浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

防災の日

2020-09-01 | 日々是好日

みんなの頭の片隅にはあるが、明日起こるとは考えていないものの筆頭は、地震ではないだろうか。

「自分の身は自分で守らなくては」と思うのだが、非常持ち出し品の準備はしていない。

「そうなったら、そのときはそのとき」で考えている。

天地異変は自分の意志とは無関係にやってくるから、そのとき自分がどういう状況になるか、もうこれは運を天にまかせるしかない。

大きく揺れたとき、尻を出していたらちょっと困る。

便座に座り、どうも尻が動くなと思ったら地震だったりしたら「ありゃりゃ、ありゃりゃ」と言って揺れが収まるのを念じるしかない。

風呂に入っているときに大きく揺れたら不幸だ。

尻を出すどころか、すっぽんぽんである。

家が倒壊したら下半身丸出し、あるいはすっぽんぽんで瓦礫の下に埋まってしまう。

とにかく大地震はいつか必ず来る。

いつも地震のことばかり考えて、怯えて暮らすような過剰反応はしたくはないが、それなりの準備はしておきたいものだ。

とにかく尻を出していないときに揺れてほしいと願っている。

 

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寄る年波

2020-09-01 | 定年波止場

「ノストラダムスの大予言」によると、1999年には人類が滅亡する予定だった。

この本が出版された中学生の頃に、1999年(平成11年)に自分がいくつになっているのかを考え

「41歳か、相当なじじいだな。もうその年齢になったら、やりたいこともみーんなやってしまっただろうから、人類が滅亡してもいいや」

などと思っていた。

ところがいざ自分がその年齢になると、やりたいことなど何もやっていないことがわかって、こっちのほうが人類の滅亡より恐ろしいくらいである。

あれからまた20数年。

本当は人類滅亡の予言など信用していないのだが中年の総大将から高齢者の一番下っ端の年齢になったが、やっぱり世の中のために何の役にも立っていないことを痛感している。

というよりも、昔のほうが自分の将来のことや人生などを真面目に考え、そして記憶力がよかった分、今よりずっとマシだったような気がするのだ。

まだこうしてくだらない記事が書けることはシアワセだが、肉体はしっかりと歳をとっている。

やりたいことは山ほどあるが、恋愛エネルギーは低下し、休火山から死火山へ。

女を泣かしたことはないが、泣かされたことは数えきれないほどある。

暑さで身体は辛いけど、心はシャンと生きるのだ。

まだ前向きに生きている…

つもりです。

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