井上雅夫同志社大学准教授の論文(平成19年)のつづきを転載します。
京都御所
日本ほど平和な国はない
日本という国は皇室と国民が非常に素晴らしい関係であったのみならず、古来「日本(やまと)は浦安の国」と言われたように日本ほど昔から平和な国はないのです。日本は決して好戦的ではない。日清戦争、日露戦争など、全部日本はやむを得ず戦った戦争ばかりです。
「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」という明治天皇様の御歌でも、やむを得ず戦ったことを歌っておられます。西欧では君主というものは戦いの先頭に立つ戦士王という性格が強く、そうでなければ駄目なのです。日本はそうではありません。国旗にしても国歌にしても静かで穏やかです。ヨーロッパの国旗国歌の多くは軍歌であり軍旗に由来しています。先ほどのポール・ボネさんも、「多くの国の国家はきわめて戦闘的である・・・日本の国歌には、敵もなければ剣もない」、「君が代」が「軍国主義につながる」というのなら、フランス国歌は「どうなるのだろうと反問したい気持ちにさせられる」と言っておられます。君が代を歌っていたら戦争する気もなくなるでしょう。こんな平和な感じの国歌は世界に稀なものです。
京都御所の美しさの根源
保田與重郎先生が「京あない」という作品の中で「京都の様々な名所旧跡、人文芸術の遺品と現物を数へあげて、最後の最後に於て、何が最も京都であらうか。ためらひもなく私にいへるのは、それは御所であるといふ一言である。その美しさ、気分と雰囲気、それは京都の最高のものであるのみならず、日本の最高の美であらう。旧江戸城のの皇居と異なり、わが京の都の御所には、一重の普通の塀の他に、なんの防壁も関所もない。この無防備の王城は、世界に比類ないものともいはれた。この無防備の王城は、国初めよりつねに国民結合の精神の中心として尊崇されてきたのである。この尊崇のこころが、無防備といふ事実の原因である。そしてその無防備はわが国がらを端的にあらわしてゐる。そしてそれが御所の美しさの原因である」と書いておられます。
つまり御所の美しさは国民の皇室に対する敬愛から来るのであり、それがそこに表れているのです。このような御所とともに、平安時代の京都には里御所、里内裏というものがありました。いわば仮の御所で庶民の住む町中にあり、これを里御所といいます。そういう所だと、ますます国民と非常に近い関係にあられました。堅固で豪壮な宮殿にいて国民から本質においてかけ離れている西洋の君主とはおよそ違うのです。我々は「開かれた皇室」などという浅薄な議論に惑わされず、外国には見られない神代よりの皇室と国民の深い絆を大切にしていきたいものです。
日本において、天皇と国民が対立したという事例は、一例もありません。常に皇室は尊崇の対象であり、また天皇も、国民をわが子のように慈しまれました。天皇は一年を通じて、祭祀をとり行われ、神々に祈られます。そこには敬虔なお気持ちと、天照大御神の御神勅の精神を自らの心とするという強い信仰がおありになるのだと拝察されます。
常に「国安かれ民安かれ」と祈られる無私の御心は、御所の無防備を疑う必要もないほどに、徹底していたということだと思います。その無私の精神は、終戦後の昭和天皇の全国ご巡幸が、なんの警備もなく無防備の中で行われたことにもよく表れています。
これほど徹底した無私の心というものが、世界の歴史上の他国の君主にあったでしょうか、日本の天皇という存在の不思議さは、日本の神秘の中の一番の神秘といえるのではないかと思います。