一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

民主党の情報管理

2006-06-19 | まつりごと

村上ファンド関連会社、民主議員の秘書給与肩代わり
(2006年 6月19日 (月) 16:40 朝日新聞)

民主党の前原誠司・前代表は18日、京都市東山区で開いた国政報告会で、証券取引法違反容疑で逮捕された村上世彰容疑者が代表を務めていた村上ファンドの関連会社が、同党の松井孝治参院議員(京都選挙区)の秘書給与を肩代わりしていたことを明らかにした。党本部の調査で分かったという。

これに先立つ共同通信の記事では

民主党の松井孝治参院議員・・・が村上ファンドの関連会社に秘書給与を肩代わりさせていたとして、党本部が調査を進めていることが19日分かった。複数の党幹部が明らかにした。 (下線部筆者)

とあるので、前原氏が記者の取材攻勢に口を滑らせてしまったのでしょうか。

民主党としては、福井日銀総裁に次いで自民党や政府高官と村上ファンドの関係を攻撃材料にしようと思い(まあ、ファンドに出資すること自体は悪いこととは思えませんが)、その前に党内のチェックをしていた、ということでしょうか。

民主党内の膿を自発的に出して、返す刀で自民党議員を追及しようとしたのじゃないかと思いますがこれじゃ台無しですね。


偽造メール事件にしろ、前原さんは妙なタイミングで妙なことをする人、という印象が定着しそうです。

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引き分け

2006-06-19 | よしなしごと
引き分けですか・・・

ヒディンクに見習って、消耗戦では消耗する選手を交代させて戦力を維持する、守りを固めながらFWを消耗品と割り切って走らせる、ということをしたわけですが、相手を上回るまでは行かなかったですね。

最後のほうはお互い足が止まってましたが、ここで鼻の差でも前に出ることができませんでした。
(柳沢のミスショットと玉田がシュート行かずにパスを出したあたりが・・・)


今日の試合で、90分走れる選手とそうでない選手が明らかになった感じがします。(サントスは途中手を抜いたのかもしれませんが)
でも、加地はホントいい仕事しますね。


試合後のインタビューで仲田と中村俊介が「勝てる試合だった」と言ってましたが、素人目にはそう思えなかったんですよね。
確かにクロアチアはへばってましたけど、2人連携すれば決定的なチャンスを作るような強さが、日本との違いだったような感じがします。


残りはブラジル戦ですが、今日ブラジルがオーストラリアに勝って予選突破を決めて気が緩んでいることを期待したいです。
かえすがえすも、加地の復帰の見込みがあったのならば駒野はオーストラリア戦の3点目はレッドカード覚悟で止めに行くべきだったと今更ながら。

まあ、3戦目まで期待はつながったのを良しとしましょう。

**********************
(追記)
ブラジルが1点目を取ったところまでは見ていたのですが、2点目も取ってくれてました。
(欲を言えばもう1点とってほしかったw)
ブラジルに2点差以上で勝つ、というのが予選突破の条件になりました。
「ブラジルに勝つ」も「1試合で2点以上取る」も相当難易度が高いですが、結果が出るまでは可能性があるわけだし、めったに起きないから「奇跡」だ、と考えながら応援します。
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『巨大投資銀行』(+ワールドカップ昔話)

2006-06-18 | 乱読日記
こういう「外資系投資銀行の内幕」系の本は著者の思い込みや根拠の薄い噂話などが中心で中身が薄いことが多いのですが、著者の雑誌記事を見て、かなり綿密な取材と情報網を持っていると感じたので買ってみたのが、黒木亮『巨大投資銀行』

1980年代から外資系投資銀行が、日本の未発達・経験不足の金融機関/金融市場相手にどうやってビジネスをしていたかを、トレーディング、M&A、損失先送り商品に携わる日本人を軸に描いています。

投資銀行の実情(仕事の仕方とか給与体系とか昇進の仕方)や日本の金融機関や市場の後進性とそこをテコにしたビジネスを彼らがいかに展開して行ったかを(友人から聞くのと同じくらい)リアルに描いています。


会社名などはほとんど実名なのですが、登場人物や一部会社名の仮名が(「モルガン・スペンサー」とか(確か73億円の高額納税(収入で約7億円)で話題になった)ソロモン・ブラザーズの明神氏をモデルとした人物が「竜神」だったりと)そこだけ妙なのはご愛嬌。

