熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ドナルド・キーン・堤清二「うるわしき戦後日本」

2015年08月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   キーンさんの序章インタビューについては、既に書いたので、それ以降の二人の対話部分について、印象に残ったところに触れてみたい。
   二人とも日本文学に造詣が深いので、主に、戦後の日本文学について語っているのだが、この会話に登場する作家、三島由紀夫や安倍公房の作品を読んだこともないし、吉田健一を少々くらいなので、殆ど、作家論については、縁のない話で、別の世界のような感じであった。
 
   私の場合、学生時代までに、谷崎潤一郎、志賀直哉、川端康成くらい、少々齧ったくらいで、政治経済、歴史、経営など社会科学系の書物の読書に偏っていたので、今でも、村上春樹 さえも読んでいないので、この本のレビューは憚られるで、文化論らしき部分について、気付いたところを綴りたい。

   三島由紀夫については、死の直前も含めて、文学論から個人的な交友関係など隠れた逸話などを縦横に語り合っていて、本当の三島像の片鱗を垣間見せていて非常に興味深い。
   三島の「近代能楽集」は、大変な名著で絶対的なものなので、世界中で翻訳されて読まれ、上演され続けている。
   「現在能」で、神や鬼や幽霊がシテとなる「夢幻能」ではなく、歴史的な事実を越えた永続性のある、しかも、人間味があるテーマを扱う謡曲で、普遍的であるから、何語に翻訳され、どんな風に、どこで演出されても価値が保たれる。と言うのである。
   同じように西洋では、オペラと言う古典音楽の歌劇の形式が最も普遍的な人気を保っていて、もう現代人は、普通の演劇ではなく、オペラのように洗練され、なおかつ人間味が伝わる形式でないと、恥ずかしくて見ていられないのです。とも言っているのだが、これは、ミュージックとのコラボレーションがなせる業であろうか。
   この話を、歌舞伎と三業による文楽との比較に当てはめると、何となく、分かるような気がしている。

   吉田健一については、多少本も読んでいて、吉田茂の子息であると言うことで、少しは知っているのだが、豪快な文士たちとの交友が面白く、沢山の関係者から吉田茂の後継として出馬要請されながら、終いにはキレてしまったと言う話が面白い。
   今の首相も、元民主党のあの人も、吉田健一の甥も、祖父の後をついで、総理大臣になったのだが、さて、どちらが賢かったか、興味深いところである。

   日本文化が花開いたのは、平安の源氏物語時代と室町の義政時代と元禄時代だとキーンさんは言っていたように思うのだが、私など室町時代については高く評価していなかったので、今回、二人の会話で、東山文化を非常に持ち上げているのが新鮮であった。
   応仁の乱で京都を廃墟にしてしまった政治家として無能であった義政が、東山文化を作り上げて日本文化に多大な貢献をしたということ、室町幕府を立て直そうとしたが既に時遅く、酒色に溺れて、第二の光源氏になりたいと思っていたと言うのが面白い。
   ところで、世阿弥は、室町時代の能の神様(?)で、「花伝書」と言う解説書を残しているのだが、シェイクスピアは勿論、古今東西、このような大作家が、解説なり批評を描き残したことは、一切なかったと言うことであるから、世阿弥の、能楽界への貢献は大変ものであったのであろう。

   明治以降、国内で異種の文化に出合うチャンスがほぼなくなった、それが、日本の文化や文学を弱くした。と言っている。
   東京生まれの谷崎潤一郎が、関西の言葉で小説を書いた。
   いまはともかく、物を書く人はますます東京を意識しなくてはならなくなった。と文化文明までもの東京一極集中を嘆いている。

   歌舞伎の世界を見れば、最早、上方歌舞伎は、死に体。
   関西に居るのは、藤十郎、我當、秀太郎、愛之助などほんの僅か、
   上方歌舞伎の芸と伝統は風前のともしびだが、文化音痴の大阪市長自らが、大阪の唯一の宝であり世界に誇るべき伝統芸術文楽を、失政による予算辻褄合わせのために見殺しにしようとする世相であるから、時流に流される以外に仕方がないのであろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする