『自己創出する生命』を読んで、書棚の奥に積読だったのを発掘(3度の引越しを生き延びたということはいつか読もうと思っていたんでしょう)。
1994年に出版された、多田富雄氏(1993年『免疫の意味論』で大佛次郎賞、今年4月にお亡くなりになられました)、養老孟司氏(『唯脳論』が1989年)と中村桂子氏(上記『自己創出する生命』で毎日出版文化賞受賞)のいわば旬の3人の対談本。
その後文庫化されたようですが現在は絶版。
3人の対談と、多田-中村、養老-中村の二人同士の対談が収められています。
テーマはは「自己」「生命」とは何か、人間と自然、「人工」との関係などを中心に。3人の専門である免疫学、生命科学、解剖学の視点を交差させながら進んでいきます。
対談なので話が飛び飛びになるのですが、今でも興味深い切り口がたくさんあります。
以下はネタ帳代わりのメモ。
(養老)
実は「他人が見る自己」というものを保証することが、日本の社会制度が持っていたある種の意味ではなかったか。それを明治以降組織的に壊していく。壊していった結果が何になるかというと、大正頃から出てくる「自我」の問題になってくる。
(中村)
Y染色体を調べるともののあわれを感じる。X染色体には大切な機能がたくさんあります。私たちは二倍体、つまり同じ染色体を二本ずつ持っているために、二本のうちで何か機能が欠けてしまうことがあっても、もう一本で働いていれば個体としては、問題ないわけです。女性はX染色体についても二本ありますからそのどちらかに欠損があっても大丈夫。しかし男性はXが一本しかない。一本足りないのです。ですから持っているXに欠損があるとそれが直接病気などになって出てしまいます。
(多田)
Y染色体なんてなさけないですね。小さいし、遺伝子は少ないし、少ない遺伝子の一つに精巣決定因子があることが分かってきましたが、そのはたらきなどで、やっとのこと無理やり男にひきもどしているわけです。
(中略)
(多田)
ですから男は簡単なことで女になってしまいますね。アンドロジェンレセプターがないXYの人なんて、女性よりももっと女性的ですからね。だから私は女というのは存在だが、男というのは現象に過ぎないなどといっています。つまり、さっきの言い方を使えば男という「もの」があるのではなくて男という「こと」がある。
(養老)
私のところに中国人の留学生がいまして、二年になりますが、先週「先生、ネズミと人間は同じですね」というんです。中国人はネズミと人間は異質な存在だと思っている。彼女は中国で解剖を教えていたんです、看護婦さんに。ン間の解剖の教科書を持たせて、これでネズミを解剖してごらん、これで十分間に合うはずだから、といったんです。「人間と動物は同じですね」と言うところに行くのに二年かかったんです。
(中略)
中国は非常に先進国だ、という気が最近ますますするんです。あまりにも先進国であるために完全に人間社会になってしまった社会があるとすれば、中国のようになる。そこでは自然の概念がない。自然の概念がないところで自然科学が育つわけがない。科学技術になってくると違う。人間のためだと、いうわけですから。
(多田)
普通だったら科学があってそれから科学技術がその応用というふうに行くんだと思いますけど、科学技術から始まるから、それはスピーディーですよね。
(養老)
ええ、かつてヨーロッパ人が、日本人を見てそう言ったんだと思います。
(中略)
(養老)
そういう人たちは、ネズミと人間とは異質だと思ってるんです、どこかで。それがつながってくるまでは、日本が通った道を通るのか、あるいは通らないのか。僕はひょっとして通らないんじゃないかと思うんです。というのは中国は、そういう段階を、既に諸子百家の時代に通っちゃっているので。・・・社会と言うものが成熟してくると、ある特定の思想を作りあげて、そこから出なくなってしまう疑いがある。それを訂正してくれるのが自然です。ところが自然が消失して行く。外から自然が無くなって行くのと、頭の中なら無くなって行くのはパラレルじゃないか。それは原因と結果の関係じゃない。中国を見るとよくわかるけれど、中国には自然がない。
(中略)
(養老)
どの発展段階で(科学技術が)入ってくるかで、どこが侵食されるかが違ってくる。だから、同じヨーロッパでも、環地中海地方は、なぜか知らないけれど、同じ段階を通ってしまった。スペインまではハゲちゃった。中世以降に、いわゆる西ヨーロッパがハゲて行く。近代ヨーロッパの成立とは、森林の喪失と並行して十九世紀に進行して、ポーランドまで行く。
(多田)
再生力の強いイタリアだけが自然を守った。そしてヨーロッパでは後進国になった。
(中略)
(多田)
イタリアはまた不思議な国で、超先端科学は、それはそれで先端を走るわけですけれど、国民は無関心なんですね。
(養老)
それで変な迷信じゃないけれど、いっぱいあるんでしょ。ちょうど中国の紀行とか漢方とか太極拳とかのような。
(多田)
あれと同じようなものありますよ。太陽信仰とか奇跡の水とか。
(養老)
行きつくところまで行ってしまった社会というか、歴史が循環していません?ローマが無くなってしまって以降は、まあこんなもの、という感じ。ちょうど中国がこの二千年、まあこんなものであったように。