登場人物は私の1世代前の人たちで、私が社会に出る前、日本の「金融ビッグ・バン」バブル経済以前から90年代までを舞台にしています。
途中の部分からは、自分の経験や知り合いなどの話に出てくるようなことも多く、ああ、そういうことがあったよな、と、より実感を持って思い出されます。
損失先送り商品などは、90年代の後半になってもまだ売れていて、「これじゃ日本の金融機関はダメだよな」といいつつ地方出張して売りまくっていた友人の姿が重なります。

裁定取引の仕組みとか、先送り商品がどうやって作られなぜ売れたか、とかM&Aの進め方など、も変な解説書よりはわかりやすく書いてあります。

また、登場する主要な日本人は、日本人としての矜持を持っている人が多いのですが、これは筆者の思いなのか、世代的な問題なのか、上の友人同様外資系にいると却ってそういう気持ちになるのか(留学した人などもそうですね)、そんなことを考えながら読むのも一興です。


90年代以降の話については、日本の不良債権処理を新生銀行の誕生をを中心に描いた『セイビング・ザ・サン』やヘッジファンドの興隆とLTCMの崩壊を描いた『LTCM伝説』がお勧めです。

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(追記)
一ヶ月ちょっと前の判例時報に、モルガン・スタンレーのダイレクター(日本の会社でいうと平部長、昨日の麻薬の例えで言えば大口のディーラー(失礼!)くらいのポジション)が時間外給与の支払いを求めた訴訟が載っています。
けっこう詳細に給与体系とか実額まで出ているので、(個人的にはモルスタに恨みもないので引用まではしませんが)興味のある方はご参照ください。
ただ、給料がいいからという動機だけで働くのはなかなか厳しいということは本書を読めばわかります。
しかしこれ、どう考えても勝ち目のない訴訟で、判決文の公開による意趣返しを目的としたとしか思えませんね。(紹介しといて言うのもなんですが)本件ではモルスタの人事担当とかこの原告の上司だった人に同情しちゃいます。
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PS
両書はこのブログでも以前(こちら参照)紹介してます。
ちょうど『セイビング・ザ・サン』のころは、けっこう脂っこい仕事をしていたので筆が滑るとまずいかな、と自粛して通り一遍の記事になってますが。

今日はクロアチア戦なので、また、ワールドカップの思い出話になりますが、1998年のフランス大会の時はとてもそれどころではなかったのですが、仕事帰りに4,5人で飲みに行ったらちょうど準々決勝のフランス対イタリア戦のキックオフのところで、最後まで見てしまった記憶があります。
イタリアが例の「カテナチオ」で守りを徹底的に固め、攻撃は2トップ(デルピエロとヴィエリ、ロベルト・バッジョは控えだった)への縦パスだけ、という作戦に対してフランスもそれをこじあけられず、0-0、PKでフランス(ジダンが若手のホープで、ジョルカエフとかいたよなぁ)がかろうじて勝利、という見ていて面白くはないけど途中で帰りにくい試合をされてしまいました。
結局この大会フランスが決勝でブラジルをやぶって優勝したのですが、フランスの戦力(ともともとのイタリアのスタイル)を考えると、戦術としては仕方なかったんでしょうね。
でも店を出たのが3時くらいで翌日はつらかった・・・







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『シティ・オブ・ゴッド』

2006-06-17 | キネマ

1960年代後半にリオデジャネイロの郊外に貧困層を住まわせるように作られた公営住宅「シティ・オブ・ゴッド」に住む子供たちの成長(といってもギャングにしかなりようがない世界での)の物語です。

予告編を観たときは、暴力シーン満載だけが売り物の映画かな、と思っていたのですが、実際に観てみると脚本もしっかりしてなかなか楽しめました。

監督はブラジルで有名なCMディレクターとのことで、斬新なカメラワークやカット割りが、殺伐とした雰囲気をうまく表現しています。


映画の中に、5,6歳の子供たちが将来の夢を語るシーンがあります。

「大きくなったら(麻薬の)売人になって、それからディーラー(卸)になって、そしてエージェント(ボスから商売を任される)になるんだ」

麻薬か犯罪しか仕事がないことを象徴的に語っている台詞ですが、なりたいものの良し悪しを別にすれば単なる素直な向上心の表明なんですよね。

この映画の登場人物たちのおかれている状況のように過酷なものでなくても外部環境によって価値観が制約を受ける、というのは誰にでもあるわけで、彼らに向ける自分の視線は、ひょっとすると自分たちに向けられ得るのではないか、と。

昔で言えば「東大に入って大蔵省に入って最後は天下りして」とか
今で言えば「起業してIPOして」とか、
会社の出世とか子供のお受験もそうですね

自分はひょっとするとアブナい奴になりかけていたり、逆に現状を正当化するために現状を「シティ・オブ・ゴッド」と名づけてしまうようなイタい奴になってたりしないか、をたまには見直してみるのもいいかなとふと考えたりしました。

