6月29日(火)中国一人旅も要領を得たようで、これから河西回廊へ向け体調万全!
列車は7:53、7時過ぎには押金清算して退房、腹ごしらえに駅近くで包子の湯気上がっているお店へ、おじさんとこども2人、おじさんが親父かと「飯食べれるか?」、親父ポケーとして出て行きます、残ったのは2人の子供?「親父は?」「居ない」「包子食べれるか?」「良いよ」「希飯あるか」「没有」。メニュー持ってきます、野菜のスープがあります、「青菜豆腐湯、有マ?」「有!」、厨房に入っていた相方の少年にオーダー出しています。エ!こいつらで作るの?!。
美味しい包子!量は充分、食べきれるかな?です。
オイ!「出来たぞ」と声かかります、老板役が・・・、ヤヤ!チャンと出来てます。。
座ってる方が小老板、立ってるのが小師夫、ごみ出しの声かかるとお店掃除してゴミだしします。勘定7+5も記録して!なんと逞しい事か、中国の今。。
包子3つほど食べきれなかった、食べて頂戴!(勿論声に出して言っては失礼)。。
駅の改札案内はなぜか乗ってきた列車の改札案内?1時間近く遅れてるの?で、駅員の声かかります、並ばないと始めないぞ的(そう、乗せてあげるのです)。着いた時に切符見せて確認します、で、皆が入った後駅員が、ナニやってるんだ、入らないかと手招きします。何のことはない言ったのがわからないのは私だけ、列車が入ってきます。事はかように問題ありますが、問題なく!それにしても私の切符の列車番号K857次は表示ないぞ!!
山の間を縫って列車は進みます。山の上まで段々畑、緑濃い景色、畑の作物は何でしょう、麦や稗粟ではないようですが・・・。でも作物が取れるところは豊かに感じられます。
山の斜面には植樹も行われていますが、この土質では成長した時点で表層崩壊が起るのでは?でも何とかしようとしている様子です。
こちらに帰ってから知ったのですが、この天水蘭州間の鉄道建設には戦争終結後に残ったり、残された多くの満鉄技術者が参加していた難工事だったそうです。その建設基地だった天水の名を取って天水会を組織しているとの事。知っていれば天水の町もこの路線も見方が違っていたかも。http://7ten.world.coocan.jp/aaa/aic20050516.html
列車の中では蘭州からラサ行きに乗るという鄭州からの学生グループとお話、皆で歌い始めます、アイパッドかを耳にしている子が聞きながら音頭とり。屈託なく実に楽しそう、女の子が一人混じって・・・。。ビデオにとりました。http://www.youtube.com/watch?v=PxAvJYw8Ctk
駅員?による車内販売!これは歯磨き用品10元だったか・・・、言ってることは判りませんが、なかなか言葉巧みに!、この前には組み立てパズル的な玩具?を販売してて、1時間後かにこうして。でも見てるとこれが売れるんです!!
やがて山間を抜け。
と、周りが慌しくなります。と禿山の前に黄濁した河、黄河です。
そして甘粛省省都蘭州到着。まず次のチケット買い、わざわざここで降りたのはラサ行き切符チャレンジとなんだか空いてると思っていた切符事情がとんでもないようなので、帰りの北京行きのチケットもあたる為。
11:58着、大きな駅!そして負けず劣らず沢山の人、人。写真は切符買ったあとで撮りました。
售票所も人人。左側3箇所窓口上に向こう7日間全国のチケットを発売と表示しています。
1時間以上もかかってやっと順番。。
まず今日のラサ行きを訊きます。と、なんと「有的!身分証を!」やったとばかりに、パスポート提示、駅員「フム?チョット待て」でパスポートもってどこかへ行きます。帰ってくると「チベットへ入る許可証は?」「持っていません」「あなたには売れません!」
では今日の張液行きは「有!」
さらにメモした帰りのチケット6月6日西寧西から北京西2等寝台は?を提示します。今日は29日ですので7日後は6月4日ですが、まずはとぼけて。何か言っていますがただメモを指差します。となんと435元寄越せと言っています。。5元はよその駅の手数料。帰りのチケットゲット!!!有るはずですね、まだ発売前です。こういう中国が好き!
時間は13:30になります。
チケットゲットしたところでザックを駅の寄存所に預け昼食、駅横のお店でフントン。私はラーメンよりこちらが好き。
列車は6時ですので3時間ほど蘭州見学。まずは町の西にある博物館見て、中山鉄橋をと、路線バスに、1元。右白いビルの向こうが博物館。中国は車線が日本とは逆です。
2,3年前から中国では博物館は無料になりました。
玄関に行くと、入場券もらって来い?でもたこのすぐ左まで来てこの入場券を!なんだかよく解らないシステムです。書法展もやってるよう。
おまけに混んでもいない様なのに、ちゃんと一列に並べと、若いガードマン4名ほどが入り口に陣取って待たせます。そのうちに、関係者?車で玄関まで、とフリーパスで中へ。
突然というか、前に並んでいたお爺ちゃんが怒りはじめて、そのまま強行に入ろうとすると、警備員たちが飛び掛ってお爺ちゃんを外へ出します。お爺ちゃん必死で不満かを連中に言い募っています。見ていてこの警備員の態度や行動に不愉快になって、見学する気もなくなり、さっさと離れました。
なんだか中国おかしいぞ!
