小さな自然、その他いろいろ

身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。
ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。

「占領憲法下の祖国」斎藤忠   

2011年11月03日 22時30分42秒 | 日本人と憲法

昭和55年に書かれた「占領憲法下の祖国」という斎藤忠(国際政治評論家)氏による評論の一部を転載しました。現行憲法が法理論上ありえないことがよく分かります。

ヘーグ陸戦法規違反の暴挙
如何に軍事占領といえども、被占領国の文化・伝統は、あくまでもこれを尊重しなければならない。如何に軍政を行うとも、被占領国の法令・慣習は、ほしいままに改廃することは許されるものでは断じてない。


ヘーグ陸戦条規は、その第三款、「敵国の領土における軍の権力に関する規則」の第四十三条に、「国の権力にして事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的支障なき限り、占領地の現行法を尊重し、能う限り公共の秩序及び生活を回復確保するため、施しうべき一切の手段を尽くすべきものとす」と、明確に規定している。


占領軍がわが日本において行ったことは、軍政に許されうる範囲をはるかに逸脱するもの。いうまでもなく、陸戦法規に違反するものであったのだ。
おおよそ法の制定は、自由にして冷静な意思を保有し得て、はじめて行いうるものである。国家に完全な主権が存在することと、国民に完(まった)き意志の自由が保障されることこそ、その不可欠の前提であらねばならない。


旧帝国憲法の第七十五条が、摂政時代に憲法を改正することを禁止しているのも、もとより、その故である。ブラジル連邦の憲法も、また、同じ理由によって、戒厳令下に於いて憲法を改正することを禁じている。
フランス第四共和国の憲法もまた、かりそめにも占領期間中にこれを改廃してはならぬことを、厳に規定している。乃ち、その第九十四条によれば、本国領土の 全部又は一部が外国軍隊の占領下にある場合は、憲法改正のいかなる手続きも、これに着手しもしくは継続することを許されないのだ。


だが、日本国憲法は、敗戦後の占領下に、事実における亡国の状態において、制定され公布された。
これが、わが国会の審議を経たものであることは、たしかに事実である。だが、当時の日本は、精神的にも、敗戦直後の言おうようなき混乱と動揺のただ中に あった。形においては、日本国会は存在した。だが、主権は日本国民には無かったのだ。――日本は、占領軍最高司令官の事実における軍政下にあったのであ る。
しかも、国民のうち、三十万にのぼるおびただしい人口は、戦争の責任を問われて、戦勝国の一方的な裁断によって、祖国の運命に関する一切の発言の自由も、権利も、奪われていた。追放の範囲は、自治体機構の最末端似までも及んだのである。


審議は、二十万の占領軍の銃剣の威嚇のもとに行われた。このような条件における審議に、どうして、国民の自由な意思が表明され得よう?
わが日本に後れて、同じように、占領軍によってその憲法草案を与えられた西ドイツは、このような環境のもとにおける憲法の受諾を、断固として拒否した。ドイツ国民自身の自由意志によってその制定をおこない得る日までは、「憲法」というものを所有することを拒んだのだ。


仮に西ドイツ基本法を定めて、占領下にある歳月の間、これをもって憲法に代えるという態度をもって一貫した。これは、真に憲法を尊重した敬服すべき見識であり、また勇気であったというべきであろう。


だが、日本の場合には、西ドイツの場合には存在せぬ責め道具があった。
「もし日本国会にしてこの憲法を拒否するにおいては、天皇の御身分も、或いは、これを保証し得ぬであろう」という。これは、日本国民にとっては、断じて抵抗することを許されぬ暗黙の恫喝であったのだ。
更に、審議の結末は、当然、占領軍最高司令官の裁決・承認をへなければならなかった。最後の決定権は、もとより、占領下の敗戦国民にはなかったのである。

国体原理の抹殺

国の交戦権を否認し、一切のウォー・ポテンシャルの保有を拒否した前代未聞の憲法は、このようにして成立した。
およそ憲法は、国の存立のあり方に関する国民意思の表現であらねばならない。国民精神の象徴でさえもあらねばならない。しかるに日本国憲法は、その国民の意志感情とは全く無関係に、わずか一握りの占領軍関係者によって起草されたのである。
(中略)


おなじく、この四十余年の間に新しく制定されたものに、ソビエト連邦の憲法がある。スターリン憲法と呼ばれるもの。この憲法は、1936年12月に発布さ れたが、その草案の作成には、実に一年にわたる歳月を費やして、あらゆる慎重の用意を尽くしているのである。しかも、起草を終った憲法草案は、ただちにこ れをソビエト大会の議に付する措置をとらなかった。(中略)


だが、わが日本国憲法は、実に、わずかに数旬にも充たぬ短時日のあいだに、事もなく作成された。かりそめにも国の基本法たる憲法がである。
それも致し方ない。ただ、問題は、その内容である。たとえ形式のみにせよ。日本国憲法は、旧帝国憲法第73条の憲法改正手続きによって成立したものである。この憲法の上論は大日本帝国憲法のもとにあることを是認し、日本国憲法が大日本帝国憲法の改正によって生まれたものであることを明らかにしている