ただ、こういうことをしていると、麻薬の元締めに一直線に上り詰めるようにはなれないんですけどねw






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木曽路はすべて山の中である。

2006-06-16 | よしなしごと
と書いたのは島崎藤村ですが、


「旧中山道」を


   「いちにちじゅうやまみち」


と読んだのは

この人でした。





有賀さつき、和田解説委員と離婚 (日刊スポーツ) - goo ニュース



「女子アナ」という新たなカテゴリーが生まれた頃の代表選手のひとりでした。

今朝のTVで記者会見の映像が流れたということは芸能界に復帰するのかもしれませんが、天然ボケキャラとしては中村玉緒や浅田美代子など大御所がいる中で、何を売りにしていくのでしょうか。
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『笑う大英帝国』-歴史と人材の厚み

2006-06-15 | 乱読日記

今の通勤用図書は富山太佳夫『笑う大英帝国』岩波新書

筆者は青山学院大学教授で「19世紀イングランド小説専攻」。 俗に言う「英国紳士のユーモア」とは違い、情け容赦がなく、時には差別的で、時にはグロテスクなものであり、対象とユーモア表現と自分自身の三者の微妙な緊張感が求められるのがイギリスの笑いだよ、ということを、様々な事例と、妙に生真面目に語ると思えば軽妙な脱線をする独特の語り口で伝えてくれます。
※なんとなく医学都市伝説のWebmasterに通じる語り口であります。

たとえば、国王を笑いの対象にすることについて、シェイクスピアを例に引きながら  

(ヘンリー四世の話に続き)
ハムレットの父親となると、戦場で名誉の死を遂げるどころか、城の中で毒殺され、妻を奪われ、後は亡霊となって、ことの次第を息子に愚痴るだけ--いくら何でもこのような国王の扱い方は異様だと言うしかない。しかもこれらの劇が上演されたとき、王座にはエリザベス一世やジェイムズ一世が現に国王として鎮座していたのである。ことの異様さを理解するためには話を日本に移してみるといいだろう。呆けた天皇や化けて出る天皇の登場する文学作品を初演以来四百年にもわたって楽しみ続けることが、果たしてこの日本でできるだろうか。結論的に言えばイギリス人はおかしいのである。

 確かに天皇とか殿様関係の話は英雄譚とか悲劇はあるものの愚鈍な王というのは大名などに限られるかもしれませんね(殿様だと犬公方くらいか?)。


そして、政治家も情け容赦なく笑いの対象になる、というところでは、プレスコット副首相が取り上げられています。
プレスコット副首相といえば 英副首相が部下と不倫、辞任要求も (2006年4月30日 産経新聞)というニュースぐらいでしか知らなかったのですが、そもそもこの副首相、正真正銘の労働者階級の出身で、有名大学の出身でもなく、正直な物言いと愛嬌のあるルックスもあって、かなり人気がある政治家のようです。

一方でこの人の話は文法を全く無視していることで有名で、それをネタにした『そりゃないだろ、ジョン・プレスコットと学ぶブチ壊し英語』という本まであるそうです(これのことかな?)
これによると、たとえば

Some you it succeed, some you don't.

とか

My Position is that I want to make our position clear...the example in Germany is justone example, for example,
(私の立場は我々の立場を明らかにしたいということで・・・ドイツの例はあくまでも一つの例で、例を挙げれば、)

 All have a contributory contribution to congestion.
(我々は交通渋滞に貢献的な貢献をしているのであります。)

といった具合です。これを筆者は

要するに、意味が相手に伝わるのだから、それが文法的に正しいかどうかという問題は別にして、これでいいのである。しかも、相手に意味を伝えながら、周囲の人間まで笑わせるというのは、生半可な大学出などにできる芸当ではない。

と味わいます。
自分で英語を話す時にも自信になりますね。

さらにプレスコット氏は大物ぶりを発揮し、議会の議事録(『ハンサード』)において彼の発言は意味が通るように実際の発言を修正されて記載されているそうです。  

さすがに長い議会制度の歴史を持つ国だなと感心させられるのは、この事態に対処するための方策が議会の職員の側にきちんと用意されているということである。 
『そりゃないだろ』によれば、「各行の具体的な意味はほとんど判別不可能である。そのために『ハンサード』の関係者はプレスコットの演説をテープ録音したものを、新人のためのトレーニング・プログラムとして利用している」。  

ここまでくると僕もプレスコット氏のファンになってしまいそうです^^

(ちなみにこんな人です)

  


このあと、執事と主人ネタ(これまた傑作)、イギリスの風俗・流行とパロディ、と続きます。


こんなネタが満載のこの本、新書でもあり、通勤読書用にぴったりでした。






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悪ガキの効用?

