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陸に上がったカッパの海無し県生活

潜りから漁師へ。身体を壊し船を下りた。
海の話、釣りの話。脳脊髄液減少症。

ろうばいの花

2007-01-13 21:19:41 | Weblog
我が家の庭に咲いた蝋梅(ろうばい)の花。

まるで蝋細工でできたかのような、透き通った感じから蝋梅と呼ばれる説と、
旧暦の12月(朧月)に咲く梅の花に似ているから、そう呼ばれる説があるそうです。
花言葉は、ゆかしさ、慈しみ。

甘く優しい香りがする。
部屋の中から何気なく見ていたら、二羽の鳥(椋鳥だと思うのですが)が
この花びらをついばんでいた。
美味しいのかな?
思わず花びらを口に含んでみたくなったが、それは止めておいた。

離れて見ると、その黄色は花だか葉だかよく分からないが、
近くで見ると可憐で美しい花だ。



山の空気

2007-01-11 22:27:06 | Weblog
山の空気は冷たく澄んでいる。

仕事場の気温は朝の開始時で、氷点下5~6度になるだろうか。
峠を一つ越した軽井沢あたりでは、氷点下15度にもなるらしい。
もっとも、家から2時間ほども車で走れば、氷点下20~25度にもなるところがある。
信州の小海、川上村辺りがそうだ。
意外と知られていないが、東京からそう離れていない地点でも、極寒ともいえる地はある。

そんな寒い信州でも、千曲川の渓流釣りは全国一早い2月16日に解禁となる。
早春と言うには早すぎる・・・。
でも渓流の解禁も、春の訪れの目安かもしれない。
10数年前に一度だけ、そんな早春の渓に入った。
濡れた靴で岩の上に乗って、飛び降りようとして川に落ちそうになった。
何故でしょう?
靴の裏が凍りついて、岩に張り付いてしまっっていたからです。
本当に寒いんですね。

寒いのは大の苦手だ。
今はまず、体に堪える。

春はもうすぐ。
我が家の近くでは、ろうばい(蝋梅)の花が満開のようだ。
例年より2週間ほど早いらしい。


工藤移籍

2007-01-10 22:09:25 | Weblog
ジャイアンツの工藤選手の移籍が決まった。
移籍というよりは、体のいい放出だろう。

他選手のFAに伴う人的保障というものだそうだが、
そもそも何故、工藤選手のように実績のある選手が一軍のプロテクト枠に入らないのだろうか?
ジャイアンツは所詮、生え抜きの選手でなければ残れないのだろうか?
球団の考えはこうだ。
将来性のある若手選手を優先せざるを得ない。
確かに、工藤選手は43歳という年齢もある。
しかし、確実に成績は残している。
その野球に取り組む真摯な姿勢も、誰もが認めるものだろう。
その姿勢こそ、若手選手に見習わせるべきことだろう。

今のジャイアンツに、若手選手を育てる気が本当にあるのかどうか、甚だ疑問だ。
春先に活躍していても、ちょっとチームの成績が悪いと、
すぐに外国人選手を連れてきたり、トレードをしたりする。
若手はいくら活躍しても、そこで出番は終わってしまう。
毎年毎年、そんなことの繰り返しだ。
誰がどう見ても、若手の育つ環境が整っているとは言えないのではないか。
そして、外から連れてこられた選手も、まるで使い捨てだ。
都合のいいときだけは、いいように使われて、ちょっとでも成績が落ちると、
放出されてしまう。

去年の野球人気の低迷を、ジャイアンツ首脳はどう考えているのだろうか?
このままでは数年後、日本のプロ野球界は崩壊してしまうだろう。

工藤選手には横浜という新天地で、巨人打線をバッタバッタと薙ぎ倒してもらいたい。
活躍を祈ろう。

話は変わるが、小笠原選手は活躍できるのだろうか?
ジャイアンツに移籍が決まって、新たな気分でなどと、長髪と髭を切ってきたが、
それならもっと前からスポーツ選手らしくしていろよと言いたいのだが。
ヤンキース入りが決まった井川も同じだ。
ま、そんな事はどうでもいいですけどね。







