福沢諭吉の『脱亜論』と言えば朝鮮とかかわるなのイメージが広まっています。
しかし話の趣旨はあくまで脱亜。
朝鮮だけでなく支那ともかかわらず西欧の流儀でやれというのが要旨です。
あの短い論文ではここまでは書いていませんが、当時の旧弊朝鮮の背後にいたのが時代遅れの清朝。
だから脱亜の対象は朝鮮よりもむしろ清朝です。
そして朝鮮についての脱亜が現代に当てはまるのと同じく、現代の支那=中共に対しても当てはまります。
さらに南朝鮮の反日に目を奪われ中共の脅威を過小評価するとなればなおさら。
平成最後の日にこんな国々のことは書きたくなかったけれど、見落とされがちなのであえて書きました。
しかし話の趣旨はあくまで脱亜。
朝鮮だけでなく支那ともかかわらず西欧の流儀でやれというのが要旨です。
あの短い論文ではここまでは書いていませんが、当時の旧弊朝鮮の背後にいたのが時代遅れの清朝。
だから脱亜の対象は朝鮮よりもむしろ清朝です。
そして朝鮮についての脱亜が現代に当てはまるのと同じく、現代の支那=中共に対しても当てはまります。
さらに南朝鮮の反日に目を奪われ中共の脅威を過小評価するとなればなおさら。
平成最後の日にこんな国々のことは書きたくなかったけれど、見落とされがちなのであえて書きました。