2006-06-14 | よしなしごと

試運転、事前に周知せず 都電荒川線の追突事故
(2006年 6月13日 (火) 21:16 共同通信)

警視庁捜査1課の調べに対し、この運転手は「前の電車が停車したことに気付きブレーキをかけたが間に合わなかった」と話している。

都電荒川戦沿線で子供時代を過ごした身としては、追突は信じられないです。
というのは、そもそもスピードも大して早くないし、専用軌道で目視運転をしているので、わき見をしない限り追突というのはありえないように思えるからです。
試運転車両といったって逆走するわけじゃないでしょうから、それに追突するのは「前の電車がブレーキかけないと思い込んだ」くらいの原因しか考えられませんね。

昔の都電は路面電車で自動車と一緒に一般道路を走っていたので運転手も緊張感があったのでしょうが、荒川線はほとんどが専用軌道なので(それが生き残っている原因)気の弛みがあったのかもしれません。


私がガキのころは、踏み切りで遮断機が降りているところを自転車で突破して警笛を鳴らしまくられたり、線路に耳をつけて、電車が接近する音を聞くなんてこともしていましたが、最近は子供もおとなしくなって、運転手にも危機感が薄れてきたのでしょうか。

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脇が甘いのか倫理観の違いか

2006-06-13 | よしなしごと

日銀総裁、村上ファンドへ1千万円 就任後も拠出
(2006年 6月13日 (火) 21:37 朝日新聞)

日本銀行の福井俊彦総裁は13日、証券取引法違反(インサイダー取引)容疑で逮捕された村上世彰容疑者が代表を務めていた「村上ファンド」に1000万円を投資していたことを明らかにした。富士通総研理事長だった99年秋に、村上前代表の「志を激励」するとの目的で、同総研有志数人と1000万円ずつ拠出したという。福井総裁は、数カ月前に解約を申し出て受理されたと説明。政府・与党は責任を問わない構えだが、野党には辞任要求や小泉首相の任用責任を追及する動きもある。  

日銀には(1)日銀内部で知り得たインサイダー情報について利殖活動を禁じる、(2)株式投資などについて事後に報告する、との内規がある。過去の職歴や現在の立場などに照らし、「世間からいささかなりとも疑念を抱かれることが予想される場合には、個人的利殖は慎まなければならない」とも定めている。  日銀は13日午後「服務ルールに違反していない。また、ファンドへの拠出から得た所得などはルールに基づき適正に報告されているものと認識している」とコメントした。

今朝は日本中がサッカー解説者でしたが、明日は日本中が証券等監視委員会になるのではないでしょうか。

私自身は、就任前の日銀や公的立場に関係ないとき村上ファンドであろうが何であろうが自由ですが、日銀総裁になるときに資産運用は凍結すべきだった(最悪でも信託に入れてまかせっきりにするとか)と思います。

投資金額や利益の多寡や投資先の問題ではないと思います。

「李下に冠を正さず」といいますが、日銀総裁がたかだか1,000万でとやかく言われるリスクをとったというのも相当脇が甘い・・・

上の日銀のルールも相当甘いですよね。
外資系証券会社などでは3親等内から株の売買はしないという念書をとるところもあるとか(未確認)

結局旧世代の価値観人だったということなんでしょう。

ひょっとすると阪神ファンの福井総裁は、村上氏から将来のタイガースのオーナーの座を約束されていたとか(時期が違うかw)


PS
自民党の閣僚も、これがアウトだとすると自分にも火の粉が降ってきそうなので責任追及はできないんでしょうね。

*************************************

<追記>
昨日今日と巨人の小関選手と都電荒川線の「今週の二大わき見」に関心が集中していたのですが47thさんに引用いただいていたので、改めて読み直してみると、このエントリこそ脇が甘い、と冷や汗をかいております(^^;

村上ファンドへの出資は(契約内容・出資形態次第ですが)、おそらく「ファンド」という以上投資一任をしているのでしょうから、福井総裁の裁量は及ばないわけですね。
そうであれば、持ちつづけること自体はルール上は問題はないかもしれません。
また、信託もコストを考えれば確かに現実的ではないです。

