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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ビル・ジョイの「脱物質化」論を考える

2014年04月27日 | 政治・経済・社会
   先にレビューした「楽観主義者の未来予測」で、潤沢な世界を実現する力の項で、ビル・ジョイの「脱物質化」論をひいて、人類の過剰消費によって地球がパンクすると言う理論に反論している。
   ジェイ・ウィザースプーンが、地球上のすべての人が北米各国の人々と同じ暮らしをしたいと思ったら、地球五個分の資源が必要になると言ったが、最早、正しくないと言うのである。

   普通、脱物質化については、ものを売ると言うのではなくサービスを提供するビジネスへの転換、すなわち、ビジネスのサービス化と言った意味でつかわれているのだが、
   ジョイの「脱物質化」は、多少ニュアンスが違って、テクノロジーの進化発展による小型化によって、日常生活で使う非常に多くの製品が、その専有空間が急速に減少して行くと言うことである。

   我々は、現在、何でもかんでも、過剰に所有することに執着していると言う。
   これは、私も今回の鎌倉への移転で肝に銘じたのであるが、この20年間ほどで、どんどん本を買って、本箱を買い増ししても追いつかず、部屋のあっちこっちに積読ながら買い続けて、とうとう、移転直前になって、暗礁に乗り上げたのである。
   結局、選びに選んで、鎌倉に持ち込んだのは、15~1600冊くらいであったのだが、その内、300冊くらいは、長女の母校上智大へ記念行事資金のためにと古書を提供したものの、書斎へ置くのは限ったので、大半は、倉庫に書棚を新設して並べてしまい、お蔵入りに近い。
   移転時に、1000数百冊は、お寺に引き取って貰って中村文庫として御利用頂いたのだが、何箱かは友人に送ったものの、残りの1000冊以上は、ブックオフを嫌って古紙回収業者に持って行って貰った。
   都合4000冊以上はあったのだろうが、ナショナルジオグラフィックやForegin Affairs等々雑誌などを入れるともっと多くなるのだが、良く、あの3.11の震度6弱の地震に2階が堪えたものだと自分の家を褒めている。

   さて、カメラのデジタル化で、殆どDPE店を駆逐したと思っていたら、今や、携帯電話がそのカメラを脱物質化している。
   今日、被災地を訪問した安倍首相が、スマホでスナップを撮っていたのを見てもそうだし、最近では、観光地などでも、過半は、携帯で記念写真を撮っている。

   スマホで利用できる消費財やサービスをすべて上げようと言って、ディアマンディスたちが、列挙している。
   カメラ、ラジオ、テレビ、ウェブプラウザ、レコーディングスタジオ、編集ソフト、映画館、GPSナビゲーションシステム、ワープロ、表計算ソフト、ステレオ、懐中電灯、ボードゲーム、カードゲーム、テレビゲーム、あらゆる種類の医療機器、地図、資料集、百科事典、辞書、翻訳マシン、教科書、世界レベルの教育、アプリストアと呼ばれる成長し続けるバンキング方式のショップなど。
   私は携帯もスマホも持っていないので分からないが、カメラやパソコンの「脱物質化」などは序の口で、日本のスマホなら、それ以上の機能を内包しているのであろうから、テクノロジーの進歩とICT革命の威力は大変なものである。
   この調子で、テクノロジーが進化して行けば、「脱物質化」の進展で、多くの製品が小さくなって行き、専有空間が、どんどん縮小して行く。

   これら「脱物質化」された商品やサービスは、かっては、大量の天然資源を使って生産され、複雑な流通システムを通して世の中に拡散し、高度な訓練を受けた専門家グループが、上手く機能するようにサポートしていたのだが、最早、そんな必要もなくなり、どんどん、市場から消えて行ってさえいる。

   先のビル・ジョイが打ち立てた法則は、「プロセッサーの最大性能は1年単位で毎年倍増する」。
  「半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する」というムーアの法則とともに、科学技術の限りなき成長と発展の証だが、
   楽天主義者は、これらの法則に基づいた科学技術が、指数関数的にイノベーションを生み出すことによって、マルサスの罠を駆逐出来ると信じている。

   世界自然保護基金(WWF)が、再生可能資源の人間による消費と、地球の再生能力を対照し、生態系に対する人間の需要を測る「エコロジカル・フットプリント」指標を基に、「生きている地球レポート2012」を発表し、人類の経済・消費活動の増大を支えるためには地球が1.5個必要だと指摘した。
   また、前述のジェイ・ウィザースプーン論のような、中国人がアメリカ人並の生活をすれば、天然資源不足で地球が破裂してしまうと言った理論に対してもそうだが、ジョイの「脱物質化」論などは考慮外であり、大体において、現状の延長線上においての予測なので、どうしても、悲観的な傾向にならざるを得ないのであろう。

   尤も、その悲観的な予測を阻止すべき科学技術が如何に発展進歩して、イノベーションを生み出してブレイク・スルーするのか、その将来を予測できない以上、おいそれと楽観論に組する訳にも行かないのが現実であろう。
   しかし、以前は、今の中国のように、公害の酷さが凄かった日本が、これだけ、環境浄化が進んでいることを考えたり、何度も警告されていた食糧危機にも陥らずに、曲りなりにも、生活水準がどんどん高まっていることなどを考えれば、案外、人間の能力も侮れないなあと言う気にもなる。
   いずれにしろ、人類の生活圏が、これまでは予想だにしなかった地球船宇宙号の限界にまで到達してしまったことは事実であり、人類の未来を、そう簡単には、予測が出来なくなって来たと言うのも事実ではある。
コメント
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