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日本の「ガラパゴス化」を考える

2011-12-21 19:29:57 | マーケティング
昨日エントリした「iPhoneについて」をUpしながら、考えていたことがある。
それが、今日のタイトル「日本のガラパゴス化」。

日本の携帯電話が、世界でも稀に見る独特の進化をしてきた結果として、「ガラパゴス化」してしまった、というのはご存知の通り。
スマートフォンが登場するまで、海外では「携帯電話=携帯できる電話」だった。
当たり前といえば当たり前なのだが、その間日本の携帯電話には様々な機能が付加され、とても便利な「何でもツール」に発展を遂げるかのように見えた。
しかし、スマートフォンの登場によって、一気に「ガラパゴス化」してしまう。
その理由を、昨日のエントリをしながら考えていたのだった。

そして一つ思い浮かんだことが、余りにもきめ細やかな「市場ニーズへの反応」だったのでは?というコトだった。
「市場ニーズへの反応」というよりも、「市場ニーズへの想像」と言ったほうが良いのかも知れない。
それは、メーカー側が「こんな機能があったら便利かも知れない」と、次々に付加していく過程で、おそらく市場ニーズというモノを探っていたと思うし、それなりの調査をしていたはずだ。
それが逆に、「遊び」を無くてしまったのでは?

iPhoneに代表されるスマートフォンの魅力は、自分が使いやすいようにカスタマイズをし、自分らしい価値を創っていくという過程がある。
しかし「ガラパゴス化」してしまった日本の携帯電話には、何でも搭載されていることで「遊び」が無く、逆に使い勝手が悪くなってしまったのではないだろうか?
言い換えれば、「便利すぎて、不便な携帯電話」になってしまった可能性がある。

日本国内ですらそのようなユーザー感覚があったとすれば、海外ではよりその印象が強くなってしまったのでは無いだろうか。
メーカー側からすれば「こんなに便利な機能が、たくさん搭載されているのに何故?」という疑問符ばかりが付き、ユーザー側からすれば「便利だけど、使いにくい」というギャップが、「ガラパゴス化」を生んでしまったような気がする。

日本の家電を中心とした工業製品は、これまで「いかに生活を便利にするのか?」というコトを中心に、考えられてきた。
そして、各社競ってそれを実現させてきた。
高度成長期のような時代であれば、それは大きな価値を生むことになったと思うし、事実大きな価値を生んできた。
だからこそ、日本の工業製品は世界で高い評価を受け続けることができたのだと思う。

ただ残念なことに、社会が成熟してくると「均一的便利さ」が、時として「均一的不便さ」になってしまう場合がある。
それが、日本の「ガラパゴス化」の大きな要因なのでは?
特にITといわれる分野では、それが顕著に現れたような気がしている。

日本の感性の中には、独特の「遊び感覚」がある。
余りにもきっちりと余裕が無いほどに作り上げられたモノではなく、どこか遊び心のある余裕感が、これから求められてくるような気がしている。