下巻の第5部 漂流 で、戦後の日本につて、克明なカレントトピックスの分析が面白い。
尖鋭化するアジアの歴史問題から説き起こして、安倍首相の「日本正常化」政策と鳩山首相の「脱米外交」と言う二人の総理大臣の全く違った路線を迷走する日本を概観しながら、アジアで孤立する異常な国家状態を語り、外交的にもいまだに方向性を見失い、地理的条件と過去の歴史に捕われたままだ、と論じている。
冒頭で、ドイツのブラント首相が、訪問先のポーランドで「ワルシャワ・ゲットー蜂起」の記念碑の前で跪き、ユダヤ人犠牲者に対する謝罪の意を表し、そのあまりにも自然な振る舞いは、ドイツ国民が過去の歴史を心から悔いていることを示す極めて説得力のある意思表示となったために、”Kniefall”(ひざまずいて祈る)と言うドイツ語が英語圏で定着し、ブラントもノーベル賞を受賞した。ことを述べて、
日本は、このブラントの「ひざまずき」に匹敵する意思表示を行ったことがなく、アジアの隣人たちから、日本はドイツと違って、自らや他国に対して一度も過去の過ちを認めたことがないと言う批判が延々と繰り返されている。と言う。
戦争賠償金の代わりに数十億ドルもの経済援助資金を支払い、指導者たちは実際に数えきれないほどの回数の「謝罪声明」を公式の場で発表してきたにも拘らず、それらが、徹底的に謝罪したドイツと比べて、それらが、本心からの謝罪であると認められたことはない。
と言っているのだが、今回の安倍首相の70年談話でも、そのきらいがあって、謝罪問題は収束しそうにはなく、いくら平和日本を強調しても、ピリングが言うように、日本はアジアで孤立し続けるのであろうか。
一方、この太平洋戦争については、
日本は受けて立って戦争をせざるを得なかった、欧米列強からのアジアの解放戦争であった、と言った論などの紹介や、東条英機の孫とのインタビューも交えて、著者は、両面からかなり公平に語っている。
ブラントの「ひざまずき」は、外国からは高く評価されたようだが、ドイツ人には、かなり、不評だったようで、今回の鳩山首相のソウル市内の西大門刑務所の跡地(西大門刑務所歴史館)での「ひざまずいての謝罪」が、どう言う意味を持つのか、微妙なところであろう。
國神社問題、日本や天皇の戦争責任、沖縄基地問題などについても、色々な視点からアプローチして、かなり突っ込んで議論を展開していて興味深い。
面白いのは、教師の国歌や国旗に対する教育現場での抵抗について触れて、日章旗と君が代(皇統が「八千代」、つまり8000代ほどの極めて永きにわたって継続することを願う歌)が、国民が知らず知らずのうちに戦争に巻き込んだ天皇崇拝カルトの象徴だと、彼らは忘れていないので拒否するのだ。として、大方の日本人の無神経ぶりを紹介していることである。
私なども、国歌の歌詞や意味内容など全く無頓着に歌っており、この君が代も日章旗も、日本の象徴だと思っているので何の抵抗もなく、特に、外国に出て接する機会があると感極まる思いになるくらいである。
それに、どこの国もそうだと思うが、一度決まった国歌や国旗は、変えないであろうし、歴史上の問題があろうとも、そのまま、維持すべきだと思っている。
さて、安倍総理の安保問題への対応について、ピリングは、第一次安倍内閣当時を論じているのだが、ブレーンであった岡崎冬彦の主張に従って、日本に軍隊保有の権利を取り戻し、必要に応じて同盟国のために武力を使用できるように、自ら封印している「集団的自衛権」を認めない限り、「普通の国」に成れないと考えて行動して、6年以内に憲法を変えると言っていたと言う。
日本の再軍備化を恐れたために、日本に平和憲法を押し付けて雁字搦めにしたアメリカが、朝鮮戦争の勃発によって臍を噛む。その後、自衛隊の前身である警察予備隊を創設して、今や、自衛隊の海外派遣までに至っているのだが、米軍と協働して有事に備えるためには、「集団的自衛権」の制約を取り払うことが必須なのである。