だとすると、問題は

①2月になぜ解約したのか(契約上することができたのか)、ということと、
②投資一任であったとしても、以前アドバイザーであったことなどを考慮すると、日銀総裁に就任した時点で解約し(2月にできるならそのときも多分できたはず)「李下に冠を正さず」でいくべきだったのではないか、

という、個人の倫理観の問題のように思います。


本文にも書いたように「村上ファンドに出資した」ことや「結果的に儲けたこと」は関係がないと思います。それはやっかみの世界です(だからこそ「李下に冠」なのですが)

逆に、親から相続した不動産や株や現金をたんまり持っていて、退任後の生活に全く心配はなく、資産運用など全く必要ない人が日銀総裁になったとしても「このひとなら安心」などと持ち上げられるはずはなく、今度は「庶民の気持ちが理解できない」とかって非難されるのがオチでしょうから。


 

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往生際

2006-06-13 | 余計なひとこと

サッカーでなく野球の話

巨人:ホームラン取り消しで抗議文 セ・リーグに提出へ
(2006年6月12日 19時46分毎日新聞)

巨人は12日、李スンヨプの本塁打が取り消されたロッテ戦(11日)の判定を誤審だとして、セ・リーグに対して抗議文を提出することを発表した。
巨人は、一塁走者の小関が三塁ベースを踏まずに通過したとされる場面を撮影したテレビ局の映像を入手。その映像を検討し、「西本・三塁塁審の位置は三塁ベースから後方に離れており、(小関が足を付いた場所は)死角になっているはず」(清武代表)などとして誤審を主張している。

テレビのスポーツニュースを見ていなかったので知らなかったのですが、ちょっと往生際が悪いかな、と。

ビデオ映像を検討し、「ベースを踏んでいた」という主張ならともかく「三塁塁審の位置は死角になっているはず」というのでは説得力がないですね。
刑事訴訟と違って推定無罪の原則があるわけじゃないんだから。


日刊スポーツの小関の談話もふるってます。

一方の小関は「いちいち(ベースを踏んだことを)意識してやってない。踏んでいなかったら、違和感がある。こっちが聞きたいよ」とぶ然とした表情だ。

打者がホームランを打ったときに走者が意識すべき事で、ベースを踏むこと以上に大事な事ってなんなんでしょうか。
ホームベース上で打者を迎えるパフォーマンスを考えていたとか?
はたまた昭和48年阪神池田外野手の「世紀の落球」(僕自信は当時の記憶はないのですが)の再現を狙ったのでしょうか。

侮れないキャラの持ち主ではあります。


PS
原監督の学級委員的というか検定済教科書風な発言も要チェックです

(日刊スポーツ)
ベンチでは原監督が「小関のミスはチームのミス。みんなではね返そう」とゲキを飛ばした

(毎日新聞)
原監督は「審判員として功績をお持ちの西本審判員は、昨日のジャッジで歴史的、かつ考えられないミスを犯した。両チーム、多くの人の名誉、威厳を傷つける結果になりつつある。ミスジャッジでした、と終わらせてしまうにはあまりにも大きな問題」とコメントした。

**************************************
(追記)
今日の読売新聞に小関がベースを踏んでいる(らしい)写真が載ってましたね。

でも、今までも誤審が写真で明らかになってもジャッジが覆ったり、再試合なんて事はないので、やはり巨人の要求はおかしいと思います。
それとも巨人はやはり「球界の盟主」だから別格なのでしょうか?

また、小関も全力疾走していたようです。
2アウトだったので打ったら走る、ということでしょうが、だからってベースのことを考えないというのはないでしょう・・・

***************************************
(往生際悪く追記)

日本の得点場面、審判が誤審認める?
2006年6月13日9時50分  読売新聞)

もし、日本が1-0で勝っていたとしたら、読売新聞は再試合を主張するんでしょうか?

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残念・・・

2006-06-13 | よしなしごと
省エネ風な前半の中でバスケットボールのスクリーンプレイのようなラッキーな得点を得て、後半はかなりきっちりディフェンスが出来ていたと思ったのですが。

川口はああいう前に出るキーパーなので、(もういい歳なんだから冷静になってもいいとも思うのですが)失点は仕方ないんでしょう。
TV中継のレポートでは後半の指示は「リードしたサッカーをしろ」というものだったようですが、同点に追いつかれた場合の指示はどうなったんでしょうか。
点を取りに行っているように見えましたが、守備が弛んだ感じは否めませんでした。

2点目は(フリーとはいえ)シュートがポストのどっち側に当たるか、で明暗が分かれましたね。
3点目は予選の得失点差を考えると、「駒野、ファールして止めろよ」というプレイでした。

まあ、こうなったら形はともあれ予選通過のために星勘定を合わせないといけません。
他力本願ですが1勝1敗1分の団子レースに持ち込むしかないですね。

右サイドの駒野のクロスの精度の低さとか、右サイドから右足で上げる中村俊介の切れの悪さとか、パスを出す側に回った時に露呈する高原の頭の悪さとか、素人ながらいろいろ思ったことはありますが、形はともかく予選突破に向けて結果が出るまでは応援しましょう。
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プチ吉兆?

