( Vol 2370 ) 伊方原発再稼働運転の差し止めの仮処分決定の 取り消し の司法判断は 2転3転 政府の司法への圧力を感じる
安倍政権は 公務員の人事件を 内閣に持たせた その結果が 三権分立そのものを崩してしまった
そして 今回の 広島高等裁判所の 2転3転する という 司法判断
はじめは 厳格な視点から 原発の安全性について 言及した 判断から 運転の差し止めの 判断を 広島高等裁判所は 下した
ところが 四国電力側が 異議申し立てをすると 広島高等裁判所の判断基準は 政府側の基準に沿った判断を下した
はじめは 過去最大規模の噴火を想定すべき という考えにたった判断が下された
しかし その判断を覆し 破壊的な噴火は 発生頻度は小さい 伊方原発運用中に 発生する可能性は低い という判断を下した
この判断基準を見ると 明らかに 違いすぎる
国民の生活を守る という立場と 産業重視の立場 の差が見えてくる
なぜ 同じ高等裁判所で 違った判断がなされたのか
そこには 政府への配慮が行われたのではないか と勘ぐりたくなる
福島原発の事故は 何が問題だったのだろうか
振り返って考えて見る必要があるのではないか
原発は 事故を起こすと 今まで考えられなかったほどの 甚大な被害をもたらす ということが 判明した
そのことによって 原発の安全性を考え直すことになった
しかし 安倍政権は 企業重視を打ち出し 安全基準を緩くしてしまった
これは 原発が導入された時と 状況は似ている
安全性について 最大限の基準にせず 今回の広島高等裁判所の覆した 判断理由と 同じように 可能性が薄い と強引な屁理屈をつけた
その結果が 東日本大震災による 福島原発事故 それも最悪の事故となった
その記憶はまだ新しい
しかし 安部政権は 忘れた振りをして 原発の必要性を強調して 再稼働は政治使命である という位置付けをしている
その結果が 理性を曲げた 広島高等裁判所の 覆す判断である
一部コメンテーターの中には 北海道で起きた地震によって起きた 北海道全道停電から 原発は必要だ という意見を言うものまででている
だが 原発の持つ危険性を 無視した発言になっている
もし 福島原発事故のようなことが起きたらどうするのか
福島原発事故のようなことが 絶対ない といえるのだろうか
残念ながら 地震学者 火山学者 にしても 絶対にないと 言いきれない というのが現状である
大をとって 小を切る
原発は そのような単純な基準で 判断することができないほど
住民の生活 生存に 大きな影響がある ということである
その認識を持って 判断されるべきではないか
企業の投資 保証 企業の経営の健全化 という観点から 原発の安全基準を曲げている この現状は 変えなくてはならないのではないか
安倍政権は ごまかし ばかり と言わざるを得ない
憲法にいう 国民の生活の保証 をどう捉えているのか 疑いたくなる
安倍政権は 企業の利益優先の前には 妨げるものは 排除する という姿勢が見える
これを 憂い 危惧する
国民の生活を守る という ことを第一に考えてほしいものである
原発の設置 稼働には 厳格なる基準を持って 稼働すべきである
原発事故が起きたとき 想定外だったという 言い訳は使ってほしくない
設置 稼働の判断のとき その安全基準について どうか考えたのか そこが問われる 責任がある ということを考えて 行動してもらいたいものである
いいっぱなし やりっぱなし
後は知らない では困る
これは 原発を設置する企業にも言える
安倍政権は 公務員の人事件を 内閣に持たせた その結果が 三権分立そのものを崩してしまった
そして 今回の 広島高等裁判所の 2転3転する という 司法判断
はじめは 厳格な視点から 原発の安全性について 言及した 判断から 運転の差し止めの 判断を 広島高等裁判所は 下した
ところが 四国電力側が 異議申し立てをすると 広島高等裁判所の判断基準は 政府側の基準に沿った判断を下した
はじめは 過去最大規模の噴火を想定すべき という考えにたった判断が下された
しかし その判断を覆し 破壊的な噴火は 発生頻度は小さい 伊方原発運用中に 発生する可能性は低い という判断を下した
この判断基準を見ると 明らかに 違いすぎる
国民の生活を守る という立場と 産業重視の立場 の差が見えてくる
なぜ 同じ高等裁判所で 違った判断がなされたのか
そこには 政府への配慮が行われたのではないか と勘ぐりたくなる
福島原発の事故は 何が問題だったのだろうか
振り返って考えて見る必要があるのではないか
原発は 事故を起こすと 今まで考えられなかったほどの 甚大な被害をもたらす ということが 判明した
そのことによって 原発の安全性を考え直すことになった
しかし 安倍政権は 企業重視を打ち出し 安全基準を緩くしてしまった
これは 原発が導入された時と 状況は似ている
安全性について 最大限の基準にせず 今回の広島高等裁判所の覆した 判断理由と 同じように 可能性が薄い と強引な屁理屈をつけた
その結果が 東日本大震災による 福島原発事故 それも最悪の事故となった
その記憶はまだ新しい
しかし 安部政権は 忘れた振りをして 原発の必要性を強調して 再稼働は政治使命である という位置付けをしている
その結果が 理性を曲げた 広島高等裁判所の 覆す判断である
一部コメンテーターの中には 北海道で起きた地震によって起きた 北海道全道停電から 原発は必要だ という意見を言うものまででている
だが 原発の持つ危険性を 無視した発言になっている
もし 福島原発事故のようなことが起きたらどうするのか
福島原発事故のようなことが 絶対ない といえるのだろうか
残念ながら 地震学者 火山学者 にしても 絶対にないと 言いきれない というのが現状である
大をとって 小を切る
原発は そのような単純な基準で 判断することができないほど
住民の生活 生存に 大きな影響がある ということである
その認識を持って 判断されるべきではないか
企業の投資 保証 企業の経営の健全化 という観点から 原発の安全基準を曲げている この現状は 変えなくてはならないのではないか
安倍政権は ごまかし ばかり と言わざるを得ない
憲法にいう 国民の生活の保証 をどう捉えているのか 疑いたくなる
安倍政権は 企業の利益優先の前には 妨げるものは 排除する という姿勢が見える
これを 憂い 危惧する
国民の生活を守る という ことを第一に考えてほしいものである
原発の設置 稼働には 厳格なる基準を持って 稼働すべきである
原発事故が起きたとき 想定外だったという 言い訳は使ってほしくない
設置 稼働の判断のとき その安全基準について どうか考えたのか そこが問われる 責任がある ということを考えて 行動してもらいたいものである
いいっぱなし やりっぱなし
後は知らない では困る
これは 原発を設置する企業にも言える