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昭和天皇と乃木希典大将

2011年08月22日 17時19分58秒 | 歴史

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。


転載開始

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       学習院初等科入学当時の迪宮殿下(右)  中央が光宮(高松宮) 左が淳宮(秩父宮
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昭和天皇は幼少の頃は迪宮(みちのみや)殿下といわれておりました。
迪宮殿下は祖父である明治天皇にはことのほか可愛がられていました。
明治天皇は無口でありましたが、迪宮殿下に会われるといつもニコニコされて喜ばれていました。
明治天皇は鮎を好まれており、「これを皇孫へ」と言われて、
鮎の時期になると迪宮殿下のもとにも届けさせておりました。
 
明治天皇の前に出ると誰もが緊張して何も申し上げられなくなりますが、
迪宮殿下は平気で「おじじさま」といわれて物怖じされませんでした。・・・
 
昭和天皇が明治天皇を尊敬されておられたのは何と言っても明治天皇が近代国家として日本の礎を築かれたからでした。
昭和天皇は晩年にいたるまで明治天皇の話題となると居住まいを正されていたといいます。
 
迪宮殿下が学習院初等科に入学するにあたって明治天皇は乃木大将を学習院長に就任させました。
乃木大将は明治の日本人がそうだったように謹厳実直の人でした。
迪宮殿下は乃木大将のことを“院長閣下”、“院長閣下”と言って乃木大将を尊敬されておりました。
 
ある日、乃木院長が
「どういうふうにして初等科に通っているのですか」とたずねました。
「天気のよい時は歩いて通っているけれども、雨の時は馬車で通う」とお答えされました。
すると乃木院長は、
「雨の時でも、コートを着て、歩いて通うようにしなくちゃいけない」と強く言いました。
 
また、迪宮殿下はよく相撲をとられるのを好まれたので、
ズボンの膝や靴下によく穴があき、そのつど新しい物とお取り換えされていました。
すると乃木大将はこのように言われました。
「着物に穴のあいているのを着ちゃいけないが、つぎのあたったのを着るのはちっとも恥じゃない」
すると迪宮殿下は学校から帰られると
「穴のあいているのにつぎをたててもらいた」とおっしゃりました。
早速つぎをあてると、「これでいいんだ」と満足して頷かれました。
 
迪宮殿下が熱海に避寒されていた時のことです。
ある雪の降る日に乃木大将がやって来ました。
迪宮殿下はちょうど火鉢にあたっておられました。
すると乃木大将は
「殿下、お寒いんでございますか。このようにお寒いときは火鉢にあたっているより、
あの御運動場に行って駆け出していらっしゃったらいかがですか。
御運動場を二、三回走ってお周りになったら暖かくなります」と申し上げました。
迪宮殿下はその通りにしました。
 
月日が流れ、昭和28年、
昭和天皇の外套の襟が破れていたのを、女官長がそう申し上げると陛下は、
「外に出るときは別だが、普段うちで行き来するときは、つぎをあてておけばよい」
とおっしゃりました。
 
昭和50年、
昭和天皇は訪米前にアメリカのニュース週刊誌『タイム』記者と会見されこのように語られました。
「私は多くの人々、とりわけ乃木将軍に深い影響を受けました。
将軍は私が学習院にはじめて進学した時の院長でした」と前置きされて、
雨の日に登校する時は馬車に寄らず、コートを着て歩くように教えられたことをお話されました。
・・・
 
乃木大将は明治天皇が崩御されたのを受けて自決されました。
乃木大将はそれに先立ち迪宮殿下を訪れました。
その時、大正天皇が皇位につかれ、迪宮殿下は皇太子となられていました。
乃木大将は、
「きょうはまず迪宮殿下に申し上げます。今更申し上げるまでもないことでありますが、皇太子となられました以上は、いっそうのお勉強をお願い致します」と話しはじめ殿下に諄々と注意すべき事項を申し上げました。
その上で「中朝事実」に朱を入れたものを差上げて、
「私がふだん愛読しております書物を殿下に差上げたいと思いましてここに持って参りました。
いまに御成長になったら、これをよくお読みになって頂きたい」とお願いしました。
「中朝事実」とは江戸時代初期の儒学者、山鹿素行による万世一系の天皇を頂く日本こそ中朝であり、
皇室を中心とした日本の政治的伝統を解き明かしたものでありました。
 
乃木大将の態度がいつもと違っているのに気付かれて
「院長閣下はどっかへ行かれるのか」とお聞きなされた。
この時、皇太子(昭和天皇)へお渡しした「中朝事実」は乃木大将が写本したものでした。
 
乃木大将が幼少の頃、父・希次から筆写して贈られたのが「中朝事実」でした。
乃木大将はこの「中朝事実」を生涯の座右の銘とし、戦場に赴くときは必ず肌身離さず携行していたといいます。
 
 
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                           (乃木希典大将)
 
 
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転載元 転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」



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