へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

入学式の思い出か・・・・

2016年04月07日 22時17分23秒 | ブログのお題に関連すること
「○○式」などと言うものに余り関心のない私である。


が、息子が高校に入るときには何故か参加している。

正直なところ、「成り行き上仕方なく」といった感じが強く、取り立てて何の思いでもない。



自分自身の入学式にしても、小学校入学の時の事は覚えているが、中学のときはほとんど記憶にない。

高校は中高一貫校だったため、入学式は無し。


高一の秋に中退しているので大学とは縁もなく、入学式は小学校と中学校の時だけ。




で、小学校入学の時の思い出だが、時は昭和24年である。

入学式を実施できるような講堂もなく、式は校庭で。



どのような式だったかの記憶はないが、入学式が終ったとで、恥ずかしい思いをしたことを今でも覚えているのです。


恥ずかしい思い出。



私には9歳と4歳歳が離れた姉二人がいて、いつもその姉たちと遊んでいた。




そのため、私は男であるにもかかわらず、自分のことを「ぼく」「おれ」ではなく「わたし」と言っていたのです。


その結果、同じクラスになる同級生から「女みたい」とからかわれたのです。




そう、それまでは常に姉たちのあとを付いて回っていたので、男の子と遊ぶ機会が無かったのです。


唯一、近所に引っ越してきた1歳年下の男の子と友達になったのだが・・・・。




70年近い昔の話しです。





非常に悲しい話ではあるが、友達になって1ヵ月後に、その子は「疫痢」で死んでしまったのです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬に水を飲ませる方法

2016年04月05日 23時25分27秒 | 毒舌(皮肉)
古来より「馬を水辺に連れて行く事は出来るが、水を飲ませることは出来ない」と言われているように、馬に無理やり水を飲ませる方法はない。

無理に飲ませることは出来たとしても、その後は馬が暴れて大変なことになるだろう。


これは人間にも当てはまるだろう。



夏の暑い日に喉が渇いていれば飲むだろうが、喉の渇きが収まればそれ以上は飲まない。




冬の寒い時などは、冷たい水など飲みたいとも思わない。

温かい飲み物であれば飲むことはあっても、それも程度問題である。



前置きが長くなったが、これからが本題である。


安倍総理と日銀の黒田総裁が結託をして、何とか景気を回復させようと躍起になって色々な手立てを講じているのだが・・・・。




そのやり方は、ただ単に「馬(国民)を水辺(消費)に追い込もう」としているだけである。


だが・・・・。



どのような手段を講じたとしても、「物余り」の時代である。


高度成長期のように「どうしても買いたい」と思うものが無い以上、いくら金融を緩和しても無駄なのである。




それを顕著に現しているのが、今回日銀が表明した「1万円札の大量増刷」であろう。


1万円札以外は殆んど増刷しないという。



これは「たんす預金」が増えたことを意味する。

銀行に預けても殆んど利息がつかない。


それどころか・・・・。




「マイナス金利」になる可能性も否定できないのである。


「銀行に預けたらお金が減る」


庶民のお金にまでマイナス金利が適用されることはないだろうが、「絶対に無い」とは言い切れないだろう。




毛利元就の「三本の矢」の意味を取り違えて、一の矢、二の矢、三の矢と立て続けに矢を放ってみたが・・・・。


一向に戦果は上がらない。



安倍総理や黒田総裁がやろうとしていることは・・・・。


「柵を作って無理やり馬を水辺に追い込んでいるだけ」に過ぎない。






今日私はボーリングに行って来た。

その帰り、久しぶりにホームセンターに行って見た。


駐車場はガラガラである。

当然だが、店内は閑古鳥が鳴いている。


何か掘り出し物でもないかと探して見るが、めぼしいものは何も無い。


以前であれば、今の時期はにぎわっていた「園芸コーナー」も、品数が少なく、お客も殆んどいない。

ザット一回り見て回ったが、結局は何も買う物がない。




最近はこんなことばかりなのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日は雨?

