へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

銚子市長がリコールで失職

2009年03月30日 03時59分48秒 | Weblog
市立病院の存続を公約にして当選したのであれば、「市立病院の診療休止」と言う事態になれば「リコールも止むを得ない」と言うことにはなるのだが、果たしてそれで「問題解決」と言うことになるのだろうか?。
市民の側にすれば「公約違反」と言うことになるのだろうが、「財政難と急速な医師不足」と言う根源的な問題を考えれば「安易にリコールする」と言うのは考え物だと思うのだが。
国鉄を民営化し、郵政事業も民営化と、何でも民営化(採算第一主義)と言う風潮の中、医療や介護などの福祉の分野まで同じ物差しを当てることがよいのだろうか?。
医師と言えども所詮は人の子、「赤ひげ先生」のように採算を度外視するような人など滅多にいるわけではなく、私たちと同じように「少しでも良い方に行く」と言うのは仕方ないことで、「医師だけを特別視する」と言うのはどうかと思うのだが・・・・。
事故などによって失われた命の賠償金の額だけはどんどん上がり続けていると言うのに、その命を守る医療の現場では「診療報酬の引き下げ」と言う相反したことが行われている。
さて、リコールで現市長を失職させた後はどうなるのであろうか?。
改めて市長選が実施されるのだが、立候補する人たちは「市民病院の再開」と言うことを最大の公約に掲げるのだろうが、「財源難」と言う問題を解決しない限り実現は難しいであろう。
100年に一度と言う世界的な不況の中で財源を確保することが如何に難しいことか。
雇用の場がなくなり失業する人が増加して「ワークシェアリングが必要だ」と言われているのだが、「100年に一度の不況で財源不足が増加」と言うことを考えれば「マネーシェアリング」と言うことも考える必要があるだろう。
「自分の生活の質は落としたくない」と考えるのは至極当然なことでは有るが、その結果として「市民病院の休止」と言うことになれば、「プラスマイナスゼロ」と言うことになってしまう。
この「プラスマイナスゼロ」と言うことを考えれば、政府などが言うところの「低負担中福祉」などということは詭弁に過ぎず、低負担であれば「低福祉は仕方ない」と言うことになるのである。
仮の話ではあるが、「低負担中福祉」を実現しようとすれば、「福祉を受ける側以外の人がその分犠牲になる」と言うことになり、結局は誰かの犠牲がなければ成り立たない「机上の空論(詭弁)」でしかないのである。
「温室効果ガスの削減」にしても同じことで、一般家庭が削減の努力しなければ実現など出来るはずがないのであるが、「選挙対策上」民意に反することなど口が裂けてでも言えないのだろう。
「市立病院の休止(閉鎖)」と言う問題は日本中にある問題で、「明日は我が身」と考えておかないと大変なことになる。
「何処かをケチれば、その分を他の何処かで穴埋めをする」と言うことになる事を忘れては居ないだろうか?。
コメント
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