新春行事

2007-01-08 23:11:21 | Weblog
元旦の挨拶をしてから、暫くぶりの更新ですね。
出だしは体調最悪となってしまいました。
仕事から帰って、風呂、食事と済ませると、ベッドに直行するような有様で、
グッタリとしていました。
そのベッドに、楽しみが待っているのならいいのですが、
当然そんなわけもありませんし・・・。
ただひたすら痛みとだるさに耐え、翌日の仕事に備える。
その為だけに睡眠を貪るだけの寂しい日々です。

新春ということもありますので、タイトルとも文とも何の関係もありませんが、
新春らしくオメデ鯛ということで、鯛の写真でも載せておきましょう。
因みにこれは6キロと4キロの鯛で、磯からフローティングルアーで釣ったものです。
ね、磯からもルアーで鯛を結構釣ってるんですよ。

さて、世間では3連休だったんですね。
なかには年末からの休みが続いたところもあったようです。
この連休は各地で様々な新春行事があったことと思います。
七草(七種)、十日えびす、どんど焼き、成人式などなど。
実は僕は、このような行事について殆ど知らないのです。
成人式も知らないのって言われそうですが、
実際、僕が二十歳の年の成人式の日には、寒い思いをして仕事してましたしねぇ。
やっかむわけではありませんが、今行われている成人式など、
何の意味があるのでしょうか?
まあ、そんなことはどうでもいいですが。

春の七草は、本当は七種と書かれるそうです。
こちらは一月七日に七種の穀物(野菜)をお粥に入れて食べ、
無病息災を祈る行事ですよね。
対して、秋の七草は観賞用のものだそうで、俳句などにも多く詠まれているようです。
僕は一度か二度、七草粥を食べた記憶はありますが、美味しいものではありませんしねぇ。
とんと御無沙汰しています。

どんど焼きというのも、僕は見たことがありません。
東京では(僕の育った地では)やってませんでしたから、
親の話しなどでしか知りません。
これなども今では環境問題などが取り沙汰されて(紙などを燃やすのがいけないらしい)
中止されている所も多いようですね。
これは、一月の14日か15日に行われるところが多いのでしょうか?
でも、このような風習は残していってもらいたいと思うのですが。

十日えびす、って、関東の人間は馴染みが無いですね。
僕も、山陰地方で漁船に乗って初めて知ったことです。
漁師はこの日にお参りして、祝い?の席を設けます。
知ったと言っても、単にそういう行事があるということだけで、
未だにどんな意味があるものなのかは知りません。(商売繁盛、大漁祈願などでしょうが)
関東では、十日えびすってありませんよね?
でも、西宮神社などでは、初詣客よりもお参りする人が多いとか?
西宮神社というのは、
全国にある恵比寿(恵比須、戎、蛭子)神社の総本山(というのが正しいのでしょうか?)
らしいのですが、
何故全国に恵比寿神社があるのに、
関東(以北かな?)では十日えびすという行事が無いのでしょうか?
不思議ですね?

こんな様々な新春行事があるのに、殆ど触れたことがないのですが、
うちの近くでは大きな行事があったんです。
一月の六日から七日にかけて行われる、だるま市というものです。
今年も寒い中、多くの人出があったようです。
来年あたりは、どんなものなのか行ってみようかな・・・。








雪化粧

2006-12-29 23:20:15 | Weblog
ここのところ暖かい日が続いて、年内は雪は降らないだろうと思っていました。
ところが昨夜、大粒の雪がパラパラと降ってきました。
何センチも積もるほどではありませんでしたが、急激な冷え込みと強風のせいで、
うっすらと溜まった雪がそのまま凍りついてしまいました。
本当に今日は寒かったです。

さて今年も残すところ二日となりました。
非常に調子が悪く、明日明後日とブログを更新する余力がありそうもないです。
そんなわけで、今日を以ってこの一年の締めくくりとさせていただこうかと思います。
今年の2月から始めたこのブログですが、その間大勢の方からコメントを頂きました。
辛い時には励ましやアドバイスなどを頂き、お陰様で何とか乗り切ってまいりました。
本当に、心から御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
そして来年が、皆様にとって良い年でありますように。

脳脊髄液減少症を取り巻く環境は非常に厳しいですが、
明るい兆しが見えてきますように・・・。

では、新たな年にまたお会いしましょう。
本当に、ありがとうございました。

休暇

2006-12-23 21:39:02 | Weblog
もうそろそろ年末年始の休暇に入る企業もあるようですね。
あちらこちらで「良いお年を」という声も聞かれるようになりましたが、
ちょっとピンときません。
もっとも、僕は年末年始も通常勤務ですし、
代わりの休暇が取れるわけでもありませんので、
普段の生活と何も変わるわけがないのですが。

