豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2018年05月15日 08時19分58秒 | 日記
  ( Vol 2262 ) 安倍総理の国会での 答弁は なぜ 強硬姿勢から柔軟姿勢へと 変えたのか そこには なんとか終息させたいとの意図からの妥協策ではないのか


安倍総理は 今まで 加計学園問題で 否定の一点張りであったが

ここにきて 柔軟な姿勢を示した


忖度はなかった と強気で否定していたのが

どうしたわけか 忖度があったかどうか 忖度される側には 分かりにくい面もある

忖度がなかったと 言い切ることはできない 

と述べた

これは 関わりがない とでも言いたげである

この変化に驚きであると共に 安倍総理の焦りも感じる


忖度される側 という言い方を 忖度させる側 という言い方に変えたら どう言うのだろうか

「れ」と「せ」では 大きな違いがある

今回の場合 忖度させる という表現が 妥当ではないか


元総理秘書官の 国会での質疑に対する 答弁から 戦略を変更しようと考えたのだろうか


だとするならば 今までの強硬姿勢はなんだったのか ということになる


国会の審議において 十分な政策審議ができなかった という弁解をしていたが

そもそも 森友学園問題 加計学園問題 について はじめの対応が 問題だったのではないか

そこには 安倍総理の 保身 という 行動が招いたのではないか


森友学園問題は 籠池氏だけが 悪いのではない そこには 安倍総理が 何らかの関わりを持っていた と言えるのではないか


加計学園問題についても 安倍総理が 何らかの関わりを持っていたのではないか


安倍総理は 問題には 関わりがない と押し通そうとする姿勢を見せるが

それこそ 国会の運営を 正常にさせないことになる のではないか


正常な審議ができなかったと 反省するならば 問題に背を向けるのではなく

すべてを 白日の下に晒す 姿勢を見せるべきではないか


関係資料にしても 黒塗りの資料ではなく 全面公開の下に 論議 追求 できるようにすべきではないか

そのことによって ことは収まるのではないか


詭弁多用するようでは 安倍総理の信頼は 失墜する一途をたどるばかりである








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