今月の大阪の国立文楽劇場のプログラムは、
国立文楽劇場開場30周年記念 七世竹本住大夫引退公演 と銘打った「通し狂言 菅原伝授手習鑑」である。
私が観た二日目の4月5日は、チケットもソールド・アウトで、5月の東京国立劇場の住大夫引退公演のチケットは、発売瞬時に売り切れたと言う凄まじさを考えれば、まだ、ましだが、文楽が世界遺産に登録された直後のブーム再来とも言うべき盛況で、喜ばしい限りである。
昨年、この国立劇場で、「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」が、上演されたので、やはり、大阪に来て鑑賞したのだが、三大狂言の大作を、通しで一挙に鑑賞できると言う贅沢を、この文楽の本拠地である大阪で、じっくりと楽しめるのは、正に、圧巻である。
どんなに素晴らしい浄瑠璃であっても、その一部の名舞台を鏤めたアラカルトのプログラム公演と比べれば、通し狂言の魅力は、圧倒的に魅力倍増で、何ものにも代えがたく貴重であり、それを成し得る公演者の面目躍如と言うところであろう。
この「通し狂言 菅原伝授手習鑑」でも、「賀茂堤」「筆法伝授」「杖折檻」「東天紅」「丞相名残」「車引」「桜丸切腹」「寺子屋」などの段は、文楽でも歌舞伎でも、単独の舞台公演で、かなり頻繁に、上演されるほど名舞台であるのだが、これらが、一挙に連続して上演されると、ストーリー展開は勿論、人物描写や作品の精神構造なども含めて浄瑠璃の奥深い魅力が彷彿として迸り出て、正に、感動ものである。
第1部は、初段の「大内の段」から始まって、第2段の「丞相名残の段」で終わるのだが、この段の咲大夫の浄瑠璃と燕三の三味線の素晴らしさは圧倒的で、覚寿(和生)に送られて去り行く管丞相(玉女)の名シーンは脳裏を駆け巡って消えない程の感動を呼ぶ。
また、第2部は、引退狂言である住大夫と錦糸による「桜丸切腹の段」では、この段にだけ登場する簑助の桜丸と文雀のその妻八重の両人間国宝が共演して華を添える感動的な舞台なのだが、恐らく、現代文楽の最高峰の舞台であり、この感動を味わいたくて、人々が、文楽劇場に詰めかけたのであり、劇場の熱気は大変なものであった。
この20年以上も、どれほど沢山、住大夫の浄瑠璃語りの魅力に引き込まれて文楽に通い詰めたか分からないが、来月で最期だと思うと、堪らなく寂しい。
勿論、ラストは、「寺子屋の段」で、嶋大夫と富助の1時間20分にも及ぶ寸分の隙もない胸にずっしりと響き続けて鼓動する緩急自在の浄瑠璃語りと三味線の魅力は圧倒的で、勘十郎の松王丸や紋壽の千代の慟哭が泣かせて、余韻を引っ張り続けて離さない。
朝の10時半から、夜の9時過ぎまで、長い時間、大阪日本橋の国立文楽劇場で、観劇三昧の一日を過ごしたが、非常に充実した素晴らしい1日であった。

国立文楽劇場開場30周年記念 七世竹本住大夫引退公演 と銘打った「通し狂言 菅原伝授手習鑑」である。
私が観た二日目の4月5日は、チケットもソールド・アウトで、5月の東京国立劇場の住大夫引退公演のチケットは、発売瞬時に売り切れたと言う凄まじさを考えれば、まだ、ましだが、文楽が世界遺産に登録された直後のブーム再来とも言うべき盛況で、喜ばしい限りである。
昨年、この国立劇場で、「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」が、上演されたので、やはり、大阪に来て鑑賞したのだが、三大狂言の大作を、通しで一挙に鑑賞できると言う贅沢を、この文楽の本拠地である大阪で、じっくりと楽しめるのは、正に、圧巻である。
どんなに素晴らしい浄瑠璃であっても、その一部の名舞台を鏤めたアラカルトのプログラム公演と比べれば、通し狂言の魅力は、圧倒的に魅力倍増で、何ものにも代えがたく貴重であり、それを成し得る公演者の面目躍如と言うところであろう。
この「通し狂言 菅原伝授手習鑑」でも、「賀茂堤」「筆法伝授」「杖折檻」「東天紅」「丞相名残」「車引」「桜丸切腹」「寺子屋」などの段は、文楽でも歌舞伎でも、単独の舞台公演で、かなり頻繁に、上演されるほど名舞台であるのだが、これらが、一挙に連続して上演されると、ストーリー展開は勿論、人物描写や作品の精神構造なども含めて浄瑠璃の奥深い魅力が彷彿として迸り出て、正に、感動ものである。
第1部は、初段の「大内の段」から始まって、第2段の「丞相名残の段」で終わるのだが、この段の咲大夫の浄瑠璃と燕三の三味線の素晴らしさは圧倒的で、覚寿(和生)に送られて去り行く管丞相(玉女)の名シーンは脳裏を駆け巡って消えない程の感動を呼ぶ。
また、第2部は、引退狂言である住大夫と錦糸による「桜丸切腹の段」では、この段にだけ登場する簑助の桜丸と文雀のその妻八重の両人間国宝が共演して華を添える感動的な舞台なのだが、恐らく、現代文楽の最高峰の舞台であり、この感動を味わいたくて、人々が、文楽劇場に詰めかけたのであり、劇場の熱気は大変なものであった。
この20年以上も、どれほど沢山、住大夫の浄瑠璃語りの魅力に引き込まれて文楽に通い詰めたか分からないが、来月で最期だと思うと、堪らなく寂しい。
勿論、ラストは、「寺子屋の段」で、嶋大夫と富助の1時間20分にも及ぶ寸分の隙もない胸にずっしりと響き続けて鼓動する緩急自在の浄瑠璃語りと三味線の魅力は圧倒的で、勘十郎の松王丸や紋壽の千代の慟哭が泣かせて、余韻を引っ張り続けて離さない。
朝の10時半から、夜の9時過ぎまで、長い時間、大阪日本橋の国立文楽劇場で、観劇三昧の一日を過ごしたが、非常に充実した素晴らしい1日であった。

