昔と今の戦争の変化が (010.08.10.)
8月になれば、中学生だった頃、学徒動員で「中島飛行機半田製作所」で、終戦の日を迎えたことが思い出される。
歴史的に見て、戦争と言うものは、力の差が同じ位で、自分の勢力範囲を少しでも拡大させたいとの欲望から、何かの切欠を作って、両者が戦いを始める一種の喧嘩である。
力の差が大きければ、強い側の言う事を聞き、それに従うか又は、貢物を送って、懐柔策戦で我慢をさせられるケースであるが、我慢が出来ない場合には戦争が起こる。
日本が、アメリカと戦争をしたのも、日本がアジア地区で勝手な事をしたと、大国(アメリカ)から言われて、それに我慢が出来ずに開戦に踏み切ったものであるが、その戦いで、今までと全く違う「戦争の戦い方」を経験したのである。
その、戦い方の違いと言うのは、東京空襲で経験した、「ブランケット爆撃」(絨毯爆撃)と言われる爆撃で、虱潰しに、片っ端から、面全体を爆弾で、潰してしまう爆撃の事である。
それと同じ事が、8月の6日に広島市が、9日に長崎市が、原子爆弾によって、面全体を攻撃する壊滅的なダメージを受けたのである。
このような戦いは、人類の歴史上初めての戦いで、これを称して「無差別大量殺戮破壊爆撃」と言うのである。被害に遭う対象者は、無辜の住民(女・子供・負傷者・老人)であろうと、なかろうと、片っ端から、殺戮するもので、「非人道的な爆撃戦争」そのものなのである。
この様な戦争の恐ろしさは、世界中の人たちに、今までと違った戦争の概念を認識したのではないかと思われ、「一寸やそっと」の意見の違いで、戦争なんか遣るものではないという気持ちになったのではないでしょうか。そして、「話し合いによる解決」と言うものが、主流になり、それが「サミット」と言う、首脳同志の「頂上会談」になったのである。またそれを仲介する国連事務局の仕事も大きく平和貢献に寄与する事になったのである。
21世紀に突入した今日、国を守る手段として「武力」が全てに優先すると言う考えは最早、時代遅れで、特に北朝鮮などは、原子力を持っていれば、持っていない国は何時でも牛耳る事が出来ると思って好き勝手な事を言っている。武力を誇示して、言う事を聞かせる時代は終わり、いまや、国の力の象徴は「経済力・技術力・資源力・それに国民の協調力」である。
中東地区では、いまだに小競り合いによる内乱が起こっているが、強いものが力を誇示して押さえ込もうとしている事ではないでしょうか。
一方に強者の欲望があり、それに押さえ込まれる弱者は、どうすれば良いのでしょうか。
私は、「テロ」と言うものを決して肯定するものではありませんが、「テロ」は唯一弱者が強者に抵抗する手段であると思います。
決して、「テロ」行為をしたくて遣っているのではなく、止むを得ず遣っている行為であれば遣らねばならない理由があるはずです。その理由を解決する事が、「テロ」の防止策で、それを武力で押さえ込もうとしても、ますます「テロ」行為は拡大する一方ではないでしょうか。
中東の戦争は「テロ」で大国に抵抗している戦争なのです。
(えびなたろう)
8月になれば、中学生だった頃、学徒動員で「中島飛行機半田製作所」で、終戦の日を迎えたことが思い出される。
歴史的に見て、戦争と言うものは、力の差が同じ位で、自分の勢力範囲を少しでも拡大させたいとの欲望から、何かの切欠を作って、両者が戦いを始める一種の喧嘩である。
力の差が大きければ、強い側の言う事を聞き、それに従うか又は、貢物を送って、懐柔策戦で我慢をさせられるケースであるが、我慢が出来ない場合には戦争が起こる。
日本が、アメリカと戦争をしたのも、日本がアジア地区で勝手な事をしたと、大国(アメリカ)から言われて、それに我慢が出来ずに開戦に踏み切ったものであるが、その戦いで、今までと全く違う「戦争の戦い方」を経験したのである。
その、戦い方の違いと言うのは、東京空襲で経験した、「ブランケット爆撃」(絨毯爆撃)と言われる爆撃で、虱潰しに、片っ端から、面全体を爆弾で、潰してしまう爆撃の事である。
それと同じ事が、8月の6日に広島市が、9日に長崎市が、原子爆弾によって、面全体を攻撃する壊滅的なダメージを受けたのである。
このような戦いは、人類の歴史上初めての戦いで、これを称して「無差別大量殺戮破壊爆撃」と言うのである。被害に遭う対象者は、無辜の住民(女・子供・負傷者・老人)であろうと、なかろうと、片っ端から、殺戮するもので、「非人道的な爆撃戦争」そのものなのである。
この様な戦争の恐ろしさは、世界中の人たちに、今までと違った戦争の概念を認識したのではないかと思われ、「一寸やそっと」の意見の違いで、戦争なんか遣るものではないという気持ちになったのではないでしょうか。そして、「話し合いによる解決」と言うものが、主流になり、それが「サミット」と言う、首脳同志の「頂上会談」になったのである。またそれを仲介する国連事務局の仕事も大きく平和貢献に寄与する事になったのである。
21世紀に突入した今日、国を守る手段として「武力」が全てに優先すると言う考えは最早、時代遅れで、特に北朝鮮などは、原子力を持っていれば、持っていない国は何時でも牛耳る事が出来ると思って好き勝手な事を言っている。武力を誇示して、言う事を聞かせる時代は終わり、いまや、国の力の象徴は「経済力・技術力・資源力・それに国民の協調力」である。
中東地区では、いまだに小競り合いによる内乱が起こっているが、強いものが力を誇示して押さえ込もうとしている事ではないでしょうか。
一方に強者の欲望があり、それに押さえ込まれる弱者は、どうすれば良いのでしょうか。
私は、「テロ」と言うものを決して肯定するものではありませんが、「テロ」は唯一弱者が強者に抵抗する手段であると思います。
決して、「テロ」行為をしたくて遣っているのではなく、止むを得ず遣っている行為であれば遣らねばならない理由があるはずです。その理由を解決する事が、「テロ」の防止策で、それを武力で押さえ込もうとしても、ますます「テロ」行為は拡大する一方ではないでしょうか。
中東の戦争は「テロ」で大国に抵抗している戦争なのです。
(えびなたろう)
反省すべき点は反省するのは当然だけど国や家族の為に死んでいった人達を全否定したり
他国の言うがままに謝る姿勢は共感できるの?
俺は菅談話はただ自分の名前を残したいだけの名誉欲の塊にしか見えないわ。
本当に民主党にいる左のアホや社会党の残党は害しかもたらさないな。