漕げばロードの日和あり^^

ひねもすポタリポタリかな。
自転車活動や食べた呑んだ等あれこれを行雲流水のように書き綴っています。

南畝の見た芭蕉塚はどこかいな

2013-02-27 06:57:36 | 中山道 野次馬道中記

紀行文を読むのが好き。それも古いやつが良い。

そこに出てくる場所が今はどうなっているのか、あれこれ想像するのが楽しいのです。

そして自転車で行ける範囲であれば、それを目的にルートを決めたりしている。

埼北地域を題材にした紀行文では、幸田露伴の知々父紀行や田山花袋の秩父の山裾等が有名だろう。

熊谷から寄居、長瀞、秩父。または小川町辺りの昔(明治、大正)の雰囲気が味わえるので面白いと思う。

 

今回は、もっと古い時代に中山道を旅した大田南畝(なんぽ)の壬戊(じんぼ)紀行を読む機会があった。

特に、馴染みの本庄から熊谷辺りの記述を興味深く読んだのだが、ぱっと頭に浮かばない場所もあった。

牧西⇒小山川⇒榛澤郡総社島護大明神⇒岡部忠澄の墓⇒普済寺⇒宿根村⇒深谷の驛。ここまでは判った。

次に、左に観音堂⇒左右に松杉檜⇒左に芭蕉塚⇒東方村⇒かご原村⇒にゐほり村⇒のきぐゐ村⇒新島村とある。

はて?観音堂と芭蕉塚、のきぐゐ村って何処だろう?

もっとも享和二年(1802年)の話なので、その場所が無くなっていても不思議はないのだが、見に行ってみたのです。

 

今回は観音堂と芭蕉塚を探しに、深谷駅方向から、深谷の常盤町から国済寺辺りの中山道を走った。

観音堂は全く判らないまま、R17号を交差した。

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見返りの松から幡羅中学校の辺りは、昔は松の並木が見事だったと地元の方に聞いていた。

今も松の木が何本か生えており、南畝が記した「左右に松杉檜」は、この辺りじゃないかしら。

「塚」というと、土が盛り上がった地形を思い浮かべてしまうが、「芭蕉塚」は芭蕉の句碑も含まれるらしい。

左手にそれらしき場所を探しながら、ゆっくり走っていたら、愛宕神社に芭蕉の句碑がありました。

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「冬枯や 世は一色の風のおと」

ようやく芭蕉塚を見つけたぞ・・・と思ったのですが、この句碑は昭和12年建立と刻まれていた。

少なくともこの句碑は南畝が見たはずがないものでありました。

南畝が歩いた時代に、ここに別の句碑があったのか、それとも全く違う場所なのか謎は深まるばかりなり。

 

次は十返舎一九の続膝栗毛を真似て、本庄から熊谷辺りを、特殊なボトルを持ってポタってみようかな^^