それにしても、一年の過ぎるのが早い事といったらありません。
一日一日は長いのですが、何ででしょうか?
10代から20代前半の頃と比べて丸っきり反対に感じます。
昔(と言うのも変ですが)は、毎日が早く過ぎ、
1年2年という時間がゆったりと流れる感じでした。
今は全てにおいて、余裕も無いですからね。
焦ってばかりいるからかなとも思えます。

今年も残すところ一週間余り、反省すべきところは振り返ってみて、
来るべき年に生かしましょうか。

もうちょっと心に余裕が出来たらいいなぁと思います。

今年、何かに感動した事ってあっただろうか?
考えてみても何も無いんだよな~・・・。
あ、そうだ。
河川改修でもう死んでしまったと思っていた川で、
「カジカ」を見つけたっけ。
ちょっと感動。
水自体は良い川なのに、いらぬ工事ばかり・・・。

来年も、あの「カジカ」に会えるだろうか?








亀田

2006-12-20 21:48:24 | Weblog
今日は完勝でした。
あんなボクシングも出来るのかと感心しました。
KO狙いの派手さはないものの、通好みの勝利ではなかったでしょうか。

前回の疑惑の判定勝利で散々叩かれ、彼自身の口から出たように、
本当に死に物狂いで練習を積んできたのでしょうね。
だからこその、あの涙でしょう。
それにしても、今まであれだけ叩かれたことが良い経験になったのではないでしょうか?
前回は自分でも勝利を認められなかったのでしょうし、悔しかったでしょう。
それをバネにしたのだと思います。
反対に、弱い人間だったら、とっくに潰れていたかもしれません。

彼のことを嫌っていた人の中でも、今回は見る目が変わった人もいるでしょうね。
今日は素直に褒めてあげましょう。

弟は・・・。
相変わらず相手選手は、いわゆる典型的な「咬ませ犬」。
あまり調子には乗らないほうがいいでしょう。
一度は兄貴と同じような経験をしたほうがいいのかとも思えますが・・・。

今日は素直に、亀田興毅選手おめでとうと言えます。
前回の試合から今日までのことを忘れないで頑張ってほしいものです。




2006-12-08 22:04:41 | Weblog
思えば今まで、旅から旅への人生だったように感じる。
決まった所で起きて決まった仕事場に行き、決まった所に帰る。
今のような生活は苦手だ。
普通の人にはそれが幸せであり安らぎなのであろうが、自分の性ではない。

旅に出たいと、つくづく思う・・・。





リフレッシュ

2006-12-05 22:15:12 | Weblog
もう、休日恒例となってしまった温泉へ。
筋肉がクタクタに軟らかくなるまで温泉に浸かってやろうかと思いましたが、
やはり僕には10分が限界のようです。
お湯に浸かっているだけって、すごく暇なのです。
一時間も温泉に入っていられる人が信じられません。

それでも体は温まるし、
このところ痛みの酷い手の指
(何で指なんかが痛むのでしょうか?それも全体的にです)
や膝、アキレス腱などの痛みは、大分和らぎます。
ただ、首から肩、肩甲骨の周りの痛みと張りはどうにもなりませんが。

そして、風呂上りの牛乳の美味いこと。
気がつけば、腰に手を当てて飲んでいたりして・・・。
そういえば、入院中に窓の外を見ながら牛乳を飲んでいたら、
看護婦さんに、からかわれたっけ。
「あ~、腰に手ぇ当ててる~」って指を指されて大笑いされました。
別にいいじゃん、ほっとけって感じですが、
何故、無意識に腰に手を当ててしまうのでしょうか?
そのうち、夕陽に向かって「バカヤロ~」って叫んでいるかもしれませんね。
まあそれも山の夕陽では様になりませんか。

風呂に入っている時だけが、ほんの束の間の安らぎです。
体もその時だけは少し楽になるし、
頭の螺旋も思い切り緩めて(いつも緩んでいるが)
クダラナイことなどを考えればストレス緩和にもなるってもんです。

