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豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2017年09月17日 17時38分13秒 | 日記
 ( Vol 2072 ) 最近の報道から なぜ 森友学園問題 加計学園問題に関する 情報が 報道されないのか

報道関係は 森友学園問題 加計学園問題の 追求の取材がなされないのか


そこには 臨時国会が開かれるという 前提があるからのか

しかし 報道は 臨時国会とは無関係に 追求をつづけ 国民に情報を公開する 行動が必要なのではないか

国民から見ると 報道機関は 自粛という形で 情報の操作がなされているように思う

このようなことは 報道の自由 国民の知る権利 というものが 犯されていることになるのではないか

北朝鮮のミサイル発射問題にとびつき それだけに 集中した報道は 偏ってはいないか

そこには 報道に おける 視聴率が 見え隠れする


本来 報道は 国民の知る権利を 後押しする ものであるべきなはずである

しかし 報道機関は 自らその権利を放棄している 


高視聴率だけに 囚われることなく 

いま 国民に 何が問題で 何を知ってもらいたいのか それを報道することが 求められているのではないか


最近 目立つのが 報道機関が 一斉に特定の情報だけを 報道していることである


なぜ 報道の視点 の視野を広く持って 報道できないのだろうか


広い視野で 報道の役割を 果たしてほしいものである






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豊前善三つれづれ日記

2017年09月17日 17時15分14秒 | 日記
 ( Vol 2071 ) 安倍総理は 9月28日臨時国会で衆議院解散を固めたというが  野党の乱れに乗じた行動 国民の意思を無視したものに映る

野党の要求に やっと臨時国会を開くことに同意したと 思ったら

安倍総理は 野党の結束状況を判断して 解散に踏みきるという

なぜ 臨時国会を開くことにしたのか

その意図は 解していない


森友学園問題 加計学園問題 についての追求逃れとしか映らない

国民は これらの問題が 明らかになることを期待していた


しかし 9月28日の臨時国会開催と同時に 解散では 国民をバカにしてはいないか


安倍総理の誠意ある説明という姿勢は どこにいったのであろうか


解散は 自民党の党利党略 優先  国民の方に向いていない


このようなことを 自民党は 何度繰り返せばいいのだろうか


政治を 歪めていないだろうか


なんら 反省のない自民党

口先だけの自民党 としか映らない


国民は しっかりと自民党の行動を見ている


そのことを 念頭に置いた 言動行動をしてもらいたいものである


選挙は 戦争である という論理が 自民党にはあるのではないか


相手が弱っているときに 攻める

たしかに 勝利を掴むには 容赦しない 

その姿勢は 勝利への執着


しかし 政治は 国民に向いたものではなくてはならない

その点から見ると どうなのか 疑問が湧く



政党政治とはいえ 主権はあくまでも国民にある


そのことを 考えてほしい ものである


解散するのなら

まず 森友学園問題 加計学園問題に対して 誠意ある 説明 答弁 をしてからにしてほしいものである 


独裁を目指しているのであれば それは 国民の意思に反する ものである

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豊前善三つれづれ日記

2017年09月16日 08時00分22秒 | 日記
  ( Vol 2070 ) ユーチューブ への動画投稿での 悪ふざけが横行するのは ユーチューバーという存在が 影響しているのではないか 


今 ユーチューブは 若者たちにとって 表現の場以上に 金を稼ぐ場になってきている

ユーチューバーという 存在である

ただ単なる 動画投稿の時代から 広告を載せて 金を稼ぐ時代に入った

調べてみると 動画投稿で 生活ができるという 状況さえ生じている


最近の 悪ふざけの動画投稿者の弁明では 沢山のアクセスを得たかった そうすれば 広告収入が得られる というのである


1件のアクセスで 0.1円 

これが10万件のアクセスがあれば 1万円になる

考えようによっては 簡単にお金を稼げる と思えてくる




時代の変化によって 若者たちの 職業へのあこがれも 違ってくるようである

ソニー生命保険会社で行った 中高生が思い描く将来についての意識調査 では

男子中学生について見ると 
          1位 ITエンジニア・プログラマー    
          2位 ゲームクリエーター
          3位 ユーチューバーなどの動画投稿者
          4位 プロスポーツ選手
          5位 ものづくりエンジニア


男子高校生についてみると
          1位 ITエンジニア・プログラマー    
          2位 ものづくりエンジニア
          3位 ゲームクリエーター
          9位 プロスポーツ選手
         10位 ユーチューバーなどの動画投稿者 

