十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

俳句の授業アイデア50 第二回目の編集会議

2011-10-14 | ジュニア俳句

「俳句の授業アイデア50+α」(仮題)

来春の発行に向けて、第二回目の編集会議を行った。



この本は、俳句の授業のアイデアを指導案形式でまとめ、
教室で直ぐに使えるように考えた本である。
できるだけ多くの俳句の授業の実践者をしている優秀な先生方に集まっていただき、そのノウハウを一冊にまとめようと意図したものである。



今回の編集会議では、各自原稿をもちより、その検討を行い、修正点の検討を行った。
遠隔地や仕事の関係上やむを得ず欠席された方もいたが、約20名の執筆者により、熱心に討議が行われた。



今後の課題、日程を確認して散会した。
さすが、優秀な先生方ばかりで、的確な指摘や、検討のスピードの速さに驚かされた。
会議の熱気と進行の速さに、よい本ができそうな予感が高まった。


あいさつの標語

2011-10-13 | ジュニア俳句

八名川小学校の一年生の指導をした。
一年生は,難しい。
以前、沈没したことがあった。
俳人の高橋博夫さんの実践にならって、今日は言葉遊びから始めてみた。
まず、しりとり。
幼稚園や低学年の子どもには、「しりとり」は極めて有効な言葉遊びと思う。
家庭でぜひ取り組んでほしい。

語彙が増える。
何もなくても手軽にできる。
遊びになる。
家族のきずなもできる。

自分でいうのも、ひとの言葉を聞くのも、大きな勉強だ。

次は、連想ゲーム。俳句の連想といってもよい。
一つの言葉からどう世界を広げていくか。此が豊かになると俳句も豊かになるはずだ。

青-海-浮き袋-ドーナツ-まる-おせんべい-ごま- 

青-空-雲-綿飴-お祭り-盆踊り-ゆかた-

こんな感じである。学級の一寸した隙間時間や家庭で遊びとしてぜひやってほしい。
こんな繰り返しが語彙や創造力をのばすことになる。

この八名川小学校で三年生があいさつの標語を作っていた。

いってきます秋の一日はじまるぞ

あいさつをすればだれでも友だちだ

おはようと言われたきょうもがんばろう

あいさつで校長先生にこにこだ

さようならあしたがたのしくなる言葉

いつでも、どこでも言葉を操る場面を楽しく増やしていくことが、日本語力を付けていく上で有効だとも思う。

 




江東区俳句部

2011-10-11 | ジュニア俳句

5月に発足した江東区俳句部。
今月で6回目の活動日である。
俳人の高柳克弘さんの講座にはじまり、
現代詩人クラブ会長の比留間一成先生の講座。
夏には、現代俳句協会ジュニア研修部長の田付賢一さんの指導での吟行と回を重ねてきた。
9月、10月は、兵庫県の自然学校の校長で、兵庫教育大学の名誉教授の山田卓三先生の指導で、自然を学ぶ。
フィールドは、深川七中そばの猿江公園だが、山田先生の手にかかると全てが解明されていく。
科学的な知識が感性を育み、感性が科学を発展させるというのが、先生の考えだ。

前回は、直接猿江公園で、蝉の穴や幹の音、植物のありようについて学んだが、今回は、まず講義が行われた。

まずは、大和言葉の「みる」の多様性だ。

見る。視る。看護師さんは、看る-手当。お医者さんは、言葉を使い、診る。絵画を覧るというように、全て違う。
聴いてみる。試みる。の「みる」も語源は同じ。

中勘助の俳句 

 裸にて炎と化すや曼珠沙華

を取り上げて、 「観る」ことの大切さを話された。

それから猿江公園に出発。


 次は、自然を体全体で感じて、俳句のタネ探しと俳句づくりをした。

学校に戻ってから句をまとめ、句会。

常任講師の金子弓湖先生の指導で次々に句ができていく。
句会では、生徒達の句の鑑賞力の高まりに感動するものがあった。
来月は、隅田川沿いを吟行する予定である。

 

 