旧市街?中心地?建物の間から川向こうの山の廟が見られます。
中山鉄橋に到着。
1907年かに黄河で最初に架設された?橋。当時はまだ洛陽近くまでしか鉄道はきておらず、ドイツからの資材は、西安そしてここまで舟運や馬車で資材を運んだようです。リベット打ちです。
タクシー等の許可車両は通行していました。
おじさん廃品回収?
まさに黄河、見た目はゆったりと流れているようですが、橋脚の周りでは水流が渦をなしていました。とするとすごい流量です。動画はこちらから。http://www.youtube.com/watch?v=J90S7blPjRY
この黄濁した河でも観光ボートが。
水上レストラン?大丈夫といった感じでした。
町の中に会った芝生公園!見事に誰も入っては居ません。。
少し早めの4時半ごろに駅に戻ってきます、と、駅前に仮設の舞台、オオ、なにやら催し物。
おばさん達の踊り?
おばさん達の合唱隊!それにしてもこの赤が皆さん好きです。そして楽しそう、皆に見せられる見せられないは置いといて、イヤ、これは文化芸術祭参加作品のようでした、失礼!
駅前空いてきたのではなく、日陰に入っているのです。
そこで駅前のビヤガーデン?冷えたビールありました10元?倍ジャン!。この時、私の前の日差しの中、駅前モニュメント脇でホームレスの人仰向けに横になって寝てしまいます。と、も一人体格の大きなホームレス氏がウロウロと、日陰に入ってビール飲んでる自分が・・・、かと言ってここは誇り高き中国。
売店で牛肉方便麺購入、定刻17:56列車は張液に向け出発。広大な中国ですが時計は北京時間、よってこのあたりでも2時間近く時差があります。列車は山間に入っていきます。
今度は席が私を間にの中年夫婦?(記憶飛んでる)、で席を変わってやった所がまた学生グループの中。私が読んでる本(井上靖の敦煌、敦煌に向かっての時、そして河西回廊のオワシス都市の数々、ピッタリの読み物。もう読み終わろうとしています)を見て、「こんにちわ!」と。
何人かは日本語をいくつか知ってる?聞くと高中のときに日本語授業があったそうで。彼らは行き先同じ張液の河西大学の学生、蘭州に遊びに行った帰り?
持って行った私が撮った札幌の写真、雪祭り、スキーのジャンプ スキー場、北大、ヨサコイ等で北海道宣伝。この子らが自由にこれるように豊かになってほしいものです。
いろんな話をしている中で尖閣諸島の話を振ると、学生だから乗ってくるかと思いきや、話題にしたくない感じ、ある人から言われていた(中国では外交問題等は避けたほうがいいと)ので、私もすぐ話題を元へ。この状態がいいとは思えませんが・・・、これも今の中国。
到着前に読み終えた「敦煌」彼らの一人に、名前、地名は中国語だから記念に受け取ってと渡してきました。
彼らの情報で、張液で訪れる予定の馬蹄寺への足は汽車西站から出ているらしいと。11時頃に着くかと思ってると、なんと0時過ぎです。エ!そんなに遅く!駅は町から離れています、彼らによると駅の周りに沢山旅館があると。
このまま乗って敦煌までいけるのですが・・・、やはり馬蹄寺は見たいし、嘉峪関もと、予定通り下車します。
駅にはこの時間でも客引きからタクシーまでいますが、捉まらないように突っ切って・・・。ところが駅前の旅館はどこも店じまい。で、すぐ近くの女性ドライバーのタクシーへ。
「汽車西站までいくら位か?」「・・・位」「行ってくれ」、で乗り込んで町へ。「ターミナル近くのホテルで何と言ったか・・・」「・・・か」「オ!そうだそうだ、まだ開いてるかな?」「開いてるんじゃない」でそこに着けてと。。
至尊賓館到着、時間はもうすぐ1時です、が、開いています、運転手には外国人泊まれるか聞いてくるので少し待っててくれと言って。女性のフロントいます、お泊り交渉、外国人OKです。表に出てみるとタクシーはいません、マイイか!
120元のにシャワーでません、フロントに訊きに行こうとしたのですが、止めます。この遅いのに直るわけないし・・・。洗面台のお湯は出るので、あった洗面器(その為の?)にお湯を満たして体を洗います。もう2時ちかく、長い一日は終わります。
今日使ったお金;7+5+76+435+10+7+1+1+1+10+6+20+120=699
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