2016年04月04日 23時18分24秒 | とりとめのない話
普段しないようなことをすると「明日は雨が降る」などとよく言うが、今日の私が正にそれである。


それは、普段はメッタに洗車などしない私が、今日の夕方、久しぶりに洗車をしたのです。



そのためだろうか、昼間は止んでいた雨が、今また降り出している。



この前洗車したのは・・・・。


4ヶ月くらい前であったろうか。

その時は、夏用タイヤを冬用タイヤに交換したついでで、今回はその逆である。


もう少し早く交換してもよかったのだが、何となく先延ばしに。



気温が低かったことが一つの要因であるが、今日は曇っていたが、寒くはなかった。


そこで急遽タイヤの交換をすることに。




お金を払った交換してもらう人も多いだろうが、私はいつも自分でする。


1本交換するのに要する時間は10分程度。



なので、40分余りで交換は終了。


交換が終わって何気なく車の屋根を見ると・・・・。



スギ花粉で黄色くなっている。


フロントガラスなどは日頃拭いているのだが、屋根までは手が回らない。




スギ花粉はそろそろ終わりらしいが、ヒノキの花粉はまだである。


さて、次の洗車は何時の事になることやら。




時おり、雨降りの日にザットだが洗車をすることもあるが・・・・。


水道代をケチっているわけではありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい環境に慣れる方法?

2016年04月04日 22時54分01秒 | ブログのお題に関連すること
何とも難しい質問ではなかろうか。


新しい環境に慣れる。



何の努力もしないで直ぐに慣れてしまう人もいれば、いくら努力しても環境の変化に対応出来ない人もいる。


私はと言うと、前者の方であろう。


が・・・・。

これは数多く環境の変化を経験してきたことに寄る慣れと言う一面もあるだろう。


別の言い方をするなら、常に恵まれた環境で生活をし続けた人にとっては困難な問題かも。



また「積極性」の有る無しもおおいに関係があると思う。

誰しもそうだと思うが、新な人が自分たちの仲間に加入することには積極的にならないと思う。



受け入れる側が積極的に受け入れる考えがない以上、こちらが消極的ではどうしようもない。


そう、受け入れてくれるのを待っていてはらちが開かないのである。




が、慣れようと頑張っても駄目なこともある。


私の場合は、あえて頑張らないようにしている。





あと「郷に入らば郷に従え」とも言うように、新しい環境を受け入れる努力も必要であろう。


「仲間に入れていただく」と言う謙虚な気持ちも必要だろう。

それでも仲間に入れてもらえないことだってある。



こればかりはどうしようもないと事だと思うがね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学者とは

2016年04月04日 20時23分19秒 | 毒舌(皮肉)
電子辞書で調べてみると、①学問に優れた人、②学問を研究する人、と出てくる。

別な言い方をするなら「研究者」と言う言い方も出来る。


が・・・・。

私は読んで字のごとく「学ぶ者」(人)」と解釈している。


が、ただ単に学ぶ人ではなく、「人並みはずれて学ぶ人」のことを言うのであって、私は該当しない。


そもそも、「学者」と言う表現自体も曖昧で、「雑草」と同じ「普通名詞」である。

「○○学者」と言うこともあるが、これも固有名詞とは言いがたいだろう。


更に、学者になるためには、国家資格も必要ないのです。



そう、周りの人が漠然と「あの人は○○の分野に詳しい」と言うことで、尊敬の意味を込めて「○○学者」と言うことが多いのだが、尊敬に値しない学者もいる。




「学者」とは言うものの、悪い言い方をするなら「オタク」と似たようなものではないだろうか。


オタクと学者。


共に、得意とする分野には詳しいが、それ以外となると一般常識を知らない人も多い。




その境界は非常に曖昧で、オタクは「学者を蔑視した言い方」と言えなくもないと思うのだが・・・・。



更に、同じ分野の学者であっても、考え方は人それぞれで、正反対のことを言う人だっているのです。

それではどちらが正しいのであろうか。


それを決めることは困難だと思う。




そう、意見には個人差があるのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっと七分咲きといったところか

2016年04月02日 23時45分00秒 | とりとめのない話
熊谷ではすでに満開になったらしいが、こちらではまだです。

熊谷より開花が遅い分、満開になるのも遅いようです。
























































木によってばらつきも多く、五分咲きの木もあれば、八分咲きの木まである。


40年位前に植えたのだが、「ソメイヨシノ」だけ植えたはずが、一部に八重桜も混じっている。




40本近く苗を植えたはずだが、半分以下に減っている。


更に、今年は5本枯れているようである。




残るは10本余り。

枯れた木の始末で今年の役員は大変だろう。


植えたのは私が役員をやっていたときである。

私も年寄りになったが、桜も年寄りになったのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2度目の投稿になるが・・・・

