よど号事件の思い出
テレビ東京の報道によれば
「日 航機よど号ハイジャック事件のメンバーらと北朝鮮で合流した赤木邦弥容疑者が昨夜帰国し、警視庁公安部に旅券法違反の疑いで逮捕されました。赤木容疑者は 1987年4月ごろ、当時渡航が制限されていた北朝鮮に必要な手続きをせず入国した疑いがもたれています。警視庁公安部はさらに、赤木容疑者が有本恵子さ んらヨーロッパでの拉致事件についても何か事情を知っている可能性があるとみて追求する方針です。 」
よど号事件と言えば、1970年3月31日、日本赤軍のメンバーが革命を目論んで、羽田から福岡に向かう日本航空の旅客機(よどごう)を乗っ取り北朝鮮への亡命を図った事件である。
機長は犯人の要求に航空燃料の不足を説得し、一旦板付空港に着陸して、乗客の女・子供を解放した後、燃料を積ませて北朝鮮へ飛び立たった。
途中、韓国側の協力もあって、韓国の金浦空港を、北朝鮮の平壌国際空港と偽り着陸させ、韓国兵が、北朝鮮兵の服装をして、偽装を凝らしたが、空港内にノースウエスト航空機などが、駐機している事から、偽装がバレテ犯人は態度を硬化、交渉が膠着状態になり数日が経過した。
4月3日、交渉の末、北朝鮮から、無事に犯人を渡せば人質は全員返すとの見解が示され、日本側も人質の代わりに、当時の運輸政務次官の山村進治氏を乗客の身代わりとして搭乗することで、一応交渉がまとまり、乗客は全員解放された。
そして、4月3日午後6時5分金浦空港を飛び立ち北朝鮮に向かった。午後7時21分に北朝鮮の美林(ミニム)飛行場跡地に着陸した。
その後の人質(山村次官・機長・副操縦士・航空機関士)解放についても、多少混乱があったが。
取り合えず、4月5日には、よど号機ともども無事に帰国し、一件落着した事件だった。
今から37年も前の事件、赤木容疑者も、当時はまだ20代の若者だから、若気に走って遣ったと思うのだが・・・・ 今はどのような考えを持っているのか解らないが、北朝鮮にいて、拉致被害者のこと等、知っている事があれば、せめて、罪滅ぼしに全てを話して、人間として残された命を、全うし、納得の行く人生を送って欲しいとおもいます。
(えびなたろう)
テレビ東京の報道によれば
「日 航機よど号ハイジャック事件のメンバーらと北朝鮮で合流した赤木邦弥容疑者が昨夜帰国し、警視庁公安部に旅券法違反の疑いで逮捕されました。赤木容疑者は 1987年4月ごろ、当時渡航が制限されていた北朝鮮に必要な手続きをせず入国した疑いがもたれています。警視庁公安部はさらに、赤木容疑者が有本恵子さ んらヨーロッパでの拉致事件についても何か事情を知っている可能性があるとみて追求する方針です。 」
よど号事件と言えば、1970年3月31日、日本赤軍のメンバーが革命を目論んで、羽田から福岡に向かう日本航空の旅客機(よどごう)を乗っ取り北朝鮮への亡命を図った事件である。
機長は犯人の要求に航空燃料の不足を説得し、一旦板付空港に着陸して、乗客の女・子供を解放した後、燃料を積ませて北朝鮮へ飛び立たった。
途中、韓国側の協力もあって、韓国の金浦空港を、北朝鮮の平壌国際空港と偽り着陸させ、韓国兵が、北朝鮮兵の服装をして、偽装を凝らしたが、空港内にノースウエスト航空機などが、駐機している事から、偽装がバレテ犯人は態度を硬化、交渉が膠着状態になり数日が経過した。
4月3日、交渉の末、北朝鮮から、無事に犯人を渡せば人質は全員返すとの見解が示され、日本側も人質の代わりに、当時の運輸政務次官の山村進治氏を乗客の身代わりとして搭乗することで、一応交渉がまとまり、乗客は全員解放された。
そして、4月3日午後6時5分金浦空港を飛び立ち北朝鮮に向かった。午後7時21分に北朝鮮の美林(ミニム)飛行場跡地に着陸した。
その後の人質(山村次官・機長・副操縦士・航空機関士)解放についても、多少混乱があったが。
取り合えず、4月5日には、よど号機ともども無事に帰国し、一件落着した事件だった。
今から37年も前の事件、赤木容疑者も、当時はまだ20代の若者だから、若気に走って遣ったと思うのだが・・・・ 今はどのような考えを持っているのか解らないが、北朝鮮にいて、拉致被害者のこと等、知っている事があれば、せめて、罪滅ぼしに全てを話して、人間として残された命を、全うし、納得の行く人生を送って欲しいとおもいます。
(えびなたろう)
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