スマホに臨時のニュース着信の音がし、スマホを開いてみると「福原義春」さんの訃報だった。
日経新聞:福原義春氏が死去 資生堂名誉会長 92歳
お若い方は、「福原義春」さんの名前を聞いてもピンとこないかもしれないのだが、日本に「企業が文化を創る」先駆者的存在であった、と言えば興味を持たれるかもしれない。
元々資生堂という企業は、単なる化粧品メーカーという雰囲気の企業ではなかった。
それは創業の地・銀座という場所にも関係しているのかもしれない。
どこかハイカラでおしゃれなイメージが、資生堂という企業にはある。
それを良くあらわしたのが、昨年創業150周年を記念して制作したCMだろう。
YouTube:資生堂150周年記念CM
このCMを見ていると、資生堂という企業が、日本の女性の生き方と寄り添うように発展してきた企業だということが分かる。
大正~昭和初めの頃の「モダンガール(=モガ)」と言われるファッションに身を包む長澤まさみさん、それから少し時代が進み百貨店のエレベーターガールに扮する小松奈々さん等は、その時代のファッションのフロントランナーのような存在だったはずだ。
そして彼女たちが活躍する場は、もちろん「銀座」だっただろう。
その後第2次世界大戦中~戦後という時代は、女性にとっておしゃれやファッションが、禁じられた時代でもあった。
だから、CMには登場しないのだ。
1960年代になり、社会が落ち着いてきたころに登場するのが、前田美波里さんの「太陽に愛されよう」というキャッチコピーのファンデーションだろう。
その頃になると、資生堂化粧品を扱うお店には「花椿」という冊子が店頭に置かれ、スキンケアやお化粧などの情報だけではなく、ファッションなども掲載されていたように思う。
「花椿」によって、全国津々浦々に「銀座の空気感」が届けられていたように、感じたではないだろうか?
それが、資生堂という企業が創った「文化」の一つだったように思うのだ。
その後、男性化粧品という市場を開拓するのも、やはり資生堂だったように思う。
1970年代初めの頃までは、男性向け商品と言えば、ポマードと呼ばれる整髪剤位だったはずだ。
当時「丹頂」と呼ばれていた、現在の「マンダム」が独占だった市場に入ってきたのが、資生堂の「MG5」だったように記憶している。
先日亡くなられた団時朗さんが起用され、「メンズスキンケアとフレグランス」という市場をつくり出したのだ。
それまでの「男らしさ」のイメージを一新させ、「清潔感のある男性像」を創り出した、と言ってもよいかもしれない。
今となっては、当たり前すぎるコトだが、当時は新鮮な出来事だった。
その後もフランス人クリエーター・セルジュ・ルタンスとモデル・山口小夜子さんを起用した「インウイ」は、独特の世界観で資生堂が海外進出をする足掛かりをつくったように思う。
常に資生堂には「モダンでおしゃれ、美」という言葉に彩られ、それが社会文化となるような力を持っていた。
その中心にいらしたのが、福原義春さんだったように思う。