そこで一言・・・
「はあ~極楽、極楽」
ってそんなこと言う人なんていませんよね~。

明日からまた地獄の一日の始まりか・・・。







イナゴ

2006-12-04 23:29:57 | Weblog
先日、父親がイナゴの佃煮を貰ってきました。
久し振りに食べてみましたが、美味しかったですよ。
歯ごたえもいいし、香ばしい味がして御飯も進みました。

イナゴといえば、最初に食べたのが小学生の頃だったでしょうか。
当時は東京の板橋区に住んでいましたが、
近所では(今の高島平辺り)イナゴなどはいくらでもいました。
高島平は当時は徳丸ヶ原と呼ばれ、見渡す限りが田んぼや原っぱでした。
そこは僕らの格好の遊び場でした。
バッタを獲ったりザリガニを釣ったり、いつも泥だらけになって遊んだものです。
そういえば、大東文化大学の目の前に、化石が採れるところもありました。
貝の化石などはいくらでもあったように記憶しています。
東京では一番奥に位置する高島平辺りも、大昔は海だったのかも知れません。
遊び場には困る事はありませんでしたが、
それでも子供同士の縄張り争いのようなこともありました。
終いには相手の中学生の兄貴などが登場してきて、よくボコボコにされた記憶もあります。
こちらは小学低学年、あちらは立派な体格の中学生ですから、勝てるわけもありませんでした。
今に見ておれ、コノヤローと思って過ごしていましたが、
その相手は終いには立派なその筋の方になっており、
いつかブチノメシテやろうという思いも自然に消えてしまいました。
東京の下町では、そんな事は日常茶飯事でした。

近所には戦後の混乱期を乗り越えてきたお年寄りがいて、
僕が獲ってきたイナゴやザリガニなどを、喜んで持っていきました。
そんな人たちから料理したものを貰って食べたのが、イナゴ初体験でした。
小学校の低学年だったので、あまり抵抗もなく食べられたのでしょう。
当時も、美味しいものだと思いながら食べた覚えがあります。
まあ、佃煮ですからね、小魚の佃煮などと味自体は大差があるわけでもありませんし、
見た目も、そのものズバリという感じではありませんから、今も抵抗無く食べられます。

イナゴの佃煮は、大変な手間が掛かるようです。
まずは一日生かしておいて糞を出させてから蒸し、天日干しにして、
それから一匹ずつ羽と足を取って、やっと佃煮作りに取り掛かるそうです。

イナゴの栄養価は凄いらしいです。
食べる機会があったら、一度チャレンジしてみる価値はありますよ。







2006-12-01 18:30:30 | Weblog
やはり携帯では上手く撮れません。
中央に写っているのは雉の雄です(分かり辛いですが)
もっと近くにいたのですが、携帯を開けている間に走り出してしまいました。

これを撮った辺りは雉の住処になっているようです。
ここを通り掛かると、ほぼ毎回、雉に出遭います。
時には4~5羽が連れ添い歩いていたり、つがいでいたり、
一般の人は入れないし、もちろん鉄砲撃ちも入れませんから、安心しているのでしょう。

先日は雄鳥が2羽で、まるでダンスでも踊っているような状況に出遭いました。
雄と雌なら求愛のダンスなのでしょうが、あれは何の為の行動なのか、不思議です。
そうですねぇ、ちょうどワルツでも踊っているようでした。
あんな姿は二度と見れないでしょう。

雉という鳥はなかなか気が強いようですね。
いつだったか道の真ん中で、
1.5mは優にあろうかという青大将(田中邦衛ではありません)
と喧嘩しているのを目撃しました。
この時ばかりは、人間の姿も目に入らなかったのでしょう、
すぐ近くで見ていましたが、お互い必死のようでした。
そりゃそうですね、喰うか喰われるかの勝負をしているわけですから。
このときは、激しい闘いの後に、青大将が逃げ出してしまいました。
草むらの中に逃げ込む青大将の後を雉は追いかけていったので、
恐らくは餌食になってしまったでしょう。

