豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2014年08月27日 12時54分05秒 | 日記
  ( Vol 1116 ) 芸術表現は 学歴も 肩書きも 必要ない

芸術表現は 限られた人に与えられたものではない

万人に 与えられている

芸術と認める行為は ある権威者によって 牛耳られているが それは 偏っている

権威者の 個人的思想に基づいている


そもそも 表現とは 個々人のもっている 人生観で 社会を感じ表現されるもの

それが 芸術表現になる

時代が求めるものだけが 芸術ではない

表現されたもの すべてが芸術


美術雑誌 美術館 で取り上げられる芸術は ごくごく 限られた範囲

もっと もっと 広く捉える ことではないか

学歴も 経歴も 関係ない

いま という時を どのように表現されているか

いま という時の中で 作者は 作者自身の感性で どのように感じ 表現しようとしているのか


そのことを 限られた基準で 見ようとするのは 偏見に他ならない

すべての思考規制を 解放してこそ 芸術は活きる のではないか

その人ならではの 表現

個性 独創性 という 個人の持つ感性を 捉えることではないか


芸術表現は 個人の中の 叫びでもある

その叫びを どう受け取るのか

権威では それは受け取ることはできない

すべての規制を 取り払ってこそ 受け取れる


芸術表現には 学歴 肩書きの 添え書きは必要ない

必要なのは 表現されたもの 作品 だけである

どれだけ 作品が 一人歩きできるか


発表されたときから 作品は一人歩き


作家から 手を離れ 人々 社会の 間 空間を 彷徨う


どんな人にも 自分の人生観はある

その人生観を持って 表現する

そのことが 大切ではないか


いかに 自分を出せるか 

批判をものともせず  表現できるか

個性ある 独自性ある 自分の視点で 表現できるか


芸術というのは そういうものであってほしい


商業主義の中の 芸術評価は 芸術を 堕落させる


芸術は 作家の 叫びである

だれにも だれにも 止めることはできない


賞をとったものだけが 芸術作品ではない

賞賛されたものだけが 芸術作品ではない





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