左翼が固執する用語に「ネトウヨ」があります。
ネット上に限っても最近の保守の主張は多様化し、激烈排外の「ネトウヨ」でひとくくりにできるようなものではなくなっています。
しかしこんな実態には目をつぶってでも左翼、どうしてもこの語にこだわりたいらしい。
そこには保守とはひところネットでの過激な排外書き込みをやっていたような層であるとの独断があるからでしょう。
独断と言いましたが、それは保守に対する左翼のイメージであり、保守とは永遠にそうあって欲しいという願望も込められている。
例によってエビデンスなんかありません。
ところで左翼マスコミはサイレントマジョリティーを無視して「市民の声」「指揮者の懸念」「海外の反応」「世論」を偽造し印象操作していると保守の人は批判します。
しかし印象操作によって実態が見えなくなっているのは当の左翼自身もです。
自分たちは既にマイナーな特殊集団化しているが、保守も依然として特殊な「ネトウヨ」である。
そしてこの「である」は「はずである」であり、「そうであって欲しい」の切ない願望も込められている。
一見些細なネトウヨの言葉にも今の左翼の置かれた状況、投影しているのでは?
ネット上に限っても最近の保守の主張は多様化し、激烈排外の「ネトウヨ」でひとくくりにできるようなものではなくなっています。
しかしこんな実態には目をつぶってでも左翼、どうしてもこの語にこだわりたいらしい。
そこには保守とはひところネットでの過激な排外書き込みをやっていたような層であるとの独断があるからでしょう。
独断と言いましたが、それは保守に対する左翼のイメージであり、保守とは永遠にそうあって欲しいという願望も込められている。
例によってエビデンスなんかありません。
ところで左翼マスコミはサイレントマジョリティーを無視して「市民の声」「指揮者の懸念」「海外の反応」「世論」を偽造し印象操作していると保守の人は批判します。
しかし印象操作によって実態が見えなくなっているのは当の左翼自身もです。
自分たちは既にマイナーな特殊集団化しているが、保守も依然として特殊な「ネトウヨ」である。
そしてこの「である」は「はずである」であり、「そうであって欲しい」の切ない願望も込められている。
一見些細なネトウヨの言葉にも今の左翼の置かれた状況、投影しているのでは?