「子ども俳句」から考えるべき問題

2011-10-09 | ジュニア俳句

野暮用で忙しかったが、ちょっと時間ができたので、パン屋の喫茶室に入って、遅い昼飯をすませた。
ぼんやりしながら、子ども俳句の事を考えた。

大きな問題がある。
その一つは、季語のことだ。
誰でも生活は新暦ですごしている。
しかし、歳時記は旧暦で編まれている。
実際は、複雑に絡み合っている。
例えば、七夕は、歳時記では秋の季語だ。
しかし、東京では七月七日。梅雨の真っ最中に行う。
仙台の七夕は、旧暦の七月七日。これだと実際は、八月七日頃で1ヶ月遅れ。
暦の立秋のあとだから、秋とも言えるが、これとても、世間の感覚、子どもの感覚からすれば、夏の真っ最中である。
この矛盾を解決しないと、子ども俳句はこじれたままだし、俳句界全体にとっても決してよいことではないと思うのだが・・・・
子規とか虚子とか絶対的な指導者がいれば、鶴の一声で解決ができるのかもしれないが、今は、群雄割拠の時代(そう言えば聞こえはいいが・・・)今までの権威を壊すようなことは誰もしようともしないし、しても、影響力を持たない。
それに、権威ある歳時記に採録されないと、季語としては認められない。俳句の世界はこういう世界なのだ。
地方の季語や学校の季語など、ある分野や特定の地域に通用する季語をどの様に考えたらよいかと言う問題もある。

第二は、口語と文語、歴史的仮名遣いの問題だ。
私の所属してる「梓」では、歴史的仮名遣いを採用している。
俳句には、文語が似合う。確かにそうも思える。
俵万智でわかるように、短歌は口語に移行したが、果たして俳句は移行できるのか。
しかし、子どもは文語や歴史的仮名遣いでは、俳句を作ることができない。
生活の中でも文語は死語になっている。
ラテン語のように文語は残り、俳句はその世界で生きていくのか。
それとも、いずれは口語に移っていくかのか。
この事も重要な問題だ。

第三は、これはちょっと上の二つとは意味合いが違うが、「切れ」の問題だ。
俳句は「切れ」があるから文学として成り立つ。幅や深みが出て来る。
ところが、子どもは「切れ」の微妙な感覚が掴めない。
この指導をどうするか。慣れることによって、しだいに掴めていくとも考えられるし・・・・

第四、しかし、上のいろいろな問題があるにしても、子どもが自分の感性を表現する手段として、俳句形式は、実に適していると思うし、その時代にしか表せない感性を表すのは、人間の文化を豊かにすると思う。

そんなことをつらつら考えた秋の午後であった。

 




 


勉強句会

2011-10-07 | ジュニア俳句

校俳句交流会が始まったのは、昨年の2月である。
考えてみれば、あれからまだ一年半しかたっていないのである。
八名川小学校で、「俳句脳」の著者、茂木健一郎さんを招いて、「発見・感動・創造の俳句教育」の研究発表をしたのが、11月の終わりだから、それからまだ2年経っていない。
そう考えてみると、随分前進したものだと思う。

学校俳句交流会は、すでに5回を数え、11月5日(土)には、6回目をむかえる。
はじめたときは、海のものとも山のものともつかぬという感じだった。
現代俳句協会の田付部長はじめジュニア研修部の部員の方々に助けてもらいながらの出発だった。
一番変わったことは、「仲間ができた」ことだ。
信頼できる,俳句教育を共に進める仲間。
これが、育ってきた大きな場が「勉強句会」である。
毎月顔を合わせ、句を詠みあい、読みあう。
特に懇親会をしているわけではないが、その間に、自分の句だけではなく、子ども達への指導法の交流が行われ、お互いの信頼感が醸成されていく。
こういうのを「同志的な感覚」というのかもしれない。
昨日は、二学期制の学期末ということもあり、
「今日は参加者が少なかったですね」
と一緒に帰ったK先生が言っていたが、それでも10名の参加があった。
若い先生が中核になり始めているのも大きい。
時間を積み重ねと、何かができていくということを実感する。

 11月5日(土)学校俳句交流会 

 1時半~4時半  八名川小学校

 12月1日(木)勉強句会 

 18時半~20時半  八名川小学校


お弁当の「俳句」

2011-10-04 | ジュニア俳句

子ども達の俳句をいろいろ応募させようとすると、なかなか紹介ができない。
俳句の作品なしに俳句のことを語ることはできない。

先日、八名川小学校での2年生の授業で「お弁当俳句」をつくった。
この数ヶ月間、改修工事で給食室が使えず、その間、子ども達はお弁当を持ってきていたのだ。
工事が終わり、10月からは給食が再開となった。
そこで、お弁当の俳句をつくり、感謝の作文と一緒にお母さん(おうちの人に)渡そうという趣向だ。
こんなところにも「俳句」は役に立つ。
季語もないものが多いので、俳句とは厳密には言いがたいが、これもまた「俳句」の効用である。 