自然の中の生物は逞しいです。
そして弱肉強食の掟。
逞しくなくては生きていけません。


給食費滞納

2006-11-28 22:09:40 | Weblog
子供の学校の給食費を滞納する世帯が増えているという。
貧困層が拡がり、本当に払えない家庭も多いのだが、
親が高級外車に乗っていたり、ブランド物のバッグなどを持っている、
経済的には豊かな家庭でも、給食費を支払わない家庭があるというのだから、
ちょっと何か変だ。
経済的には豊かでも、心は空っぽなのでしょう。
例え貧乏のどん底にいたって、心の豊かな人はいっぱいいるというのに。

支払いを催促すると、「義務教育なのだから、お金を払う必要は無い」
「もうちょっと美味しいのなら、お金を払う」など、
屁理屈にもなっていない、耳を疑うような言葉が返ってくるそうだ。

こんなもの、モラルの低下とか欠如とか、そんなレベルじゃない。
おまけに、給食の時に「いただきます。ごちそうさま。」など、
何故ウチの子に言わせるのか?そんなこと言う必要が無い。など、
そんなことまでに文句を言う親がいるそうなのだが、
どうなっちゃってるんでしょうかねぇ?

給食費の滞納が増えた結果、中には給食の食材を安い物に落としたり、
給食そのものを廃止にしてしまった学校もあるらしいです。
お金があるのに払わない。そんな親がいるお陰で、
本当にお金が無くて払えない家庭の子供にまでシワ寄せがきてしまいます。
中にはどんなに貧乏でもちゃんと支払っている親もいるのです。
お金がある家庭の給食費まで、
担任や教頭、校長が立て替えて払っている例も少なくないようです。
校長先生が一年生から六年生までの滞納された給食費、
40万ものお金を立て替えた例もあるようです。

おかしな世の中になってきたものです・・・。

給食の話しからちょっと離れますが、教育再生会議で、
保護者が教師を採点する構想まで決められるような話しが出ていました。
モラルの無い親が、教師を採点などしても、結果は見えているような気がしてなりません。
ウチの子が、ウチの子がで、わが子さえ良ければいいという親が増えているのですから。

教師のレベルも下がっているとは言え、本当に大変な仕事ですね。
教師、恩師、先生・・・最近の親も子供もそんな風には見ていないのでしょう。
教師は尊敬に値する人物でも何でもなく、ただ勉強を教える人でしかないのでしょう。
それでさえ、塾レベルで判断されてしまっては、救いようがありません。
もはや、教師が教育に対して投げ遣りになってしまったとしても、
納得さえしてしまう部分もあります。

前にも書きましたが、「友達のような先生」「友達のような親子」
それが子供たちの理想だそうです。
そんな事を言わせてはいけません。
教師とのケジメ、親子のケジメ、先輩後輩のケジメ、年配の人を敬う気持ち・・・。

親子揃って、改めて「道徳教育」を受ける必要があるのではないでしょうか?
勿論、それが全ての人に当て嵌まる訳ではありませんが。



紅葉

2006-11-20 21:39:48 | Weblog
紅葉です。
仕事の合間にちょっとパチリ。

今日は雨降りの中、合羽を羽織っての仕事でした。
そう、冬に首の具合が悪化する原因がもう一つありました。
上着を着ることによって、首に大きな負担が掛かるのです。
健康な人にそんな事を言っても分からないでしょうが、
これがとっても堪えるのです。

今の首から肩の感じですが、100キロくらいの握力の持ち主に両肩を鷲摑みにされ、
下に思い切り引っ張られている感じとでも言いましょうか。
そんな感じで一日を過ごさなければなりません。
昨日一日ゆっくりと休養したのに、朝からとっても疲れきっていました。

今日は大きな虹が二つ架かり、ほんの束の間ですが気持ちが癒されました。
海辺で暮らしていれば虹なんて珍しくもありませんが、
久し振りにキレイな虹でした。

さて、我が地方の紅葉ですが、山の上のほうでは終わり、平野部で盛りのようです。
ここから少し離れた所では、冬桜が満開の所もあり、
少し遅れた紅葉のお陰で、満開の桜と真っ赤な紅葉が同時に楽しめる所もあるようです。
きっとキレイでしょうね。

しかし最近、寒さがどうのとか、天気がどうのとか、
そんな事しか書いてませんね。
疲れきった身体で仕事に行き、帰ってからは痛みとだるさでグロッキー。
なんか、情けな~。。。
背中に暮らしを引きずっているような、
10代の頃、そんな大人にはなりたくないと思っていたような大人になってしまったようです。

