さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。
下の写真の日の丸の林立する光景の、なんと美しいことかと思います。私たちは戦後、なんと多くの日本的なものを、悪いもの、つまらないものと教えられてきたことでしょうか。どれだけ祖国への誇りを失ってきたことでしょうか。
憲法の平和主義にしても、あれは明らかに、日本はわるい侵略国であるから、お前たちは二度と武装するな。われわれは信義と公正の国だから、われわれに生命と安全を委せておけばいいという意味が露骨に表現されています。これを屈辱と思わない人々が、どうかしているのではと思います。
たとえ、最終的には、全世界が武装解除する世の中を目指すということであっても、現時点で、一国だけ武装解除し続けても、結局アメリカに防衛を委ねれば、アメリカの属国化するのは当然であり、さらには中国、ロシア、北朝鮮に少し脅されても、泣き寝入りして事なかれ主義に陥るのは、当然の結果です。
これでいいと思っている人は、戦後李承晩ラインによって、殺傷された漁師たち、北朝鮮に拉致された人々、尖閣諸島で漁ができなくなって生活の不安をおぼえる漁師たち、あるいは北方領土に先祖のお墓を残している人々、こうした少数の一部の国民を、切り捨てても、自分達が安泰ならそれでいいとする人たちだと思います。
イエスは、もし一匹の羊が迷っていれば、それ以外の多くの羊を残して、その一匹を探しに行くと言われました。わたしは別にキリスト教ではないですが、こういう気持ちは、例えば、親が子供を思うときには、やはりこういう気持ちになるでしょう。国家が、もし、少数の国民の犠牲はあってもいいとする姿勢で行くならば、国民の安全と財産を守れない国家に(正しくは政府ですが)、どうして奉仕し、義務を遂行する気持ちがわくでしょうか。
転載開始
今朝の産経新聞(2011/12/15)の「from Editor」には納得する記事がありました。
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『領海問題「脅威与えない防衛力」は欺瞞』
もう何回目だろう。
日本の領海や排他的経済水域(EEZ)に接近・侵入を繰り返す中国船の動向である。
民間船と公船では意味合いも対処も違うが、既成事実化を図り、いずれ中国の支配下にならないか、大丈夫かと思う。
斯(か)くなる状況が淡々と流れるわが国の反応にも首をかしげてしまう。
尖閣諸島の実効支配強化のため避難港を造る話があるが、宙に浮いたままだ。
行政管轄する石垣市長の上陸も一向に実現しない。
「周辺国を刺激する」と自らを縛る主張がまかり通り、中国の反発に躊躇(ちゅうちょ)する光景が繰り返されるたびに飽き飽きする思いである。
侵入船が現れたとしよう。
海上保安庁は退去を呼びかけるが、それはあくまで「お願い」にすぎない。
せめて備えた放水銃が使えればいいが、それは許されない。
海保の警察権は陸上では原則行使できず、敵が上陸したら海保の仕事はそこで終わりだ。
今度は、陸上の治安を警察が担うわけだが与那国島には警察官は2人しかいない。
拳銃2丁で対応するしかない。無論、那覇から応援は出るだろうが、ヘリコプターで3時間を要する。途中、給油をしなければ島まで届かないのだ。
第一、警察は最も温和で侵害的でない手段を選択するとした「警察比例の原則」に縛られる。敵の根絶には抑制的にならざるを得ない。最後の砦(とりで)は自衛隊だが「防衛出動」「治安出動」には総理大臣の決断を要する。それまではあくまで警戒監視活動にすぎない。
不審船ひとつにも海保へ通報するしか手はない-というひどい体制が分かっていて放置されている。
何ごとも軋轢(あつれき)を好まず、いつもニコニコ外交では困る。
相手の嫌がる話題は極力避け、懸案は先送りで折り合えるところだけ確認して済ませる。
国士の政治家は減り、当たり障りなく振る舞い、人気政策に走る政治家が増えたことも懸念材料だ。
国会質疑でも「竹島はわが国固有の領土で、韓国が不法占拠している」という教科書に記されたわが国の立場すら、口にするのをはばかる閣僚が増えた。これで有事に果たして毅然(きぜん)と対処できるのか。暗澹(あんたん)たる思いだ。
これらは国家の隙である。隙があるからなめられ、つけ込まれ、狙われるのだ。つけいる隙を与えないためには何が大切か。煎じ詰めれば相手がわが国に下手なことはできないと脅威に感じることだろう。周辺国に脅威を与えることは、外交でも防衛でも必要不可欠な大切な要素である。
(社会部編集委員 安藤慶太)
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国を護るとはどういうことか。
かつて石光真清という人がいました。
明治時代に陸軍軍人として日清戦争に戦い、
義和団事変後にはロシアが満州を侵略し、このままでは日本も侵略される勢いであったため、
石光は軍人という保証された身分をあえて捨てて、御国のため、単身、ロシア極東にスパイとして赴いたのです。
その後の日露戦争に従軍し、日本の勝利に貢献しました。
当時、ロシアの脅威を日本の危機として、多くの憂国の志士たちが自らロシアに潜入し、その情勢を探っていました。これは祖国日本を護るために自分の身を捨てて極寒の地に赴いたのであります。
御国を護るためには自分の命をも顧みず、祖国を護ってきたのであります。
我々は今、ロシア以上にチャイナの軍事的脅威にさらされています。
かつてのロシアのような拡張主義の“侵略”を自分の論理で押し付けてくる国です。
多くの日本の報道はそういう危機をあまり報道せず、経済や友好的なことばかり報じています。
政治家の中には「日本に攻めてくる国などない」と公言するバカ者もいます。
防衛費よりも経済だ、景気対策だ、と言うのですから、チャイナの手先と言われるのは当然であります。
国を護る気のない人に政治家になって頂きたくない、と憂国の士は少なくないはずです。
経済も景気も国あってのものであり、国がなくなればどれほどみじめなものか。
また、政治家の中には「革命」を起こすとうそぶいているのがいますが、「革命」がどれほどみじめなものであるか、歴史がしっかり教えてくれるのです。
ロシア革命の時、ロシアにいた石光に対してあるロシア人はこう言いました。
「革 命が始まって生活が苦しくなると、親はその日の食料の入手に追われて子供の監督が出来なくなった。教師たちは革命に熱心で教育を捨ててしまった。ご覧のよ うに青少年たちは身も心も荒れ果てて放浪している。情けないことだ。日本人よ、革命を起こしてはならぬ。いや、革命が起こるような政治をしてはならぬ。よ くこの実情を見て、世界に知らせてもらいたい。一つには将来、各国ともこんな悲惨な事態を起こさないように・・・」
革命ほどみじめなものはないとロシア人が心から叫んでいるのです。
日本には革命を美化するような風潮がありますが、きちんとした歴史を学べば革命は起こしてはならぬことを知るはずです。
国を護ること。
そういう意味でも日本の政治家のほとんどは失格であります。
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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」