goo blog サービス終了のお知らせ 

浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

17年目に突入

2023-09-13 | 定年波止場
歳を重ねてくると、自分を飾るような記事など書く必要は全くない、とつくづく思う。

ストレートに今の自分を表現するのが一番である。

当ブログもかれこれ16年くだらない記事を綴ってきましたが、何だか近頃お疲れ気味である。

早い話がマンネリ化のネタ切れ。

ですがボケ防止のためには継続したほうがいいのかなぁ…

などと思う間もなく前期高齢者に仲間入りするジジ。

いつまで続くか分かりませんが、小ネタを拾いながらでも続けたいとは思うのであります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弱腰ニッポン

2023-09-01 | 定年波止場
福島原発の汚染水問題で揺れる日中間。

中国に対し、余りに腰抜け対応のキシ蛇総理に希望など全く感じない。

総理大臣になりたかっだけの選挙区だけは被爆地広島。

生まれも育ちも東京永田町。

はたしてキシ蛇は、いったい何なのか。

説明責任をアンタに聞きたいわ…

全くバカとしか言いようのないキシ蛇内閣である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シニアの事情

2023-08-21 | 定年波止場
老後はお金はないよりはあったほうがいいかもしれないけれど、お金があるからといって安心できるものではない。

貯蓄額が多いからといって、その人たちみんなが老後に不安を持っていないわけではなく、貯蓄額が少ないからといって不安をつのらせているわけでもない。

何かあったら不安だとか、身体が動かなくなったら、認知症になったらどうしようなどと心配事は尽きない。

人というのは、まだ現実に起きていないのに、自分で不安を作り出してしまうものらしい。

日本は国土が小さいにも関わらず、地震などの天変地異が多く、ある程度いつも危機感を持っていないといけない環境にある。

確かに国民のほとんど全員が、楽天的で何の危機感も持っていなかったら、大地震や天災が来たときに「あれー」といいながら、命を失う可能性もある。

自分が楽しいこと、楽な方向を優先して、タラタラと過ごしてきてこの歳になるまで過ごせたのだから、運が良かったとしかいいようがない。

さすがに歳を重ねると、今日できたことが明日できなくなるのならまだしも、今日できることが今日できなくなる可能性が大になってきたような気がする。

残された時間は少ない。

だから無理のない範囲で、今日できることは今日のうちにやりたいと思うようになった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スマホ沼

2023-08-18 | 定年波止場
スマホがあれば本も書け、作曲もでき、絵も描けるスグレモノであるが、若い人たちがまるでそれをお母さんのお腹から握って生まれてきたかのように、いつもスマホを手から離さないのが不思議で仕方がない。

命よりスマホが大事なのか。

高速道路のSAやPAのトイレの中には必ずといっていいほど、スマホや財布の置き忘れの注意勧告がしてある。

トイレに行くときにすら持っていく大切なものを、何で忘れるのか。

用足しの間にでも寸暇を惜しんでスマホから情報を得ようとしているのか。

それほど情報に飢えているのか。

そしてそんなに頻繁に、連絡を取り合う必要がある人が多いのだろうか。

あれだけスマホを命と同等か、それ以上に大切にしているのに、忘れるのは信じられない。

スマホを手から離せなくなった人は、ベットの中でさえもずーっと沼に浸かっているという。

朝起きるとスマホを持ったまま寝ていたという人もいるそうだ。

すでにそういう習慣ができてしまった人は、それから抜けるのは大変だ。

沼のほうも手を替え品を替え、興味がありそうな情報や広告を出して、引きずり込もうとしている。

そういった生活が楽しいと感じている人もいるだろうから、やめなさいとは言えないが、自分は断固として沼にはまらないと心を引き締めるのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盆休み

2023-08-01 | 定年波止場
8月になりましたね。

間もなくお盆休みであるが、お盆休みは自分にとってつかみどころのないものであった。

お盆なので故郷に帰省するとか、両親や義両親に会うのが楽しみだ…

という話を聞いても、遠い国のローカルなお祭りの話でも聞いているような、何と言うことのない顔をして黙っている。

帰省も義両親に会うことも想像できないからである。

8月13日から16日がお盆ということで見解が一致している。

地域によっては7月13日からが新盆で13日が迎え日、14日が中日、16日が送り日と決まっているらしい。

15日について明記されていないのは、地域によって解釈が違うからだそうだ。

実家に住んでいるうえに、生まれ育った地域からほぼ動いていない人間が、今年もあづいなぁ、雨降らんかなぁ、とボヤくのが関の山である。

千夜一夜のことですからね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

話しかける

2023-07-25 | 定年波止場
知人に、生き物に話しかける人がいる。

早い話が草花に話しかけたり、メダカなどの生き物に話しかけるということですね。

でもそれって凄くいいことに違いない、と思う。

言葉は伝わらなくても、心意気は絶対繋がるだろうし何より生きる喜びを生き物に伝える…

ってことが素晴らしい。

アタクシには真似ができないことですが、何か違った形で世の中のために貢献できたらウレシイと思うのであります。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小まめに

