今日から仕事始め、という方も多かったのではないだろうか?
とはいっても、今年のお正月は例年とは違い帰省することもなく、百貨店などの福袋を買いに行列に並ぶことも無い「無い無い尽くしのお正月」を過ごされた方も多かったのでは?と、思っている。
例年通り?今年のお正月広告を見ていて感じたことがあった。
それは「広告も時代を表すものである」ということだ。
1月1日の新聞は複数の特別版に分かれている。
新聞休刊日+3日までのテレビ番組刷りであったり、お正月恒例のスポーツの特集であったりするのが恒例だ。
そしてこのような「別刷り版」には、普段目にすることが無い企業の広告が掲載される。
例年通りの掲載があったのが、出版社の広告だ。
それぞれの出版社が工夫をし、人気のマンガキャラクターを起用した広告などが多い中、文藝春秋の広告はひときわ目を引く内容だったように思う。
創業者・菊池寛が黒いマスクしたたずむ写真と共に、菊池寛の著書「マスク スペイン風邪をめぐる小説集」の一文を引用していたからだ。
心臓疾患を患っている菊池寛は、スペイン風邪が流行していた頃はマスクが手放せなかった。
スペイン風邪が収まりつつある中で、野球を観戦に行ったとき、一人の青年がマスクをしている姿に違和感を覚えた、という内容の文なのだが、この文章が書かれた100年前と今の状況はよく似ている。
そしてマスクをしていることが当たり前になった生活ではあるが、「新型コロナ」が収まりマスクをすることから解放された時、それまで「当たり前」であった光景に「違和感を感じる」ようになることは、今から想像できる「人の気持ち」だろう。
文藝春秋の広告は「ジャーナリズム」という視点で、文藝春秋という企業の在り方を「当たり前と違和感」という二つの視点で報じていきたい、という考えが創業者・菊池寛から引き継がれている、ということを訴えている広告だということがわかる。
それは「例年とは違う時間がたっぷりあるお正月」だからこそ、読者に菊池寛の言葉を読ませたかったのだろう、という印象を受ける。
そして、今年のお正月広告で一番目立っていたのは、Netflixだったように思う。
というのも、他の広告とは出稿量も広告を掲載する場所も、各段にお金をかけている!と、感じたからだ。
Netflixの広告は、暮れのクリスマスの頃から始まり「巣ごもり正月」を意識した広告だった。
これもまた「新型コロナ」の感染拡大により、例年とは違うお正月を過ごす人を意識した、お正月広告だったように感じている。
Netflixだけではなく、スカパーなどもお正月広告を出していたことを考えると、今年のメディアを引っ張っていくのはNetflixやスカパーなど地上波以外の企業かもしれない、という印象もあった。
話はズレるが、このような民放ではないメディア企業の力が強まっていくのでは?と感じさせる広告を眺めながら、NHKは一体どこを見ているのだろう?ライバルは民放では無くなりつつある、という意識に変わらなければ、受信料などNHKの根幹にかかわる問題そのものを見誤ってしまうだろうな~という、気がしたのだった。
最後に今年見ることが無かった「お正月広告」だが、これまでどのような時代であろうと「女性の美と生き方」という点にフォーカスしてお正月広告を出してきた「資生堂」が、お正月広告を新聞に掲載していなかった。
私のチェックが足りず、見逃しているのであれば教えていただきたいのだが、何度見ても「資生堂」の広告が定番の場所に掲載されていなかったのだ。
確かに、「コロナ禍」によって化粧品の売り上げは、良かったとは言えない。
「マスク生活」をするために、お化粧そのものを止めたという女性も多かったはずだ。
とはいっても「女性の美意識」の一つとしての化粧の提案や、生き方を反映させてきた資生堂が、お正月広告を掲載しなかった、ということはある意味衝撃的だった。
何より、資生堂がこれまで提案してきた「美意識と個性」は、「コロナ禍」だからこそ必要な提案ではないだろうか?と、感じていた。
それだけ「コロナ禍」は、企業に与えた影響が大きかった、ということなのだろう。
「お正月広告」は、企業から生活者に対しての「ご挨拶」という意味だけではなく、これから先「どのような企業を目指していくのか?どのような商品・サービスを提供していきたいのか?」というビジョンを、伝える役割りがあったはずだ。
そのようなメッセージが減り、「売る」ことが中心になった広告には「広告としての魅力」が亡くなってしまったようで、とても残念な気がしたお正月広告だった。