一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

長時間の講演で聴衆を覚醒させ続けるための技法

2006-06-04 | よしなしごと

内田樹先生のblogからのメモ。

「声のピッチやイントネーションを絶えず切り替える」

「壇上で挙動不審なふるまいをする」

これは私自身が布教使のかたがたからははなから「誰だろ、こいつは?」的な怪しい人物に見えているはずなので、普段通りふるまっているだけで、十分な挙動不審性は確保できるのである。

「何を言いたいのか聞いてもよくわからない」

人前で話す機会のあまりない方はしばしば誤解することであるが、聴衆の関心をある程度以上長い時間ひきつけ続けるためには、理路整然、口跡明瞭、言いたいことがきっちり伝達されるような話し方をしてはいけない。一つ一つのセンテンスは統辞的に明瞭であるにもかかわらず、あるセンテンスの次にどういうセンテンスが続くのか、まったく予測できないような乱数的コンテクストを展開することが必要なのである。

「話題のたびに別人格に憑依する」

言い換えると「物まね」である。子どもの話をするときは子どもになってみせる。おばさんの話をするときはおばさんになってみせる。声色をかえ、しなをつくり、壇上を歩き回り、ガンを飛ばし、つばきを飛ばし、しゃがみこみ、飛び上がり・・・いろいろな人物を演じ分けてみせる。



ではこれが講演をする機会のない自分が、仕事上でのプレゼンなどに使えるか、とちょいと考えてみました。

プレゼンの技法として理論的に説得したり選択肢を提示して判断を求めるほかに「Eureka!」(目からウロコ、実はこうだったんだ!と気づかせる)というのがありますが
「一つ一つのセンテンスは統辞的に明瞭であるにもかかわらず、あるセンテンスの次にどういうセンテンスが続くのか、まったく予測できない」
というところは、「Eureka!」的なプレゼンで陥りがちな以下のようなミスのチェックポイントになりそうです。

プレゼンで「仕掛け」を作ると、迷彩を施す事に熱心になる結果、「一つ一つのセンテンスが統辞的に不明瞭」でそもそも意味不明になってしまう。

仕掛けに落とし込む事に腐心した結果「あるセンテンスの次にどういうセンテンスが続くのか、予測できてしまう

考えてみると、結局こういうミスは、仕掛け自体がたいしたことがないのに、たまたま思いついたもんだからそれに拘泥してしまうことが原因なんですね。

うーんこれってプレゼンより、ブログで「落ち」ずに単なる意味不明や自己満足になってしまったエントリに当てはまるかも・・・反省・・・

コメント
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