3月29日(金)晴れ;5:30起床
今日は梅原猛「聖徳太子」を訪ねます。聖徳太子が育った?明日香上之宮、推古天皇“小懇田宮”、海柘榴市に立ちたい。
今度は一晩中犬が吠えて・・・、飼い主は煩くないのか?(施設?には・・・)。大きな家です。
一日目はキツネかタヌキ、二日目はトラックの騒音、三日目は仮橋の通過音、静かで温かいお布団でじゃなく五感を研ぎ澄ませても人にとって大切なのではと・・・(ただ笑われるだけ?)。
倉橋の溜池。 ここは目立ちませんが・・・、まさか!。
6:36日の出?倉橋の。
7:15撤収。桜はこれから。 溜池の奥から明日香倉橋へ向かいます。
案内板ではこの辺りが崇峻帝倉橋柴垣宮となっていますが・・・
ここが宮跡とは?
時代から、ここに宮の敷地確保や尾根筋での水の確保等から案内表示は適当ではないと。
宮跡にできた“グランビレッジ倉橋”
去年の夏オープン予定、職員募集?人の気配が・・・。
談山神社まで4㌔。 談山神社に続く町石(ちょうせき、1町=109m)
蘇我馬子によって物部守屋討伐の後、天皇に推されるが、馬子を排除しようとすると逆に殺される。臣下に殺された唯一の天皇。次に推古天皇・聖徳太子・馬子による中央集権が始まるが、3人の後の蝦夷、入鹿の専横から大化の改新へ流れる、きっかけとなった天皇?
旧道の様子、村当番?! 談山正宗醸造元 庄屋酒本舗。
10年以上古酒!欲しかったな~。
桜井上之宮方向(聖徳太子が斑鳩に移るまで住まいした所)。
先に大きな鳥居?
国土地理院では左街区に表示、実際は右街区、探しあてた後ここに戻ってきました。
次は草墓古墳、土舞台。磐余路、井上靖の銘。
磐余;明日香以前の大和王権所在地。
緑看板に土舞台表示。 住宅街道路奥に小さく案内板?普通見逃します。
完全に位置関係をロストしてしまいました。
うろついている内に安倍文殊院に、国宝ありでチェックしています。
本堂、外観は古そうですが内部は宝物館? 文殊菩薩
密教仏具五鈷杵
安倍倉梯麻呂の墓?草墓古墳?マ、イイカ。
立派な玄室でした。
10時過ぎています。海柘榴市は諦めて小懇田宮へ。
この現場2回目失礼ですがこの構造では長く持たない!ベースと壁の接続箇所に力が集中して保ちません、ハンチか控え壁を!なんて。
近鉄桜井駅へ行ってザックを降ろして回らないと時間が押しています。
飛鳥時代の横大路方向。 過っての横大路初瀬方向
横大路竹内道へ
戒重交差点 橘街道方向。太子の通勤路?斑鳩まで直線距離14㌔。 飛鳥時代での三輪山を想像
倉橋、鳥見山から宇陀の山々。狭い明日香の地から出て日本国の都、ここで隋からの使者を迎えます。
明日香雷丘の小懇田より梅原説に納得します。
この大路は春分・秋分時三輪山の日出、二上山の日没を結ぶ道?幅は当時20m以上?西は飛鳥時代難波からの竹内道へ(大和朝廷進入路)。東は三輪山麓初瀬入口(初瀬川の畔)の当時最大の市場、海柘榴市。まさに日本の中心。
卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳もあります。
12時前に桜井駅に戻ってきます。駅近くのお弁当屋さん(手づくりそうざい ふじもと)へ入ります。
少し待ちますが、注文後に作るので自宅の食事同然、値段も480円、お得感。急行はボックスでないので慌ただしく駅前ベンチで。
12:07桜井発で難波経由関空へ。2時過ぎ時間通り関空、例によって551でチルドセットお土産に(いつものことながら匂いが気になりますが・・・)。
16:15のピーチ、機体点検?の為出発遅れ!(ヤバいかな~)。 一時間ほどの遅れでテイクオフ。
20年ほど前ツアーで2泊三日29,800で姉達が北海道に来ていた時、航空運賃が下がれば観光客が増えるな~、なんて思っていましたが、今関西まで往復一万円、近くなったものです。一方で新幹線、いくら札幌まで伸びても今の料金では、飛行機が嫌いな人でないと利用しないのでは?
昏くなった札幌の街、なんだか白く、まだまだ北海道は冬でした。
学生時代のワンゲル活動が役立ってる老後?ハハハです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます