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反日日本人(五)

2011年09月14日 22時21分31秒 | 現代日本

美しい国からの転載です。今回は日教組について述べられています。日教組の教員の中には、異常な思い込みや、生徒の一部への異常な敵視、またそれによる異常な行動が見られる教師もあります。こんな先生にたまたま当たった生徒は、時には登校拒否に陥り、時には転校を余儀なくされ、あるいは進路を妨害されてしまいます。このような生徒の人権を踏みにじる人間が、自分の都合よく人権という言葉を振り回すことに、本当に違和感を感じます。


過去記事参照 ↓↓

密室の中の独裁者  偏向教師が女子中学生を登校拒否にまで追い詰めた記録

 

 
 
 
日教組(にっきょうそ)というのは、日本教職員組合の略で、 日本最大の教職員労働組合です。
日教組は、GHQによって、作られました。GHQは、勇敢で聡明な日本人の団結を弱め、 愛国心やモラルを剥奪することによって日本人を骨抜きにし、日本を弱体化させるため 、日本の歴史と道徳を抹殺しようと企てました。アメリカは、日本の進出によって欧米列強がアジアに築いた植民地や権益を奪い取られたことを恨み、また蔑視の対象であった東洋の小国が大国アメリカを敵に回して果敢に戦ったことを恐れ、  日本が二度と脅威とならないよう徹底的な「精神的武装解除」をおこなった のです。
まず、それまで教育界で重きをなしていた教職員を1946年(昭和21年5月)公職追放します。
そのためには、教育の現場で、占領政策にしたがって、従米的反日的な教育を実行する日本人が必要です。そこで、それを担う教師を組織する労働組合を創出しました。それが日教組です。
1945年(昭和20年)12月の連合国軍 最高司令官総司令部(SCAP)の指令に基づき、全教(全日本教員組合)・教全連(教員組合全国同盟)などの教員組合が発足。 日本国憲法の公布(1946年11月)/施行(1947年5月)・教育基本法制定(1947年3月)に呼応して、全教・教全連などが、1947(昭和 22)年6月、日本国憲法/教育基本法の理念普及と、階級闘争を運動方針とする統一的な教員組合として日教組を結成。マルクス主義歴史学者の羽仁五郎が代 表に就任しました。
後にGHQはこれを後悔してアカ狩りに転じるのだが、まだ庇護の対象であった社会主義者はGHQの後ろ盾を得て、猛烈な勢いで情宣活動を開始する。
 
「広く全日本および全世界の労働者農民諸君と手をたずさえて我国に残存するあらゆる悪秩序と闘い、これを徹底的に打破して、豊かな民主主義教育・文化の建設に邁進することを厳粛に誓う」(1947(昭和22年)年、日教組結成大会での宣言)

もはや労働組合の域を脱し、政治結社のようなものです。
日教組が発足する前年の1946(昭和21年)年から約十年間は、過激な自虐贖罪教育が徹底的に行われた時期で、この期間に学童/学生期間を過ごした者は、現在に至るも非常に偏った反日的思想傾向を持つとされ、所謂、団塊の世代です。
一部の団塊の世代は、日本の社会主義化を目指して、後に安保闘争へと突き進んでいきます。
55年体制がスタートした、1955(昭和30)年頃から教育正常化運動が始まり、ようやく日教組の横暴に歯止めがかかったが、その影響力は現代に至るまで長く続いています。
日教組 は、社共両党の影響の下で、教育の場で、労働組合運動、社会主義運動を行ってきました。日教組は日本の社会主義化を目指して、青少年の洗脳を担ってきまし た。その影響には重大なものがあります。発足当時は、100%近い高い組合加入率でしたが、近年は30%前後と下ってきてはいるものの依然として侮りがた い組織力があります。
しかも、解放同盟とも連携しています。
解放同盟はヤクザと関わりが強く、元公安調査庁第二部長の菅沼光弘氏は  「日本のヤクザの60パーセントが(解放同盟)である」 と明言しています。
 
