あちらこちらで、「入学式」の話題が出るようになった。
公立の中学、高校の多くは「制服」があり、今頃は真新しい制服を着た新一年生の初々しい姿を見かける。
と言っても、そのような「制服」があるのは、多くの場合高校まで。
大学の入学式となれば、入学式にふさわしくもそれぞれの個性が現れた服装かと思いきや、今はそうでもないらしい。
朝日新聞:黒のスーツが染めた入学式 ICU学部長が感じた違和感
黒のスーツと言えば、就職活動中の学生を思い浮かべるのだが、今は入学式でも黒のスーツを着る学生が多い、ということのようだ。
せっかく「制服」から解放されたのだから、もっと自由に自分に合った服装を考えて、入学式に臨めば良いのに?!と思ってしまう。
もちろん「就職活動」を意識して、黒いスーツを用意したという学生もいるとは思う。
だが、そもそも「就職活動で黒のスーツを着る」というのが、当たり前のようになったこと自体どこか違和感を持っている。
「目立ちたくない」ということなのか?はたまた「みんないっしょ」という安心感なのか?と、考えてしまうのだ。
就職活動そのものは、面接などでいかに自分をアピールするのか?というのが、重要なポイントのはずだ。
それは面接の受け答えはもちろんだが、服装にしても「黒のスーツ」と指定されていないのであれば、グレーや紺といった違う色の服装でも構わないはずだ。
にもかかわらず「黒のスーツ」というのは、「みんないっしょ」という、安心感のほうが強いのでは?という、気がしている。
それはもしかしたら「働き方」にも通じているのでは?
日本の労働者の生産性は低いと言われている。
その背景にあるのは、恒常的な長時間労働である、という指摘があるのは、ご存じの方も多いと思う。
平成という時代は、「景気回復」と言われながら、多くの生活者は「景気実感が無い」という、「名目と実態」が大きくかけ離れた時代でもあった。
理由の一つに挙げられるのは、「実質賃金が上がっていない」という点があると指摘されている。
そのため「残業代で生活費を稼ぐ」という傾向が生まれやすい社会状況に、なってきている部分も大きいように感じている。
そこに日本人特有(というべきか?)の、「仕事をしている同僚(上司・部下)がいるのに、1人だけ先に帰るのは気が引ける」という、無意識のうちに「就労時間の同調」ということをしているのでは?という気もしている。
それがファッションとして表れているのが、この入学式や入社式の風景なのかもしれない。
表向きはこのような「同調社会=みんなといっしょが安心」という社会でありながら、このような入学式や入社式でのお揃いファッションが目立つようになってきた頃から、「自分探し」とか「セルフブランディング」という言葉を、聞くようになってきたように感じている。
あくまでも個人的な考えなのだが、「自分探し」とか「セルフブランディング」などに時間を割くことは、無駄だと思っている。
なぜなら、人それぞれの個性があり特別な存在だからだ。
「みんなちがって、みんないい」とは、金子みすゞさんの詩「わたしと小鳥と鈴と」の最後の言葉だが、他者と違うことで初めて生まれる関係性があるはずだ。とすればファッションは一番分かりやすい他者との違いを表す自己表現だと思うのだ。
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