goo blog サービス終了のお知らせ 

熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

斑鳩の里:中宮寺から法起寺へ

2014年04月10日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   法隆寺の夢殿を出て、裏に回り込むと、中宮寺である。
   聖徳太子の御母穴穂部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺だと言うのだが、現在は、非常に清楚でこじんまりした尼寺であり、国宝菩薩半跏像(如意輪観音)とその背後にあった国宝天寿国曼荼羅を安置した小さな本堂を囲む池畔に黄色いヤマブキが咲き乱れている。
   境内には、春の花木が植えられていて、しっとりとした雰囲気を醸し出していて、中々良い。
   
   

   この菩薩半跏像だが、古典的微笑(アルカイックスマイル)として有名で、黒光りする小さなお顔に微かに浮かぶ頬笑みが実に素晴らしい。
   同じ半跏思惟像が、太秦の広隆寺にもあり、この弥勒菩薩半跏思惟像が、国宝彫刻第1号と言うことだが、学生時代に、その優しい姿を拝顔したくて、何度も、斑鳩と太秦を訪れた懐かしい思い出を反芻していた。
   その後、私の関心は、十一面観音像に移って、美しい観音像にお逢いしたくて、奈良京都は勿論、各地の古寺を訪れたのだが、あの頃は、国宝建築や素晴らしい庭園などとともに、仏像についても、結構勉強していたように思う。

   ところで、中宮寺の実際の跡地は、東方500メートルの所に土壇として残っていて、発掘調査で、、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式配置伽藍であったことが分かったと言うことだが、法華寺からの帰途、県道9号線脇にあるこんもりとした土壇を見た。
   県道の反対側の畑と住宅越しに法隆寺の五重塔が遠望できる。
   昔は、人家が殆どなくて、斑鳩の里を散策していると、鄙びた田圃の向こうに、法隆寺や法起寺の塔が見え隠れしたのだが、そんな懐かしい面影など消えてしまって、無粋な自動車がびゅんびゅん横を走り抜ける。
   
   

   中宮寺を出て、住宅と田圃が繋がる田舎道を北に歩いて、法輪寺に向かった。
   非常にこじんまりした綺麗な境内で、三重塔が聳えている。
   この塔は、国宝の旧塔が終戦直前に焼失し、西岡常一棟梁のもとで、昭和50年3月、三重塔は創建当初の様式にて竣工し、同年11月、落慶法要が勤修されたと言うから、私が斑鳩散歩をしていた頃には、なかった筈。
   飛鳥平安時代の重要文化財の仏像が金堂に安置されているようだったが、寺内に全く人の気配がなかったので、時間も考えて、そのまま、法起寺に向かった。
   道中、ところどころ、懐かしい田舎の風景が残っていて、あの頃を思い出していた。
   今は、桜や春の花だが、秋には、柿の葉が色付いて、大和路の秋も美しかった。
   
   
   
   
   法起寺も、県道9号線に面していて、古いのは、現存最古の国宝の三重塔で、創建は慶雲3年(708)と言うのだが、法隆寺の創建が、その100年前であり、飛鳥時代の終期であるから、随分古いのだが、維持管理が良いのか、美しく優雅である。
   訪れる人も殆どなく、池畔に咲く春の花が美しく、まつかさの蔭にひっそりと咲くスミレまで雰囲気があって好ましく、涼風を楽しみながら、境内で午後の小一時間を過ごした。
   
   
   

   結局、この日は、その後、法隆寺駅まで歩いて、そこから、大和路線で、JRなんば駅まで出て、そこのターミナルから空港バスで伊丹空港に向かった。
   1時間少しだから、奈良からも、随分楽になったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする