Yahoo!のトピックスを見ていたら、センセーショナルな見出しがあった。
Presidenton-line:マイナ保険証IT現場は「死の行進」が起きている・・・日本が「デジタル敗戦」を繰り返す4つの原因
「死の行進」とは、穏やかではない見出しだ。
そして記事を読み進めていくうちに、「死の行進」の意味が分かってくる。
今回は、「マイナ保険証」のデータ入力ミスによる混乱について、となっているが、日本の場合このような「現場が死の行進」となる場合が、とても多い気がしている。
理由を挙げるなら、記事中にあるように「現場で仕事をする人」と、「現場に指示を出す人」の知識量と見通しの違いだろう。
日本に限らずかもしれないのだが、「現場で働く人」に対して、何となく軽んじるような社会文化があるような気がしている。
それが見直す切っ掛けとなったのが、「コロナ禍」で「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる人たちの存在が、クローズアップされたことだ。
「エッセンシャルワーカー」と、カタカナにするとカッコ良さそうに見えるが、その実は「替えが聞かない現場で働く人達」ということになる。
現場で働く人達がいないと、物流にしても介護や看護、システムそのものが動かない、ということが「コロナ禍」で判明したのだ。
そして「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる人たちの多くは、「コロナ禍」の中にあって「体を張って仕事をする」という、人達でもあった。
それに対して、「現場の指示を出す人」の多くは、現場から離れているためその実態が分からず、厚遇された場所で「高みの見物」のような状況だった。
もちろん、「コロナ禍」ではそのような人財は、必要か?という議論になった企業もあったようだが、「コロナ禍」が収束し始めると、再び幅を利かせるようになってきた。
問題となるのは、「現場に指示を出す人」と「現場で汗を流す人」との間には、「共通言語」となるモノがない、という点だろう。
「共通言語」というと、変な気がするかもしれないが「現場でどのようなことをし、どのようなリスクがあるのか?」等を知らない「汗を流さない人」は、自分の思い描いたままに物事が進むと信じている。
そして企業内・組織内での力関係は「汗を流さない人>汗を流す人」である。
日本の場合、それが「政治家>官僚>受注業者>下請け」という複数に重なり合った「力関係」の上に成り立っている場合が多い。
この多層力関係が、余計に「死の行進」へと導いてしまう要因となっているのだ。
マイナ保険証についていうなら、現在の状況を一旦収めることが一番効率やトラブル回避となると思われるのだが、政府は「このまま継続しながら、総点検」と言っている。
その為にどれだけの人と時間と労力が必要なのか?ということは、まったく考えていないように思われる。
当然、「人・時間・労力」を考えていないのだから、どこかにしわ寄せがくる。
それが「現場で汗を流す人達」なのだ。
このような「汗を流さない人達」の、知識量や現状把握、分析、問題解決の為のロードマップづくりなどができず、場当たり的な指示を出し続けることで、より現場は混乱し、ミスが増え労力ばかりがかさむ、ということが延々と繰り返されている。
残念なことに、このような状況は今回の「マイナ保険証」だけではない。
民間企業でもこのようなことは、起きているのだ。
それが「日本一人負け」という経済状況をつくっているのでは?と、考えている。