2016年04月02日 23時29分01秒 | ブログのお題に関連すること



歩いて1分のところにある隠れた穴場です。

宴会などするつもりは毛頭ないので、ここでも十分に楽しめる。


熊谷では満開になったらしいが、こちらはまだ七分と言ったところか。



その直ぐ横手からは・・・・。













こんな景色も楽しめる。

正面に見える白い建物は「世界無名戦士の墓」で、その下には「さくらの山公園」もあり、花見はそこでも出来るのです。



5月の連休後の土曜日には「慰霊祭」も行なわれ、ここからは夜の花火大会も楽しめる、穴場のスポットでもあるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学者と言う名の困った生き物

2016年04月02日 23時01分36秒 | 毒舌(皮肉)
昭和天皇が「雑草と言う名の草はない」と言う記事を書いたことにコメントを頂いたのだが、学者とは一体どんな生き物なのであろう。


学者も雑草も共に普通名詞で、「生物学者」と言うと固有名詞のようにも思えるが、固有名詞と言うには少々無理があると思うが・・・・。




で、肝心な「学者」に関する疑問だが、学者とはどのような生き物なのであろうか。


私は何人もの学者と言う生き物を見てきている。


彼らの多くに共通することは、「やたらと難しい言葉を並べ立てる」と言うことではないだろうか。



難しい言葉。

「専門用語」とも言う。


専門用語。

その道に長けた人でないと理解不能なことが多い。


そう、理解不能な言葉を並べ立て、「俺はこんな事を知っていて偉いんだぞ」と威張る材料にも使う。



そして、学者などが言うことを「学説」と称することもあるが・・・・。


「論文」として書かれていることも有る。



が・・・・。


その一方で、「学説が覆される」と言うことだっ珍しい事ではないだろう。


「論文が間違っていた」と言う事だってある。


ひどいケースでは「捏造」と言う事だってある。



が・・・・。

一般の人にとっては、「学説」だとか「論文」を持ち出されると引き下がるしかないのが実情であろう。



以前、「宣伝はハッタリだ」と言う言葉に関して書いたことがあるが、「学者」と言う言葉も一種の宣伝材料であろう。




と言うことで、私は「学者」と言う言葉を使う人間を信用しないことにしている。


これはある大学の教授も言っている。




若かりし頃にある大学の教授と話をする機会があったのだが、その教授も「学者はいい加減なことを言うことも多いので、学者と言う言葉は安易に信用するな」と。


「難しい言葉を使いたがる人ほど危ない」とも。



その教授は難しい言葉は使わず、こちらの質問意は丁寧に答えてくれた。


更に「学説」は「後からのこじつけ」の場合も多く、「実情とかけ離れていて、正しいとは限らない」とも。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は4月1日

2016年04月01日 22時39分29秒 | 毒舌(皮肉)
「エイプリルフール」の日と言って、「嘘をついてもよい日」と言われているが・・・・。


古い故事による言い伝えが起源らしいが、「嘘をつかなくてはいけない日」ではない。



が・・・・。


現代社会は嘘で満ち溢れている。


オレオレ詐欺も、嘘をつくことで成り立つ犯罪である。




政治の世界だって、その多くは嘘のつき合いである。


経済界も産業界も嘘で満ち溢れている。



我々庶民の世界でも嘘は絶えない。





良く「人のせいは善である」と言う人が多いが、本当にそうなのであろうか。


これはあくまでも「そうであって欲しい」と言う願望によるものでは?。






少なくとも、私はそう思っている。


もし本当に人のせいが善であるなら・・・・。





規制や法律の多くは必要ないはずである。


が・・・・。





現実には、次から次へと新しい規制や法律が作られる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近嘘をつきましたか?

2016年04月01日 21時32分28秒 | ブログのお題に関連すること
そもそも「嘘」とはなんであろうか。

一口に嘘といっても、その中身は様々で、人によってもとらえかたが違う。


また、同じ嘘であっても、悪意がある嘘や、善意による嘘もある。




今日が「エイプリルフール」だからこんなお題になったのだろうが、嘘をついたことのない人などいるのであろうか。



で、肝心なお題に関する話しだが、私は日常的に嘘をついて生きている。

「自分の本心を偽る」のも嘘をつくのと同じである。


また、自分の本心を偽るにしても、自分自身のために偽ることもあれば、相手を思いやった上でのこともある。



と、あれこれ考えてみれば、嘘をつくのは「日常茶飯事」と言っても良いだろう。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする