、延々と仕事を伸ばし続けて何時終るか分からず埓が開かない・・・悪質な労働組合のサボタージュと労働党の政治不如意で、政治経済は全土に亘って麻痺状態、
悪の元凶であった労働組合をぶっ潰しにかかったサッチャリズムが、レーガリズムと呼応した新自由主義のはしりであった、
それ以降、著者が糾弾する新自由主義旋風が一世を風靡して、先進国を吹き荒れた。
弱肉強食の新自由主義が、世紀末から21世紀の経済成長を牽引したのかどうかその効果は、ICTデジタル革命やグローバリゼーションの勃興台頭が起こっているので分からないが、これも、制度疲労を起して立ち行かなくなってきた。
市場経済至上主義の政治経済体制が続いた後、英国での労働党の復権など、ヨーロッパで民主主義の中道政治が優勢となって、福利厚生を指向したリベラルな体制となったが、
政治経済社会体制など国際情勢が、不穏になってくるにつれて、ポピュリストや極右政党の台頭が著しく、右傾化を辿っている。
さて、国際情勢は、民主主義勢力の弱体化に呼応するように、中ロなど独裁体制の専制国家体制の台頭が著しく、グローバルサウスをも取り込もうとする勢いであり、世界の地政学的な勢力地図が変りつつある。
弱肉強食の市場至上主義の新自由主義か、リベラルで社会的公正を指向した福祉国家体制かと言った一頃の選択では通用しなくなってしまった。