2006-06-12 | よしなしごと
昼間コンビニの100円菓子のグミを食べていたら










なんと双子が!






これはオーストラリア戦に向けての吉兆か?




さあ、もうすぐキックオフ!
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ワールドカップの思い出話

2006-06-12 | よしなしごと
今日はオーストラリア戦ということで、ワールドカップネタを。

僕自身は熱烈なファンというほどではないのですが、子供のころ日曜の夕飯時に「三菱ダイアモンドサッカー」を見ていて、ブンデスリーグの試合と、解説の岡野俊一郎の「日本と違ってちゃんとシュートが枠に行きますからね~」という愚痴を聞かされたころからの付き合いです。

そして、個人的にワールドカップといえば1982年のスペイン大会です。

ちょうどその年、湘南に別荘を持っている金持ちの友人の親に網戸と庭と池の掃除を条件に2週間の別荘滞在権を勝ち取り、友人3人でワールドカップのテレビ観戦か海岸に行くか、自炊と称して当時出たての高級インスタント冷やし中華(中華三昧とかマダム・ヤンとか)の食べ比べ(暇なもんで錦糸卵とか作ったりして)など極楽な生活をしていました。

ブラジルはジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾという黄金のカルテット。フランスは皇帝プラティニ(そうそう、ティガナっていうむちゃくちゃ足の速い右のMFが、ユニフォームの袖が長くて手を横に広げながら走るのが高校のサッカー部のN君にそっくりだったなぁ)。アルゼンチンはマラドーナがワールドカップデビュー。イタリアのエースはロッシ。イングランドはリネカー。ドイツはルンメニゲがエースでリトバルスキーが若手、そしてGKはシューマッハという見るからに短気な奴でフランス戦で敵のFWにラリアットを食らわせて病院送りにした
りしていました。そうそう、ポーランドにはボニエクという馬力のあるストライカーがいたなぁ・・・思い出話は尽きません。

Jリーグ開幕時にはこの1982年大会で活躍していた選手が来日して、けっこう懐かしかったですね。

そうそう、ちょうどこのとき、日産マーチのデビューで車名を公募していて、友人が「ジーコ」で応募しようとしたんだけどさすがに自動車で「ジーコ」はねぇ・・・なんて話もありました。


で、話が飛んで2002年。
日本戦のチケットは最初からあきらめ、仙台開催のアルゼンチン=スゥェーデン戦をget。
アルゼンチンはバティストゥータ、ベロン(怪我で精彩を欠いていた)、オルテガなど有名選手をそろえ予選突破を狙うが、スウェーデンもFWのラーション一人を前線に残しディフェンスを固める。
数少ないチャンスをスウェーデンがFKからものにし先取点(そのシーン。ここまでカメラに収めて、急いでピッチに目を向けたらシュートがゴールに入る軌跡を見ることができたのでとてもうれしかったです)



後半はアルゼンチンの怒涛の攻撃をスウェーデンのペナルティエリアにラーション以外の全員で固めるような堅いディフェンス(確かにそうでないと防ぎきれないくらいアルゼンチンの攻撃はすごかった)とGKの神がかり的な好セーブなどでしのぎ、終了間際にアルゼンチンの全員攻撃(GKがセンターラインまで出てきていた)からFKからクレスポが押し込んだ1点に押さえ、結果は1-1の引き分け。
この結果アルゼンチンは予選敗退になりました。

仙台県営競技場は最寄り駅が東北本線から盲腸のように伸びた先の利府駅にあり、そこを使えたというのも、元鉄道少年としてはちょっとうれしかったですね。


今大会もスウェーデンではラーション(もう35歳ですががんばってます)アルゼンチンはクレスポが出てますね。

スウェーデンは初戦はトリニダードドバゴを圧倒しながらも引き分けに終わってしまい、2002年の試合でのアルゼンチンのような立場になってしまいましたが、これからに期待します。


ということで、個人的にもようやく盛り上がってきました。


さあ、初戦をものにして勢いをつけたいところです。
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大丈夫か東京三菱UFJ銀行

