島根県には高島屋が無い。
と明石家さんまが司会する番組で笑っていた。
それがどうした。
高島屋が無くても全然不自由しない。
そんなこと言って笑っていると、そのうち罰が当たるぞ。
と言いたくなる、頑固老人初心者なのであった。
島根県には高島屋が無い。
と明石家さんまが司会する番組で笑っていた。
それがどうした。
高島屋が無くても全然不自由しない。
そんなこと言って笑っていると、そのうち罰が当たるぞ。
と言いたくなる、頑固老人初心者なのであった。
ちょっとした会などの役員などをしていると、ときどき役員会とかがあって会議に出席することがある。
そんな役を幾つも抱えているわけではないのでそうそう頻繁にではないが、役員会というのはほとんどが週末の夕方6時から7時以降から始まる。
そして概ね1時間程で会議は終了し、そのあとは飲み会へと移行する…
という時代を過ごしてきた。
乾杯の音頭の前の講釈がやたら長い人もいてグッタリすることもあるが、いざ宴会が始まるとそんなことも忘れ、終わりのない宴会が続いたものであった。
だが今のコロナ禍。
みんなそれではよろしくない、と思い始めた。
役員、代議員の出席するような会議の場は減り、昨年までは宴会の代わりにビール券などを配ったりしていたが今年はそれも無し。
それが当たり前になってきたことを、みんな共通の認識としてとらえている。
あぁ~、でもなんか淋しいなぁ。
あの昭和の時代の、「まーまーおひとつどうぞ」とお酌をする行為。
芸者遊びとはいかないまでも、浮名を流すようなムードが懐かしい恋しい夢よもう一度。
あれもこれもすべてもう過去のモノなんですかねぇ。
昭和は過去のモノになりつつあるのでしょうか。
歴史は物語る。
などとやがてNHKのアーカイブス番組になりそうな気がします。
会社を定年退職したおとうさんたちが、退屈まぎれにまず最初に取りかかるのが自分史の編纂だという。
自分はこれまでいかに生きてきたか。
定年という区切りを契機に、一度総まとめをしておきたいという気持ちになるらしい。
〇年〇月〇日、〇〇県〇〇町〇〇番地にて産声をあげる。
父 〇山◇男
母 △子
と書いているうちにだんだん気分が高揚して、文体も荘重になっていく。
余はいかにして定年退職を迎えしか、という気分になっていく。
そしてどうしても全体が偉人伝風になる。
ジョージワシントンの桜の木の枝を折るサワリ、野口英世が囲炉裏に落ちてやけどをした手をジッと見て医者になる決意をするサワリ。
そういう自分なりのサワリもさり気なく潜ませてある。
パソコンを駆使して、ところどころに記念の写真を配した簡単なものから、ちゃんとした出版社に頼んで立派な本に仕立てている人もいる。
そうした自分史は、正直言って読んでもひとつも面白くない。
他人の人生に人はあまり興味を抱かないものである。
したがって自分史など綴っても何の意味もないので、アタクシはそんな無駄なことはしないのであります。
サウナ風呂に我慢に我慢を重ねて入っていて、肌がチリチリに熱くなり鼻の頭が真っ赤になり額からは汗ボタボタ。
あー、もうダメ、我慢の限界とサウナのドアを体当たりで開けて飛び出し、まんまんと冷たい水をたたえた浴槽にカエルのようにドッブーンと飛び込む。
首までつかり、ついでに頭の先までつかった瞬間というものは、これはもう快楽の極致といっていいほどのものがある。
サウナの快楽は、この一瞬にこそある。
灼熱の密室の中の時間が楽しいはずがない。
この一瞬を味わいたいがために、灼熱の時間をじっと我慢している。
だが高齢者予備軍ともなると、水風呂に入るのを躊躇する。
もし万が一、心臓がビックリ驚いてあの世からお迎えが来たらマズイでしょ。
こんなところでスッポンポンのまま三途の川を渡りたくないしね。
などと考えると、もうサウナの水風呂は入らない方がいいお年頃なのかなぁ、などと思うのであった。
現代人は平らな堅い地面しか歩かない。
けしからん
田んぼで働いていたら、足がズブズブもぐってしまうはずではないか。
皇居の周りの堅くて平らな地面だけひたすら走って、運動したなどとほざいている。
とんでもないことである
皇居の中では、もったいなくも天皇陛下が田植えをなさったりしているのであるぞ。
斜面を登るときも、階段しか使わないではないか。
その階段といったら、一段ごとに幅も高さも同じにしてある。
あまつさえ、その階段自体を動かしてエスカレーターなどと称している。
それで何が運動不足で、何がメタボリック症候群か、何がダイエットか。
ふざけるな
敬老の日はなんのためにあるのだ。
そんなこんな矛盾を感じないような若者が、将来ロクな人間になるわけがないだろうが。
サッサと外へ出て、身体を使って働け。
と小言を言うようになってしまった、年寄り予備軍であった。
あなたの将来のために年金を払えといいながら、いざ支払う段になると出し渋る。
おまけに信用できない会社がよく広告でやっているような「70歳で最大42%UP」という手法の下品さ。
ただ呆れるばかりである。
これから先、前期高齢者や若者の人口が減少するのに対して、後期高齢者の人口は増えるばかりらしい。
お金が足りなくなって、途中から保険制度や年金の仕組みを変更ばかりしている。
