Yahoo!のトピックスを見ていたら、「なるほどな~」という記事があった。
新聞等に掲載をされた記事ではなく、Yahoo!独自の記事だ。
Yahoo!オリジナル:日本人のマスク着用率の高さは、意地悪な性格の裏返し?スパイト行動とは
ここ数日、昼間は真夏日を感じさせるような暑さが続く名古屋。
当然、この暑さの中マスクを着用して出かけていると、その体感温度は実際の気温よりも高く感じている人が多いのでは?
「コロナ禍」になった直後の今頃、「マスク熱中症」になりかけた私は、マスクを着用するよりもマスクを外す生活をするようにしている。
当然、世間の目は厳しく冷たいものではあるのだが、自分の体調を崩す原因が分かっていながら、体調を崩すことを優先する気はないし、体調を崩し寝込むような状況になったとしても、世間が助けてくれるわけではない。
その状況が分かっているからこそ、「感染リスクの少ない状況であればマスクを取る」という選択をしてきた。
そして、先日やっと国から「マスクを外すガイドライン」のようなものが発表され、「マスクを外す」コトが社会的に容認された気がした。
とはいうものの、Yahoo!等のコメントを読むと「これで感染が再び拡大したらどうするのだ!」という意見がある。
この「再び感染拡大をしたらどうするのだ!」という、思考の根底にあるのがこの「スパイト行動」ということなのでは?という、気がしたのだ。
そしてこの「スパイト行動」は、古くからあったのでは?という点でも、納得してしまったのだ。
というのも、日本は「暗黙の監視社会」ということが言われてきている。
「暗黙の監視社会」というと大げさな印象があるが、「自分が不利益を感じているコトを、他者がその不利益を得ていない」ということを、互いに監視しあっている、ということなのだ。
そのような「不利益を被っている」と感じるものは様々で、それこそ「個人の感じ方」なのだが、それが社会全体の「暗黙の了解」となってしまっているのが、日本の社会であるということなのだ。
悪いコトばかりではないとは思う。
それが「人に迷惑を掛けない」という、行動規範となっている場合も多々あり、それが災害時等では発揮されているからだ。
このような「人に迷惑を掛けない」という行動は、世界から称賛され「日本の精神を見習おう!」ということにつながっている。
すなわち「スパイト行動」の裏返しとしての、「日本人らしい公共性の高さ」ということになっているのでは?と、考えられるからだ。
ただここにきて、この「日本人らしい公共性の高さ」が、マイナス要因になってしまっているように、感じている。
それは「自分で考える」ということと「寛容性」の放棄という点だ。
違う言い方をするなら「自己的視点でしか、物事を見ていない」ということになるのかもしれない。
「他者の視線を気にした行動」であるはずなのに、それがいつの間にか「自分が不利益を被っているのに」という、自己的なモノの見方で判断をしてしまっている、ということだになるのだと思う。
だからこそ、国がガイドラインを発表しなくては「安心」できなかった、ということでもあるのだろう。