2006-06-11 | よしなしごと

両親が、暗証番号を変えるのも覚えているのも面倒だということで東京三菱UFJ銀行で静脈認証のキャッシュカードを作った。
ついでに片方が病気になったときに口座から金を引き出せないと困る、ということで代理人カードというものも作った。

それで晴れて(というのは語弊があるが)母親が具合が悪くなったときに父親が代理人カードで引き出した。

ところが、なぜか父親の口座から金が引き落とされていた。

老眼なのでカードを自分のと間違えたのでは?といったら、そんなことはない、と怒られた。
なにしろ銀行の人に言ったら係が引き落とし口座の登録を間違えたとかで平身低頭平謝りだったそうな。

でも、Aの口座の代理人カードをBが作るとすると代理人カードは本来次のようになるはずです。

口座名義人:A
口座番号:Aの口座
暗証番号(静脈情報):Bの情報


これでBの口座から引き落とされたということは、

<Case1>
口座名義人:A
口座番号:Bの口座
暗証番号(静脈情報):Bの情報

<Case2>
口座名義人:B
口座番号:Bの
口座暗証番号(静脈情報):Bの情報

のどちらかのはず。

Case1だとすると、代理人カードの発行情報の入力において、名義人と口座番号が一致しなくてもエラーにならない、ということになります。

Case2だとすると、要するに「Bの本人カード」を作ってしまったわけで、「代理人カード申込書」を見て本人カードを作るというレベルの事務処理がなされていることになります。また、今回の場合、父親は既に本人のカードを持っているのですから、二重発行でエラーになってもよさそうです。


三菱東京UFJはシステム統合を念のため先送りにしましたが、それ以前に現在のシステムにも問題がありそうですね。


いずれにしろ自分の口座はこまめにチェックしたほうがよさそうです。

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網と魚と漁師

2006-06-11 | よしなしごと

切込隊長のところで見た記事
中国が検閲強化、Google.comへのアクセス不能に

これを見るとインターネットは物理的には通信線でつながっている、という当たり前の事を思い出させてくれます。
国際通信の出入り口は江戸時代の長崎の出島のようなもので、これを押さえれば情報統制は簡単、ということです。


そしてこのニュースは、Web(電網)2.0に対する

魚を根こそぎ網で掬ってやろうというGoogle
僕たち魚はGoogleに掬われてしまう、というGoogle本の筆者と読者
網を引き上げるロープを握っている事が大事なんだという中国政府

という、それぞれの想像力・ビジョン・立ち位置の違いを際立たせていると思います。

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マルでダメ。

2006-06-10 | 余計なひとこと

日経BPの"Safety Japan"というサイトで、「政治アナリスト 花岡信昭」という人が「我々の国家はどこに向かっているのか」という連載をしているのですが、そこでブログ再炎上、きっかけはアイドル名と句点 という記事がありました。

要するに自分のブログでモー娘を非難したら炎上してひどい目にあった、という話です。

ネット・リテラシーの話とか、ネットウヨ(・サヨ?)などについての分析があるのかと思ったら、炎上の経緯を説明して  

ネットの技術的習熟にはほど遠い筆者がこの世界をのぞき込んでいるのは、ネット社会と政治が結びつく時代が目前に迫っていると思うからである。いずれネット選挙、ネット投票などが現実のものとなるだろう。そのとき、ネット社会の持つ「素顔」を知っておかないと、具体的に提言を考えようとしても空論に終わりかねない。そんな思いで、「炎上」の事態を踏まえて、さらにネット社会との取り組みを積み重ねなければと思っている。

ともあれ、貴重な体験となったのは確かである。

という感想で終っていて、ナンじゃこりゃ、という記事になっています。


もともとのブログの記事は正しい日本語の使い方についての話だったそうです。  

「・・・。」と、かぎかっこ「 」の中の文章の最後に句点(。)が付いているのである。これは日本語文章としておかしいのではないか。文学作品ならともかく、新聞も雑誌も単行本も、ほとんどがそうはなっていない。  

ということで、句点はどこに付けるべきかという論争(というのも大げさだが)に発展した。文部省の古い通達には「 」内の文章の末尾にも句点を付けるよう規定されており、最近の教科書でもそう指導しているという。それでは一般的な現代日本語文章の書き方と違うではないか。

確かに新聞・雑誌は最後に「。」をつけませんが、私は学校では最後に「。」をつけろと習ったし、このブログでもそうしてます。これってダメだったんだ・・・

筆者は元産経新聞の記者とので、マスコミ、出版の常識はそうなのかもしれませんが、それが「一般的な現代日本語文章の書き方」(このようにフレーズの引用のときは僕も「。」はつけません。)と言い切られると違和感があります。
(扶桑社の教科書はどうなっているんでしょう?)