たまごやきこうきゅうりょうりおべんとう

保冷ざい月日たつたび消えていく

はじめてのおべんとうはめんたい肉

おかあさんあくびしながらおべんとう

おかあさんしんぴんフライでじゅじゅじゅ

おべんとう毎日入るミニトマト

オムライスケチャップふたについちゃった

おかあさんブタにくさいこうもっりもり

おべんとうつかれてきたねおかあさん

あきの朝はしってべんとうだっそうだ

入れないでピーマンにがいやなかった

大こうぶつぜったい入れてねのりごはん

 ・・・・・・・・・・・・

なかなかのものだ。

 


八名川大句会

2011-10-03 | ジュニア俳句

こんなに楽しく、笑いに包まれた句会は、他に経験したことがない。
阿部さんと津野さんの司会のコンビが絶妙で、進行が実にスムーズ。

   津野さんの司会で、まずは三人一句

八名川句会のメンバーがしっかりと準備して下さったおかげも大きい。
三歳から八十過ぎの方まで六十人近くの方が集った。

        会場風景

家族で参加された方もいらしゃる。
お抹茶とお菓子が振る舞われ、和気藹々の八名川大句会。
八名川の地に少しずつ俳句が定着し始めていることが実感できる一日だった。

 そして、最高点を得てこの日大賞を獲得したのは、何と小学生のあやねちゃん。

 深川のかかしの中にレディガガ  あやね

でした。八名川小学校の俳句の実力を示したような句でした。

また、「俳句と私」という小学生による意見発表。まおちゃん、かえちゃん。

                          私と俳句の発表

二人ともあまりにしっかりしているので、びっくり。
子ども達の中に、俳句が根付いていることが印象的でした。

       参加した子ども達

その他、高点句や賞に入った句などを紹介します。

 今日君に会えてよかった金木犀

 十五夜の千草八千草光りをり

 花婿の母うれし泣き鰯雲

 また袖が短いと笑む衣更え

 秋が来た食べる楽しみまた増える

 子も育ち拾うことなきまつぼっくり

 風さわぎどこにとまろか赤とんぼ

 

 

 


越中島小学校での俳句教室

2011-10-01 | ジュニア俳句

昨日は、越中島小学校での俳句教室だった。
四年生。今年3回目の授業だ。
ここの子ども達はすごい。現代俳句協会のジュニア俳句コンクールで学校賞をとっただけのことはあると思う。先生方は若い方が多いが、意欲的で、子ども達を良くしつけているし、何よりも入野校長先生が全体を良く把握し、先生方の積極性を引き出している。人数の多い学校なのに、子ども達の一人一人まで良く理解しているのには、舌を巻く。厳しく、しかも温かい。ほとんど、理想に近い。子ども達も先生方も幸せだと思う。
さて、今日は、昨日に引き続き、俳人の堀本裕樹さんと二人で指導した。八名川小と同じ四時間の長丁場で若干疲れたが、子ども達の句の可能性を感じて、うれしかった。


本当は、その句をここで紹介したい。その衝動に駆られるが、インターネットで紹介してしまうと、俳句大会などに応募できなくなってしまう。
ジレンマだ。
課題も一つ明確になった。
とても、いい句がたくさんできているが、子ども自身は、その良さの認識がうすいということだ。
句会を終わってから、子ども達の作った句を全部持ってきてもらった。
(子ども達は、一人何句も。多い子は10句以上も作っている)
すると、句会に提出した句よりも断然いい句がごろごろでてくるのだ。

それは、仕方がないことでもある。大人の目と子どもの目が違うからだ。子どもは自分でわかりやすい句を出す。
それはそれで当然のことだし、それでいいのかもしれない。
大人でも、自分の句を理解するのはむずかしい。
が、同時に課題であることも確かだ。堀本さんとその事について話しながら、門前仲町の駅に向かった。

秋の空のように本当に気持ちが良い一日だった。

さて、10月2日(日)は、八名川大句会だ。ぜひ皆さんご家族連れでお出でになってくださいな。午後2時から八名川小学校です。