小さな自然、その他いろいろ

身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。
ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。

靖国神社とは、

2011年09月14日 23時06分38秒 | 無題
しい国からの転載です。靖国神社というものについて、正しい知識をお持ちでしょうか。
政治家が靖国参拝をするしないというニュースはよくありますが、靖国神社とはどういうものかをきちんと述べている報道は意外とありません。国家のために戦ってなくなった方をお祀りしてあるのだとは知っていても、いつ建てられ、いつからの人々を祀っているか、どういうまつり方かということを詳しく解説した番組もなく、みな漠然とイメージをもっているだけではないでしょうか。日本人として、この靖国神社というものを、もっとしっかり知ることが大切です。きちんと知れば、参拝することは、日本人として当然の行いであることがよくわかります。

イメージ 1
靖国神社
 
 
 
靖国神社は、明治二年(皇紀2529年)、明治天皇陛下によって、現在の東京都千代田区九段に創建されました。当初は「東京招魂社」と呼ばれましたが、明治12年(皇紀2539年)に靖国神社と改称されました。
その淵源は、文久三年(皇紀2523年)高杉晋作の発議により、奇兵隊専属の招魂場として、元治元年(皇紀2524年)下関に桜山招魂場が完成し、現在は桜山神社となっています。全国で最初に招魂社として建てられた招魂社です。
  
  
靖 国」という名称には「国の平和を願う」という思いが込められています。その淵源は古く、「日本書紀」のの神武天皇の条に「安国」の文字が見えます。「昔伊 弉諾尊(いざなぎのみこと)、此の国を目(なづ)けて曰(いわ)く、日本は浦安国(うらやすくに)、細(くはし)戈千足国(ほこちたるくに)、磯輪上秀真 国(しわかみのほつまくに)」とあります。「浦安国」の「うら」は心を意味し、「安国」は安らかに治まる国、泰平の国の意味であり、『延喜式祝詞』の「祈 念祭」には、「四方(よも)の国を安国と平らけく」とある。国の内外の平和を祈る言葉として、「安国」が使われています。
 「浦安国」とは、古の日本を意味します。神祇の安寧慰撫と国の平穏無事 を祈り現在でも「浦安の舞」は各地の神社の例大祭などで舞われていす。靖国神社の名称を「安国」ではなく「靖国」と表したのは、わが国では重要な漢語は、中国の古典に典拠を求める慣習により、『春秋左氏伝』に、「吾は以て国を靖んずるなり」「以て国を靖んぜんと曰へり」とあり、これが出典とされています。 
このように、「靖国」という名称には、平和への願いが込められている。命名は、明治天皇陛下によるとされています。
  
靖国神社とは別に、千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。東京都千代田区にあり、靖国神社からは徒歩5分ほどの場所である。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、国立の合葬墓地として昭和34年(皇紀2619年)に建設されました。ここは昭和12年に勃発した支那事変以降の戦没者を対象としています。戦没者の遺骨のうち、名前が解らなかったり、あるいは名前は分かっていても遺族が解らないため引き取り手のなかったりする遺骨を収容しています。
記 事の冒頭にもありますが、靖国神社は、明治維新以来の内戦・事変・戦争等で亡くなった人々を対象としています。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は墓であるから、遺骨が 納められているが、靖国神社には遺骨は納められていません。位牌もなく、戦没者の氏名が記載された霊璽簿(れいじぼ)が置かれているいます。遺骨は各家族 が自家の墓地に納め、位牌は主に家庭の祭壇で祀っています。
靖国神社は遺骨を収容する場所ではありませんから、別に氏名・遺族不明の戦没者のための墓苑が必要です。千鳥ヶ淵に埋葬されている人々の霊も靖国神社に祀られている。それゆえ、靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、どちらも必要な施設なのです。
筆者の住んでいる姫路市にも、護国神社があります。
護国神社は全国各地にあります。これは、東京招魂社を前身とする靖国神社とは別に、各地方の藩などが創建した地方招魂社を起源とします。
上記の桜山神社とは別に山口県では護國神社があります。
靖 国神社と護国神社は、本社と分社の関係ではありません。分社とは、本社以外にその分霊を分け祀った神社をいいます。しかしながら、靖国神社と護国神社は、 ともに国事殉難者の霊を祀っており、靖国神社は全国、護国神社は主としてその地域を対象としており、祭神を一部同じくするので、提携しながら、慰霊・顕彰 のための活動を行っているのです。
  
現在、靖国神社には、246万6千柱の御霊が祀られている。御霊は神社の祭神(さいじん)であり、柱という単位で数えられます。
祀られている人々のうち、特に多いのは大東亜戦争の戦没者であり、現在、213万3915柱です。現在も、新たに身元が判明した戦没者の遺族から合祀の依頼が続いています。
  
祀られているのは、軍人ばかりでなく、大東亜戦争に限ると、戦死、戦傷死、戦病死もしくは公務殉職した軍人、軍属、およびこれに準ずる者が、合祀の原則。軍属とは、軍人(武官)以外の軍に所属する文官・文官待遇者のことをいい、従軍看護婦なども含まれます。
 また軍人・軍属以外に、主婦、小中学校の児童・生徒、それに2歳にも満たない童女も、祀られている。
女性も約5万7千人含まれている。例 えば、沖縄から鹿児島へ強制疎開する途中、撃沈された輸送船「対馬丸」に乗っていた生徒達、沖縄戦のひめゆり部隊、白梅学徒隊、終戦後、「氷雪の門」で知 られる、ソ連軍の侵攻を内地に通報し自ら命を絶った樺太真岡(まおか)の女性電話交換手、ソ連軍の侵攻で虐殺された満州開拓の従事者といった人々も祀られ ています。
当時は日本国籍だった朝鮮人約2万1千柱、台湾人約2万8千柱も含まれています。
 
極 東軍事裁判で「A級戦犯」と断罪され、処刑された昭和殉難者も祀られています。わが国は、昭和20年(皇紀2605年)8月15日昭和天皇陛下の「ご聖 断」により戦闘は停止しましたが、昭和27年4月28日に主権を回復するまでは、引き続き国際法上の戦争状態にあり、極東軍事裁判以外にも「B・C級戦 犯」の軍事裁判が国内外で行われました。この時期に連合国によって有罪・処刑された者は、公務に殉職した法務死と国が決議しました。その基準に基づいて、 昭和殉難者も合祀されています。
 
戦 没者の慰霊・顕彰は、どこの国にみられる普遍的儀礼です。どこの国でも、祖国を守るために命を捧げた人々に敬意を表する場所があります。アメリカのアーリ ントン国立墓地、イギリスのウェストミンスター寺院、台湾の忠烈祠、韓国の国立墓地等、形は様々ですが、国民の魂のより所ともいうべき場所になっていま す。
 
慰 霊の方法は、国によってその国の宗教的伝統に基づいて行われています。アメリカのアーリントン国立墓地には、「無名戦士の墓」があり、その前で年3回、大 統領が参加して、ユダヤ・キリスト教式の戦没者追悼式を行っています。戦没者の中に、ユダヤ・キリスト教以外の信者が含まれていても、国家による公的行事 として行われています。異教徒であっても、国家の行事として、アメリカ国民は受け容れています。国民として当然だからです。
わが国においても、儀礼である戦没者の慰霊が、国家による公的行事として行われるべきであり、また、国家が靖国神社を護持するのは当然です。単一民族である我国は、独自の宗教的伝統に則って行うべきです。
 
 
 
 
投稿文字数に制限がありますので、次回に続きます。
 
 
 
 

  
 
 

転載元 転載元: 美しい国

 

 



最新の画像もっと見る