国としては表立っては長生きを推奨しながら、実際には長生きされるとちょっと困るという矛盾。
いやな国になってきたなぁ。
ときどき日本年金機構から、年金に関しての通知を受ける。
まだ年金を支払ってもらえる歳ではないが、大切なお知らせと書いた紙が入っている。
「受給開始を繰り下げると年金は増額できます、70歳で最大42%UP」
「受給開始を遅らせるほど、受け取れる年金額は増えていきます」
の「受給開始を」から「増えて」までアンダーラインが引いてある。
それだけでなく、ご丁寧に大きなグラフまで描いてあり、支給を一年遅らせると8.4%、二年で16.8%、三年で25.2%、四年で33.6%、五年で42.0%UPと書いてある。
そして65歳の人の平均余命まで書いてあった。
それを見たら「こいつら、年金払う気がないな」と頷いた。
少しでも遅らせれば支給金額が多くなりますよ、と言っておきながら絶対にその間に死ぬのを待っているのに違いない。
若いころにはそんなことなど全く考えなかったが、前期高齢者ともなると疑い深くなるのだ。
ふざけんじゃねえよ、まったく。
年齢を重ねたら無理をせず、季節の気温に応じた寝具を使わないと、睡眠に多大な影響を与える。
気持ちよく感じるポイントは人それぞれ違うけど、睡眠が今一つという人はベットや布団に入ったときに「ああ、幸せ」と感じられるように、寝具の素材を替えてみるのもいいかもしれない。
季節に応じて寝具を見直すって、とても重要なのことだ。
意外にも寝間着を着ている人は少ないらしい。
家に帰ったら部屋着兼寝間着に着替えてそのまま寝るそうだ。
ちょっと古びてきたものを部屋着兼寝間着にするらしい。
世代的なものかもしれないが、かつては外出着、部屋着、寝間着とキチンと分けて着るのが当たり前だったので、ほとんどの人は必ず夜は寝間着に着替えていた。
今は部屋着兼寝間着と簡素化されているようだ。
ただ寝間着に着替えるという行為が、眠るというスイッチを入れるきっかけになることもあるので、パジャマに着替えたほうが睡眠にはよさそうだ。
季節の変わり目は体調を崩す人が多いけれど、日中の服装だけではなく、寝ているときに着るものにも注意を払うといいのではないかと思うのである。
人生は良いことばかりが起こればいいけれど、実際はそうではない。
新型コロナウィルスの蔓延もそうだろう。
商売をたたんだり、失業したり、資金繰りに苦労したりと、様々な弊害が出ているのも事実だ。
これらはとてつもない大災難である。
この件があって思うには、日本の上位に立っている人たちがどれだけ私利私欲に走っていて、どれだけ頼りにならないかがよく分かった。
ただ彼らを選んだのは自分たちである、というところは胸に刻んでおくべきだろう。
一方でそれぞれの生活の中で、小さな福もあったのではないだろうか。
家族と話す時間が増えた、子供の成長を見守れたなど前向きに考えたい。
困ったときに人の本性は露呈するものなのだ。
何ひとつ、いいことなんかないという人でも、天気のいい日に青空を見上げれば少しは気分が晴れるだろう。
誰もが自分のそばに必ずある小さな福を、見つけられるようになればいいですね。
夏の夕方、積乱雲が空にモクモクと立ち昇っていって急にあたりが暗くなる。
ポツリと一滴手に当たったと思ったとたん、ザーッという激しい音とともに降ってきてすぐに通り過ぎていくにわか雨、通り雨とも言った。
そのあとあたりに雨上がりの匂いが立ちこめる。
土埃が雨に打たれて舞い上がり、それが雨の湿気と混じってあたり一面に漂う。
にわか雨ということになると雨宿りということになる。
すぐ止むことがわかっているので、しばしよそんちの軒下で雨が止むのを待つ。
雨が止んだあと、ふと見上げれば上空に七色の虹。
懐かしい昭和の匂いがこもっている。
いま急に降ってくるにわか雨はゲリラ豪雨という名前になっている。
土煙立たず、いま人家に軒下なし。
昭和の時代は人んちの軒下で宿っていた。
学校から帰宅時に、にわか雨があるとお迎えというものがあった。
いま「お迎え」は不吉な言葉であるが、昭和の時代のお迎えは嬉しくて楽しい学校の出来事だった。
ピッチピッチチャップチャップランランランの出来事だった。
下校時ににわか雨が降ると、母親が傘を持って学校に迎えにくるという習わしがあった。
昭和の時代の母親はパートに行かずいつも家に居て、いつ雨が降ってきてもいつでもお迎えに行けたのである。
そうして母親と一緒に学校から帰りながら、♪あめあめふれふれかあさんが、じゃのめでおむかえうれしいな、ピッチピッチチャップチャップランランラン、と歌ったものだった。
ピッチピッチチャップチャップランランランとは当時の道路事情を物語っている。
当時の道路は舗装されておらず土だったので、あちこちに穴ぼこがあいていた。
その穴ぼこに雨が溜まって水溜まりというものがあちこちに出来る。
この水溜まりにわざと長靴で入っていくときの音がピッチピッチチャップチャップである。
そしてランランランになったものだ。
「蛇の目」というのは傘のことである。
令和の時代になって死語に近いかもしれないが、蛇の目傘、蝙蝠傘と呼ばれた傘があった。
軽すぎるビニール傘をさして歩きながら、昭和の時代を思い出すのであった。