「安保法案」が大詰めを迎えており、憲法改正も視野に入り始めた安倍総理だが、日本国民の多くは、あくまで、平和主義に徹しようとしており、多大の混乱を引き起こしかねないアメリカの冒険主義に巻き込まれることを警戒している。どうするのか。
日本は、一時期を除いて、当時の覇権国イギリス、そして、アメリカと同盟関係にあり、この同盟関係が維持されている限り、日本は安泰であると言うのが、岡崎大使の持論であったのだが、安倍首相も、この関係を維持しながら、更に、日本を、集団的自衛権を確立して、更に、憲法第9条を改正して、「普通の国」へとレベルアップを図ろうと言うのであろう。
一方、鳩山首相についても、ピリングは、「VOICE」での「友愛」論文や脱米、それに、「アジア共通通貨」論等アジア回帰、沖縄基地の他県への移転問題などについて議論を展開し、あまりにも、安倍首相と違った考え方に唖然とした感じで、外交的にも国家の行き先にも、いまだに方向性の定まらない日本の危うさを活写している。
鳩山首相の考え方や民主党の方針などについては、失政とも言うべき稚拙さ故に、儚く消えてしまったので、ここでは論じない。
ただ興味深いのは、鳩山首相が、今回の韓国での土下座外交とも似通った、クリミアに行って併合を称賛してロシアをバックアップした外交だが、アメリカ贔屓の岸信介の孫の安倍首相が米国追随であるように、ロシア贔屓の鳩山一郎の孫の鳩山首相がプロ・ロシア姿勢を示しているのも面白い。
鳩山一郎は、自分を、首相登壇寸前で公職追放したアメリカを恨んでいたので、その裏返しで、日ソ国交回復を推進したと言われている。
これが、鳩山首相の嫌米親ロの原点かも知れないが、実際、公職追放を強く提言したのはソ連であったとマッカーサーが吉田茂に言っていたと言うのだから、歴史は面白い。
尖鋭化するアジアの歴史問題から説き起こして、安倍首相の「日本正常化」政策と鳩山首相の「脱米外交」と言う二人の総理大臣の全く違った路線を迷走する日本を概観しながら、アジアで孤立する異常な国家状態を語り、外交的にもいまだに方向性を見失い、地理的条件と過去の歴史に捕われたままだ、と論じている。
冒頭で、ドイツのブラント首相が、訪問先のポーランドで「ワルシャワ・ゲットー蜂起」の記念碑の前で跪き、ユダヤ人犠牲者に対する謝罪の意を表し、そのあまりにも自然な振る舞いは、ドイツ国民が過去の歴史を心から悔いていることを示す極めて説得力のある意思表示となったために、”Kniefall”(ひざまずいて祈る)と言うドイツ語が英語圏で定着し、ブラントもノーベル賞を受賞した。ことを述べて、
日本は、このブラントの「ひざまずき」に匹敵する意思表示を行ったことがなく、アジアの隣人たちから、日本はドイツと違って、自らや他国に対して一度も過去の過ちを認めたことがないと言う批判が延々と繰り返されている。と言う。
戦争賠償金の代わりに数十億ドルもの経済援助資金を支払い、指導者たちは実際に数えきれないほどの回数の「謝罪声明」を公式の場で発表してきたにも拘らず、それらが、徹底的に謝罪したドイツと比べて、それらが、本心からの謝罪であると認められたことはない。
と言っているのだが、今回の安倍首相の70年談話でも、そのきらいがあって、謝罪問題は収束しそうにはなく、いくら平和日本を強調しても、ピリングが言うように、日本はアジアで孤立し続けるのであろうか。
一方、この太平洋戦争については、
日本は受けて立って戦争をせざるを得なかった、欧米列強からのアジアの解放戦争であった、と言った論などの紹介や、東条英機の孫とのインタビューも交えて、著者は、両面からかなり公平に語っている。