という結果が出ている

このことから 若者世代は インターネットとの関係と密接な生活環境による 影響がみられ 今まで考えられなかった 職業がでてきたことを示している

特に 注目すべきは ユーチューバー である

時代の変化 社会環境の変化で 若者のあこがれる職業は変化してくる


若者のあこがれる職業は 高収入職業を選ぶ

その中に 動画投稿が 広告掲載によって 収入を得られる という状況ができあがり 高額所得者の出現という こともあり あこがれの職業になっている



しかし 現実は 簡単ではないようである


その結果 アクセス数を上げようと アクセス数の上がる動画を撮影しようとする

それが 悪質な動画へと発展しているようである


悪質な動画に対しては 主催者側での 取捨選択という 選別も必要ではないか


また 法律に触れる動画に対しては 厳罰を持って対処すべきではないか


今や インターネット SNS時代 動画投稿 ブログにおける 広告掲載による収入が可能となったという新たな時代に突入したともいえるのではないか

インターネットによる 収入は 特定の企業に限られていたのが 一般の人にまでも範囲が広がった

この環境の変化に どう対処するのか





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豊前善三つれづれ日記

2017年09月13日 07時26分53秒 | 日記
 ( Vol 2069 ) 最近 外食して気づくことは 金太郎飴のような感じがする 店が多い

金太郎飴 というのは なぜか

全国どこへ行っても 味に対する判断基準が 同じになってきている

同じようなものが 並ぶ


評判が良ければ すぐに取り入れ 横並びになる


そんな 意識が あるのではないか


独自性のない 料理を出している


そこには 利益至上主義の 弊害があるのではないか



先日 入った店では 鮮度をよく見せるための ライティングがなされていた

スーパーなどの鮮魚売り場で 使われている ライティングだ

自然光の中で見られたら 困るのだろうか

異常なほどに 鮮度が強調され 口にするのも 控えたいくらいだった


そのライティングは 他の料理には逆効果で 素材そのものを味うということを阻害していた


食は 見る 口にして味わう という行為があって 気持ちの良い食になる


しかし 多くの店は この点を 疎かにしているように感じる


見る ということに 力点を置きすぎた 店が多い


料理の値段は 提供される料理の値段とは 一致していない

値段が あまりにも高く設定されている


調理場においても 機械化がすすみ 誰でもが それなりのレベルの料理を出せるようになった 

それが かえって 接待するという ことを軽視することにつながっているのではないか


料理を出す それは 店の心である 



どこの金太郎飴のようになり 心が失われている店が 多く見られるのは残念である


客が 出す金額に見合う料理を出してもらいたいものである


  

また来たいと思う 店が少なくなたのは 残念である



それだけ もてなしの心が失われてきていることなのか


ここには 接客のマニュアル化の弊害でもある



接客に 人が介するのであるが 

その接客は ロボットと思うくらいである


人間味のない 接客が 金太郎飴状態にしている 一因でもある ように感じる



もっと ハートを 感じる 店が増えてほしいものである

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豊前善三つれづれ日記

2017年09月13日 05時48分52秒 | 日記
 ( Vol 2068 ) 北朝鮮への 制裁の国連決議がなされたが 核保有阻止ということにはならない

過去の核保有に対する 他の国の保有経過を見れば明らか

また 核保有国が 核の廃絶をしていない中 核の脅威を感じている国にとって 核は魅力であるが故に 核保有国である国が 北朝鮮の核開発への阻止を図ろうとしても 説得力はない


核の持つ力は 広島 長崎へ 原爆が投下されたことにより 示されている

軍事力の上で 核は絶対的な力を持つことを 明らかにした

力には 力で という 論理が いまだ 国家間で存在している限り 武力論争は消えない


核保有国は その力を知っているからこそ 核の放棄 廃絶 には同意しない

その同意しない国が いくら相手に対して 核の開発をするなと吠えても 効果はない


アメリカ 当時のソ連 の核保有からはじまり 他国の核開発の阻止を アメリカ 当時のソ連によって 行われたが 効果は全くなかった

核開発を阻止するには すべての国が 核廃絶条約に参加することである のだが それは不可能に近い

そのような中 力を持ちたいと思うのは 自然の流れではないか


いま 世界は 武力なしに 存在する ということに努力する必要があるのではないか


核兵器を 対抗する国への抑止力と する考えを どうなくすか 


いま 核保有国を含め すべての国が 考える必要があるのではないか


それには 世界は一つ という考えに立つことではないか


いつ 世界は一つ になるのだろうか





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