23日(土)関空から半日の時間を利用して、飛鳥時代重要な地、難波の宮を体感します。
日本最初の仏教寺院、四天王寺から難波の宮まで。なぜに聖徳太子はここで日本最初の仏教寺院を?、なぜに皇太子中大兄は飛鳥からこの難波の地への遷都を?
関空を12時半過ぎにJRで天王寺へ、いつものように天王寺のモンベルデガス購入。
昼食を済ませ2時近くに四天王寺へ、ところがスマホ歩きでない悲しさ(この年になって歩きながらインターネットをする気にもならず、通信費は必要最小限、昭和の人!)。
動物園!違うぞ!で通りがかりの人に道を尋ねてやっと一回りして西門に(以前の記憶にあり、今時外人さんでも道を訊ねません!)。 まさに標高は20m程の高台です。
周りが葦原の時、高台に朱塗り、瓦屋根の五重の塔が出現する情景を想像するだけで、感動ものです。
四天王寺さんは以前訪ねていますので仏さんは素通り、境内、善男善女と早咲きの桜。
上町筋を歩きます。 上本町の新歌舞伎座?大阪らしいな~。 千日前通り、ここが台地上である様子が判ります
朱雀大路入口になるんですが・・・、碑文も何もありません。 通りかかりの同年輩の人に訊ねると“何ゆうとるね?”と言った感じ。
明日香、奈良時代の日本の玄関。
中大兄皇子の傀儡として立てられた孝徳天皇(645~654)の時に難波の宮に遷都しますが、なぜか(中大兄に訊けないので)10年弱で后(中大兄の妹)や皇太后と一緒中大兄はに明日香に帰り、翌年寂しく薨去する。
のちに聖武天皇も一時仮宮としている。
時間も4時近く、今日の宿高槻の姉宅へ遅くならないうちに、地下鉄谷町線谷町4丁目へ。ここには大阪歴史博物館があります、残念!。
明日は姉達と知恩院へお参り、嵐山でお泊りです。
26日(月)からの壬申の旅(大津から名張4泊四日)はこの後追ってまとめアップします。
図書館本“橘三千代”返却日過ぎてるぞ!
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