M-1943インナージャケット

2006-11-19 00:16:31 | Weblog
これは、M-1943フィールドジャケットと呼ばれる、
米海兵隊で使用されたジャケットの防寒用として着用される、
インナージャケットの実物だ。

ちょっとこれのタグには製造年月日が入っていないので、詳細は不明だが、
太平洋戦争当時の1943年から?数年間製造されていた物なので、
今から60数年前に製造されたことになる。

もう20年近くも前になるだろうか、ある古着屋に入った時に、
店の飾りとして壁に掛けられていて、真っ先に目に飛び込んできた。
このジャケットが、僕に着てくれと言っているようだった。
店のオヤジは、これは売り物じゃないから絶対に売れないと言った。
まあちょっとこの店のオヤジが偏屈オヤジで、気に入らない客だと、
どんな物でも絶対に売らなかったり、喋りもしないのだが、
普段僕が行くと山のように積まれた品物の中から色々と引っ張り出して、
進めてくれたりしていたのだから、やはりこれだけは絶対に売らないであろうと思った。

思えば、幻とさえ言われたリーバイスのジーンズなども何本かそこの店で手に入れたこともあった。
恐らくは、原宿、渋谷の古着屋などで見かければ数十万という値が付くであろうことは間違いの無い物だろう。
僕はそれを数千円という値で手に入れていたのだ。
ただ、僕はそれが当たり前のことなのだと思っている。
たかだか汚い古いジーパンである。
何十万、何百万などと払うなんて、馬鹿げている。
店のオヤジが商売っ気が無いから、そのような適正な値段で入手することが出来ていたのだが、
今ではさすがにそんな店は無いだろう。
ジーパンの修理なども天下一品だった。
明後日までに直しておいてやるよと言われて取りにいくと、
競馬に行っちゃったから直ってないやとか平気で言うし、
いつも酒の匂いが凄くて酔いどれた感じのオヤジだったが、
何年か東京を離れて帰ったときに行ったら、店が無くなっていた。
めっちゃ寂しかったけど、いつも店閉めたいって言ってたから、
店を閉めて多分飲んだくれているのだろうなって思ったっけ。
一度雑誌に紹介されちゃって、ミーハーな客が押し寄せるようになったことなども、
店を閉めたい理由の一つだったんじゃないかとも思える。
繰り返すが、ジーパンなんて何十万も払う物ではないし、
飾り物にする物でもない。
ガンガン履き倒さなくちゃ。
中には、ヴィンテージだから絶対に洗っちゃいけないとか言う人間もいるけど、
どこか間違ってるよ。
そりゃね、洗い方とかは少しは気を遣いますが。

実はこんなこと書いてはいるけど、
今僕の手元にはヴィンテージジーンズも、ミリタリージャケットも、
全く残ってはいないのですけども。


大分、話しが逸れてしまったが、絶対に売らないと言ったこのジャケット、
数分間で交渉成立となってかなり安い値で買い、未だに僕の手元にあることになる。
このジャケットは稀少品だろう。
運良く見つかっても、袖や襟がほつれていたり、
生地自体が擦り切れている物が殆どだと思う。
しかし、これはボタン以外は大きな修理痕もなく極上の美品だろう。
普段着として着たいのだが、残念ながら僕には胸のサイズが合わなくて、
窮屈で着れない。

値段は、僕が入手した当時のほうが高い値が付いたのではないかと思われる。
(最も、当時あったとしてもどこでも売りには出さなかっただろうが)
今はミリタリー人気はレプリカなども多く、
実物などは一部熱狂的なファンが欲しがるだけで、
それほどの高値は付かないと思う。

さて、僕が所有するこのジャケット、歴史が刻まれている。
胸には当時の所有者と思われる人物の名と、所属部隊名が刻まれている。

LOPEZ  
THE FLYING 7th
THREE3

それを見ると、複雑な思いが込み上げてくるが・・・。





ギョッ!!

2006-11-12 21:43:03 | Weblog
下の写真がデカくてビックリ。
まさかこんなことになるとは?
ブログのサイズ自体が狂ってしまってますが、
こんなのでも一応は入るんですねぇ。

携帯を水没させてしまって新しくして、
どんなサイズで撮れるのか全く分かりませんでした。

ま、いっか。
このままにしておきましょう。