2023-07-18 | 定年波止場
人間歳をとってくると、些細なことに難くせをつけたくなる。

最近で言うと「熱中症の予防のために小まめに水分を取りましょう」というやつ。

猛暑が続くと一日に一回は必ずこのセリフを聞く。

いろんなテレビ局の画面からこのセリフが聞こえてくるわけだが、どの局もまるで申し合わせたかのように「小まめに」を使う。

この「小まめに」という言い方が小賢しい。

それと「小まめに水分を取れ」と言ったあと「喉が渇く前に飲め」というやつ。

でも考えてみれば、人間はそんなにしょっちゅう喉が渇くものではない。

喉が渇いてない状態が、むしろ常態なのだ。

でも飲めという。

そこでチョビッと飲むわけだが、喉がカラカラに乾いているときにガブガブ飲む水は天下の美味だが、渇いてないのにチョッビッと飲む水ほど美味しくないものはない。

子供の頃、体育の時間が終わったとたん、みんな一斉に運動場の隅にある水飲み場に駆け寄り、水道の蛇口の下に顔をナナメに突っ込んで顔中に浴びるようにしてゴクゴク飲んだ水の美味しかったこと。

水はゴクゴク飲んでこそ美味しい。

などと前期高齢者に片足突っ込んだような歳寄りは、こんな些細なことに難くせをつけるのでした。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わからないご時世

2023-07-11 | 定年波止場
日本はだんだん分断が進んできて、豪勢な生活をしている層もいれば、今日のご飯に困っている人もたくさん出てきた。

いつからか「上級国民」という言葉が出てきて、それもまた精神的に分断化にも影響している。

社会的に地位のある人、たくさんの報酬を得ている人たちがいるのは事実だし、当然それは昔からずっとあったことだ。

これは他人と自分を比べる悪しき癖が、世の中に広まった証である。

経済に疎い自分でも、あまりいい方向にはいっていない気がしている。

だいたい消費税はもともと将来の高齢化社会を考え、安心できる老後を迎えられるようにというふれこみだったはずだが…

ゼロから10%になった現在を比べると、税金を取られた挙句、余計に世の中が悪くなったような気がする。

これでは高齢者が不安になるのも当たり前である。

新型コロナウィルスの感染拡大時の一時金にしても、喜んでばかりはいられない。

この国が、タダでお金を配るわけもなく、他の新たな税金の仕組みを作り上げ、配った以上のものを徴収しようと考えているに違いない。

某総理大臣が国会で「税金は国民から吸い上げたもの」といったのが、国の本音なのだろう。

自分たちのこれまでの政策のミスを棚に上げ、最近は国も銀行もやたらと投資を口にするようになった。

老後が心配なら、こういう方法もありますよといいたいのだろうか。

小学校から経済や投資に関する金融教育の授業をするという話も聞いた。

この先若い人たちは年金も少なくなるだろうし、生活の格差は激しくなっていくだろうから、国が「お金は自分で何とかしろ」という教育を推し進めるのではないか…

などと思うのであります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠ざかる青春

2023-07-05 | 定年波止場
誰にでも青春があった。

青春が無かった人はいない。

と、ここまで書いてハッとなった。

何のためらいもなく過去形で書いている。

人は人生のどのあたりから青春を過去形で語るようになるのだろうか。

人生は大きく分けて、赤ん坊時代、幼年時代、少年(少女)時代、青春時代、中年時代、老年時代に分けられる。

最近はこのあと認知時代というものを加える人もいる。

本文を読んでおられるお方は、ほぼ自分と同年代だという前提で話を進めます。

いま、自分の青春時代をどう思いますか。

「確かにあったよな、オレにも青春時代が」

リタイアした人たちと一緒に飲みながら出る話題と言えば、年金、病院、持病、持病を共有する人たちと共通の薬の話、老人施設、お墓の話、遺言の話になっていく。

自分の葬式はこうしたい、ああしたい、いや自然の成り行きに任せた方がいい。

などと、ここで議論が白熱し、とても青春時代の話が出てくる雰囲気ではない。

仲間内で酒を酌み交わすとき、お墓の話ばかりしないで、たまには青春時代の話を取り入れてみてはどうでしょうか。

と思って、そういう場で隙をうかがっては話を持ち出そうとするのだがその都度「今はそれどころじゃない」。

ということになって、その都度一同は葬式の話に戻っていく。

青春を熱く語る老人は、もはやどこにもいないのだ。

もしかしたら、今が自分の青春を再検討するラストチャンスかもしれない。

などと思ったりするのでした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医者を変えるは悪い癖

2023-06-26 | 定年波止場
前期高齢者に近づくと、身体のあちこちに運動機能の低下や、疲れが取れないという症状が生まれてきます。

若い頃は、そんなことひとつも心配することなく、元気いっぱいYMCAヤングマン西城秀樹でした。

それが幾つか月日を重ね…

高血圧、中性脂肪、尿酸値が高いと毎日欠かさずお薬を飲め…という指示がある。

医者も結局は客商売。

評判が良ければ繁盛するが、そうでないと衰退する。

長年同じかかりつけ医にお世話になっていると、今更他の医者にお世話になろうとは思わないのですが…

それも問題かなぁ…

かと言って、主治医は今まで通りで貫きたいと思うのであります。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする