一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

2010-09-12 | 乱読日記

加藤陽子東大教授が栄光学園の中高の歴史クラブ(そういう部活もあるんですね)の生徒を相手に行なった日清戦争から太平洋戦争までの特別授業を本にしたもの。(『単純な脳、複雑な私』と同じ朝日出版社なので、こういうシリーズがあるのかな。)

当時の関係者の日記や発掘された文書の分析など最新の研究成果を元にしながら、背景事情を説明した上で「こういう状況であなただったらどうする?何を重要視する?」という問いかけが随所にあり、授業としても魅力あるものになっています。
(それに、生徒の答えが鋭いのはさすが栄光学園です。)

印象的だったのは、満州事変から国際連盟脱退までの経緯のところ。
リットン調査団の報告書は、満州は中国の主権下にあるとしたものの、日本の行動が国際連盟規約等に違反しているとは言わず、また中国は日本の経済的利益に配慮すべきと言っていたにもかかわらず、日本は満州国内の軍事行動として熱河作戦を行い、これが国際連盟規約に違反し「全ての連盟国に対し戦争行為をなしたるものとみな」されることになってしまった、というところを、当時の政治情勢、軍部の思惑、松岡全権の考えなどを通じて立体的に説明してくれています。

当時の日本は外交における大局的視野と細かい配慮の両方に欠けていたことが浮き彫りになり、さらに、では現在は?ということも考えさせられます。


加藤先生がの語りくちに熱が入るのが、北京大学の教授で1938年に駐米大使になった胡適が唱えた「日本切腹 中国介錯論」のところ。
胡適は「アメリカとソビエトを日中戦争の問題に巻き込むには、中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、二、三年間負け続けることだ。そうすれば世界の同情は中国に集まり、日本の兵力は分散するためソ連はつけ込む機会ができたと考え、英米は極東利権に脅威を感じて軍隊を派遣せざるを得なくなる」と主張します。

加藤先生はこれを評してこう言います。

こうした胡適の論は、もちろんそのまま外交政策になったわけではなく・・・(中略)・・・しかし、このようなことを堂々と述べていた人物が、駐米大使となって活躍する。私がこうした中国の政府内の議論を見ていて感心するのは、「政治」がきちんとあるということです。日本のように軍の課長級の若手の人々が考えた作戦計画が、これも若手の各省庁の課長級の人々との会議で形式が整えられ、ひょいと閣議にかけられて、そこではあまり実質的な議論もなく、御前会議でも形式的な問答で終わる。こういう日本的な形式主義ではなく、胡適の場合、三年はやられる、しかし、そうでもしなければアメリカとソビエトは極東に介入してこない、との暗い覚悟を明らかにしている。1935年の時点の予測ですよ。なのに45年までの実際の歴史の流れを正確に言い当てている

話がお互いに「脱官僚」「政治主導」を主張する民主党代表選のほうにそれてしまいそうですが、ここだけでなく現在への示唆や教訓もたくさんあります。


大学受験に出ないためか、高校の授業では日本の近現代史はあまりちゃんと教えられていないようですが(僕のころもそうでした)、史料も豊富にあるので生徒に考えさせる授業をするにはいい題材なのにもったいないと思います。
政治的主張が入る(と非難される)ことを気にする部分もあるでしょうが、その結果知識のないままにいろんな歴史観・政治的立場の人にふれることのほうが、よほど危険だと思うのですが。

コメント
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