板鼻宿にあると聞いた「かねつ橋供養塔」を見損ねたことに帰ってから気付いた。
かねつは寒熱であるとの伝説があるらしい。
由来は、強盗が出るほどの寂しい道で旅人は自然と早足になり、寒い中でも熱い汗をかいたからですって。
裏に寛政四年の文字が刻まれた双体道祖神の前でリーダーが立ち止まり、なにやら考え込んでいる様子。
台座に刻まれているという色々な場所への距離を見ているのかしら。でもすぐに違うことが判った^^
道祖神の後ろに回りしゃがみ込んだと思ったら「こうすると手の生えたダルマに見えないかい?」ですって^^
板鼻二丁目交差点にある「やはたみち」と刻まれた板鼻榛名道の道標を眺めた。
側面に「はるな くさつ 河原湯 かねこ 沢たり 志ぶ川 みち」と刻まれているらしいが、拙は判読出来なかった。
板鼻宿の本陣跡は、安中市板鼻公民館となっておりました。
板鼻宿に行ったら、是非見たかったのが、この「てうちん屋」という土蔵造りの建物。
屋根の部分が家から浮いており、火災時の飛び火を防ぐ工夫がされているのだ。
旧本陣書院(幕末に皇女和宮が十四代将軍家茂に輿入に江戸へ向かう途中、泊まった)などを見て宿内をうろうろした。
途中、チェーン切れが発生したが、宿内の三沢輪店で工具をお借りして事なきを得た。どうもありがとうございました。
鷹巣神社へ続いていたであろう石橋(神社は正面崖上に鳥居と石宮があった)を右手に眺め、安中宿へ向かった。
板鼻付近は、義経伝説が多いのだけど、今回はスルーでありました。また日が長くなった頃に再訪であります。
今回の折り返し地点である安中宿に到着。ここまでの距離:55.9km。
旧碓井郡役所や武家屋敷を眺めながら宿内をうろうろ。
安中市役所の駐車場脇の「安政遠足」と刻まれた記念碑を見物しにいった。
安政二年、藩士の体力を競わせる為に、藩邸から碓氷峠の熊野神社まで武具を装備して走らせたらしい。
その距離、22km強・・・う~ん、遠足って厳しいものだったのだなあ。
リーダーの覗きのポーズは、堂々として年季が感じられるのだ^^
記念碑の脇にある石に開けられた穴を覗くと、碓氷峠が見えるらしい。
う~ん・・・よく解らない^^
つづく
朝廷と幕府の間で翻弄されながらも家茂への愛を貫いた人だったようですね。
名前くらいしか知らなかったので勉強になりました。
それから小さい頃にはわからなかった「公武合体」のもう一つの意味もね。^^
むむっ。岩穴をこっそり(でもないか^^)覗いていらした御方と同一人物とは思えぬ知的なコメントですこと^^
行列の大きさこそ権力の大きさだったのでせうね。それに比べて拙達はたった二人でお供もなし・・・
でもKV合体といえなくもなかったですね^^
リーダーのお茶目なポーズと、いつもの?覗きポーズが良い味を出しています^^
その覗いた先まで行く! なんて話を耳に(目に)しました。
どうか誘わないで下さい(笑)
手が生えた道祖神もカワイイです(笑)
中山道沿いに走ると10km前後毎に見所があるのが嬉しいところです。
覗き穴の先まで行っても片道100kmないでしょうからエースなら楽勝でしょう^^
前もって下調べして、メモも持参したにも関わらず、見落としが多いのであります。
まあ、これからも何度も往来するから、いずれ制覇出来ると思いますが、覚えている自信なし^^