ブラントの「ひざまずき」は、外国からは高く評価されたようだが、ドイツ人には、かなり、不評だったようで、今回の鳩山首相のソウル市内の西大門刑務所の跡地(西大門刑務所歴史館)での「ひざまずいての謝罪」が、どう言う意味を持つのか、微妙なところであろう。
國神社問題、日本や天皇の戦争責任、沖縄基地問題などについても、色々な視点からアプローチして、かなり突っ込んで議論を展開していて興味深い。
面白いのは、教師の国歌や国旗に対する教育現場での抵抗について触れて、日章旗と君が代(皇統が「八千代」、つまり8000代ほどの極めて永きにわたって継続することを願う歌)が、国民が知らず知らずのうちに戦争に巻き込んだ天皇崇拝カルトの象徴だと、彼らは忘れていないので拒否するのだ。として、大方の日本人の無神経ぶりを紹介していることである。
私なども、国歌の歌詞や意味内容など全く無頓着に歌っており、この君が代も日章旗も、日本の象徴だと思っているので何の抵抗もなく、特に、外国に出て接する機会があると感極まる思いになるくらいである。
それに、どこの国もそうだと思うが、一度決まった国歌や国旗は、変えないであろうし、歴史上の問題があろうとも、そのまま、維持すべきだと思っている。
さて、安倍総理の安保問題への対応について、ピリングは、第一次安倍内閣当時を論じているのだが、ブレーンであった岡崎冬彦の主張に従って、日本に軍隊保有の権利を取り戻し、必要に応じて同盟国のために武力を使用できるように、自ら封印している「集団的自衛権」を認めない限り、「普通の国」に成れないと考えて行動して、6年以内に憲法を変えると言っていたと言う。
日本の再軍備化を恐れたために、日本に平和憲法を押し付けて雁字搦めにしたアメリカが、朝鮮戦争の勃発によって臍を噛む。その後、自衛隊の前身である警察予備隊を創設して、今や、自衛隊の海外派遣までに至っているのだが、米軍と協働して有事に備えるためには、「集団的自衛権」の制約を取り払うことが必須なのである。
「安保法案」が大詰めを迎えており、憲法改正も視野に入り始めた安倍総理だが、日本国民の多くは、あくまで、平和主義に徹しようとしており、多大の混乱を引き起こしかねないアメリカの冒険主義に巻き込まれることを警戒している。どうするのか。
日本は、一時期を除いて、当時の覇権国イギリス、そして、アメリカと同盟関係にあり、この同盟関係が維持されている限り、日本は安泰であると言うのが、岡崎大使の持論であったのだが、安倍首相も、この関係を維持しながら、更に、日本を、集団的自衛権を確立して、更に、憲法第9条を改正して、「普通の国」へとレベルアップを図ろうと言うのであろう。
一方、鳩山首相についても、ピリングは、「VOICE」での「友愛」論文や脱米、それに、「アジア共通通貨」論等アジア回帰、沖縄基地の他県への移転問題などについて議論を展開し、あまりにも、安倍首相と違った考え方に唖然とした感じで、外交的にも国家の行き先にも、いまだに方向性の定まらない日本の危うさを活写している。
鳩山首相の考え方や民主党の方針などについては、失政とも言うべき稚拙さ故に、儚く消えてしまったので、ここでは論じない。
ただ興味深いのは、鳩山首相が、今回の韓国での土下座外交とも似通った、クリミアに行って併合を称賛してロシアをバックアップした外交だが、アメリカ贔屓の岸信介の孫の安倍首相が米国追随であるように、ロシア贔屓の鳩山一郎の孫の鳩山首相がプロ・ロシア姿勢を示しているのも面白い。
鳩山一郎は、自分を、首相登壇寸前で公職追放したアメリカを恨んでいたので、その裏返しで、日ソ国交回復を推進したと言われている。
これが、鳩山首相の嫌米親ロの原点かも知れないが、実際、公職追放を強く提言したのはソ連であったとマッカーサーが吉田茂に言っていたと言うのだから、歴史は面白い。