そして、話はモー娘問題に続きます。  

そんな議論になっていったとき、こちらがよせばいいのに「モーニング娘。」という表記がそもそもいけないとやってしまったものだから、大騒ぎになった。歌も下手でダンスもまずいこの少女集団が売れっ子になったのは、日本語を意識的に誤用したグループ名の付け方が効果的だったという側面があるのではないか、という趣旨のことを書いた。歌も下手でうんぬんが余計だった。

私はモー娘については全然詳しくないのですが「日本語を意識的に誤用したグループ名の付け方が効果的だったという側面」というのはさすがに穿ちすぎだと思います。
少なくとも「歌もダンスも下手だけど「。」の力のおかげで売れた」(これこそ言葉のチカラw)などという因果関係は天地がひっくり返ってもない、と思います(ここで、天地は1日に1回ひっくり返ってるじゃないか、というツッコミはしないように。)。

筆者はあとでブログ上で謝罪したそうですが、日経BPのサイトにコラムを書いている(一応)有名人のブログで突っ込みどころ満載の記事を載せてしまったことは「炎上」をもたらすには十分でした。

ブログというのは壁新聞のようなもので、人通りの多いところに変な記事を張れば、通行人に冷笑されます。
ただ、壁新聞に反対意見をわざわざ隣に書き込むのはけっこう勇気が要ります。

同様に、ブログでも「馬鹿だな~」と思った読者が、わざわざそれに理路整然とした反応をしよう、という人は(書いてあることが馬鹿げたことであればあるほど)少ないと思います。
ただ、何もしないでいると、肯定的な閲覧者も否定的な閲覧者も「アクセス回数の増加」という形でしかあらわれないので、当の本人は「さすが俺様がいい記事を書くとアクセスが増えるな」と悦に入ってしまう可能性もあります。

そこで読者の側も自分のアクセス履歴を筆者に誤解されてはたまらんと、「自分がこの記事を閲覧した、ただしネガティブな評価だった」という足跡を残すために、一言書き込もうとする人もいるわけです。
その結果、書き込みには理路整然としているものだけでなく、直感的にネガティブな意見を表明するような「馬鹿」とか「死ね」とかいう感情的なものも多くなるわけです。

「炎上」といういのは、記事に対する非難が、論理的なコメントに加えて、「ひとこと言いたい」という気持ちを表す断片的で制御の利かないコメントが殺到した状態と定義できるのではないでしょうか。

それに対して(自分があとで反省するほどモー娘を非難しておきながら)批判的なコメントを受けたことに対してナイーブに傷ついたり、日本語の「言論空間」のために悲憤慷慨したりする筆者は、ちょっと狭量なんではないでしょうか。

傷つくのがいやだったら、最初からコメント不可にするかはたまた削除あるいは無視すればいいだけです(そうでなければ、ヘンな奴に目に付かない程度にひっそりとやってればいいわけです)。
そして論理的・理性的でない反論も「なんとなく嫌だ」という意思表明と見て、(非難の内容に対してはともかく)その数の多さに自省してみるのが謙虚な姿勢といえると思います(あ、これは自分自身への反省も込めてですね(^^;)。

「政治アナリスト」である筆者は、「なんとなく」の気分が「yes」か「no」になって現れる選挙という制度を仕事の現場にしていわけです。そこでは個人個人の投票行動に合理的に論述可能な根拠は求められていません。
そういう人間の情緒的な行動の集大成が正統性の根拠となっている世界で仕事をしながら、なぜ、筆者は自ら勝手に外に開いたブログへの読者の反応に対して論理的かつ礼儀作法にのっとることを期待しているのでしょうか。

筆者は、炎上の誹謗中傷のひどさに深く傷ついたようで、コラムを冒頭の「貴重な体験になった」で結んで、以上終わり、です。

全然「貴重な経験」が身になっていないですね。
(おまけに「。」の「正しい用法」にも納得がいきませんw)


筆者はネットにかかわる理由を「ネット社会と政治が結びつく時代が目前に迫っていると思うからである」と言ってますが、そういうご時世であるならばなおのこと「炎上」を冷静に分析すべきだったと思います。

私としては、それ以上に

日経BPのような既存メディアがブランドを背景にしながら愚にもつかないコンテンツを垂れ流すこと

が問題なのではないか、と思いました。

コメント
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