それにもかかわらず、その天皇統治の原理をもって貫かれている大日本帝国憲法の改正によって生まれたはずの戦後憲法は、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」ことを言明しているのである。


日本国憲法の大日本帝国憲法における関係は、たとえば第一次大戦後のドイツに於けるワイマール憲法の旧ドイツ帝国憲法に対する関係と全く異なるのだ。ワイ マール憲法は、ドイツ帝国憲法とは何らの関係もない全くの別個の憲法であった。皇帝はすでに国外に逃れ、ドイツにおける君主制は、つとに廃止されていた。 ドイツは全く新たな共和国としてうまれたのである。


だが、日本国憲法は、さきにも言うように、大日本帝国憲法第73条の改正手続によって生まれたものである。日本国憲法自体、国家及び国民統合の象徴たる天皇の在位される憲法である。この憲法のもとにおいて、国民をして、にわかに「主権が国民にある」ことを宣言せしめ、これを前提として民約憲法を確定する。これは、法理上あり得ることか?


「そもそも国政は国民の厳粛なる信託によるもの」と言い、「その権威は国民に由来し、その権利は国民の代表者がこれを行使する」と言っている。これは、もとよりアメリカン・デモクラシーの本質である。


しかしながら、国政がいかなる権威にもとづくか、また、何人が如何なる方法によってこれを行使するかは、もとよりそれぞれの国の歴史、伝統、国情によって全く異なるのである。その形成は、悠遠な歴史の流れの中においておこなわれた。いわゆる「不文の憲法」は、厳として、すでに久しく存在していたのだ。


アメリカン・デモクラシー、もとより、米国の歴史・伝統を根拠とし、背景とする一つの真理であるには相違ない。だが、これをもってただちに「人類普遍の原理」となし、歴史と伝統を全く異にする他の国に俄に適用して「これに反する一切の憲法・法令および詔勅を排除する」
というに到っては、言語道断という他に言葉はあるまい。
上記の宣言を含む「日本国憲法前文」は、実に、占領軍総司令部が、その原案を日本政府に交付するにあたって、「一字一句の修正をも許さぬ」旨を指示したものである。

交戦権否認の規定

「憲法」は変った。だが、憲法の根基たる歴史的統一体としての日本国民の存在は、厳として変らなかったのである。
日本は、敗戦によって、その領土を失った。だが、そのために、日本国民の統一性は却って増大し、深化した。「日本国土に居住する日本民族」は、「日本国民」と同義になったのだ。こうして日本民族は、そのまま一国民として、現に歴史的統一を保持する。


それにもかかわらず、占領軍は日本弱体化のための政策の根幹として、この国の憲法を廃棄し、これに代えるに彼らの「日本国憲法」を以ってした。これが歴史的統一体としての日本国民の実体と如何に相反し、相剋するものであるかは、おのずから明らかであろう。


まして、およそ独立主権国家の憲法に於いて国の交戦権を否認し、国家の自衛をみずから放棄したもののある例を知らない。
一国の憲法に戦争の放棄を規定した例は、今日までも、決して皆無ではない。古くは、1848年のフランス憲法にも、すでにこの種の条章を見るのである。 1931年のスペイン新憲法にも、また、これに類似する条項は存在する。さらに、1934年のブラジル憲法、1935年のフィリピン憲法、いずれも一種の 戦争放棄憲法だ。

しかしながら、こられはただ、侵略戦争を行わぬことを定めたものである。あらゆる戦争の場合を含めて、国の交戦権をことごとく放棄することを宣言した日本国憲法のご時は、古今東西に絶えてその例を見ない。
まして、戦力の一切を放棄する規定にいたっては、まことに前代未聞のことである。


たとえば、イタリアは、わが国と同じく第二次大戦において徹底的な敗戦を経験した国である。だが、そのイタリア共和国の、ひとしく戦後に制定された憲法ですらも、戦力の保持は明白にこれを規定しているのだ。
三軍の編制に、数量の制約こそは設けている。だが、一切の戦力を放棄するなどという奇怪な規定は、決して包含してはいないのである。


さきに言及したソビエト連邦憲法――わが国のインテリのある者は、平和を愛する人々の唯一の祖国のようにさえも言う、そのソビエト社会主義共和国連邦の新 憲法すらも、なお、祖国の防衛は「ソ連邦各人民の神聖なる義務」であると明白に規定している。その大32条は、全国民的兵役の義務を「国法の定むるとこ ろ」と規定し、さらに「労働赤軍における軍事勤務は、ソビエト社会主義共和国連邦人民の名誉ある義務である」と断言している。また、第133条も、その前 段において、「祖国の防衛は、ソビエト社会主義共和国連邦各人民の神聖なる義務」と言い、また「祖国に対する反逆、宣誓違反、敵国への内応、国家兵力の毀 損間諜行為は、最も重大なる罪悪として法の峻厳を尽くしてこれを罰するであろう」と宣言しているのだ。



最新の画像もっと見る