人権、平和を高らかに叫ぶ日教組ですが、教え子たちに拉致事件にはなぜ口を閉ざします。
それは、日教組が社会党と同じく、革命を唱え、北朝鮮を賞讃しているからです。
産経新聞の阿比留瑠比氏は、自身のブログで、
ミスター日教組と呼ばれた槙枝元日教組委員長のことを次のように述べています。
 
 
 
この人は、 日教組の委員長を12年間も務めた その世界では有名人ですが、現在の知名度はどうなのでしょうか。いろいろなエピソードがありますが、とにかく 北朝鮮のことが大好きだった ようで、1974年の著書「チュチェの目、朝鮮を訪ねて」の中で、次のように書いています。
《この国には泥棒がいない。泥棒とは、富の片寄ったところに発生する。この国には、泥棒の必要がないのである。泥棒も殺人犯もいないから、警察官もいない》
ある時期、北朝鮮をユートピアであるかのように礼賛した人々がいたようですが、その典型的な1人だったのかもしれません。 1991年には、北朝鮮から「親善勲章第1級」も授与されています。 まあ、日教組の関係団体には、 日本教職員チュチェ思想研究会連絡協議会などというところもありますしね。槙枝氏は、わずか5年前の2002年2月には、「金正日総書記誕生60周年祝賀」に寄せて、こんな文章も書いています。
《わたしは訪朝して以降、 『世界のなかで尊敬する人は誰ですか』と聞かれると、真っ先に金日成主席の名前をあげる ことにしています。(中略)主席に直接お会いし、朝鮮人民が心から敬愛し、父とあおぐにふさわしい人であることを確信したからでした》(「キムイルソン主義研究」第100号)
拉致事件のことなどは、まったく頭になかったのでしょうね。なんだかなあ、という感じです。…話がずれましたが、私が槙枝氏にインタビューしたのは1995年8月11日のことでした。当時、 村山政権下で日教組と文部省が歩み寄り 、日教組執行部が「日の丸・君が代強制反対の棚上げ」「学習指導要領の是認」などの運動方針を打ち出していたので、果たして日教組は変わるのかについて見解を聞いたのです。結果は、まあ国会開会中の国会前に座り込んでいる教育労働者の姿を見れば分かることですが。
 
 
ソ連・東欧での共産主義体制の崩壊、地上の楽園と鼓舞し、賞讃した北朝鮮も経済は破綻し、日教組への新規加入者が減り、勢力は後退しました。しかし、今日もなお、一部の組合員たちは共産主義そのものへの根本的反省を行っていないようです。
イ ギリス・イタリアでも議会主義的左翼政権の結果は、総じて経済活力の喪失、国家の「病」の悪化、青少年犯罪の増加、無気力・無職能の若年失業者の増大を生 みました。共産党という名称も、多くの先進国では消え去りました。しかし、教育界においては、今なお、歴史の法則的必然性によって資本主義の次の段階には 社会主義が実現する、という旧観念が根強く保たれているのです。
  そして、今日も、日教組の一部の頑迷な教師たちは、青少年に旧観念を教え込み、反日日本人を製造しています。
   
 
戦 後日本を占領したGHQは、占領初期において、こうした反日日本人を誕生させることによって、日本を弱体化しようとしました。そして日本人が分裂し、自ら 自国の国益に反することをするように、日本の社会に仕掛けを行いました。但しそれは、米国の国益を損ねない限度においてであったはずですが、しかし、一 端、誕生した反日日本人は、米国の思惑を超えて成長・増大し、想定外となったのです。その大部分は旧ソ連や共産中国を利する勢力となりました。その一方、 占領政策や共産主義の謀略に目覚め、「国際常識としてのナショナリズム」を取り戻した人々が、インターネット等の普及により、闇の部分が明るみになり、近 年は増えてきてはいますが、道のりは遥か遠いです。
 

転載元 転載元: 美しい国



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