小さな自然、その他いろいろ

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ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。

「憚りながら」

2011年10月23日 23時01分51秒 | 無題

美しい国からの転載です。この記事にもありますように、尊敬するブログ友達でありました敬天愛人様が先日10月11日の夜に、脳梗塞で亡くなられました。いつもちょっとユーモアのある、でも一本筋の通ったような気骨あふれるような文章で、洞察力に飛んだ記事を書かれていました。誠実さと竹を割ったような気性を感じさせる、その人の魅力が伝わってくるような文章で、私もよく転載させて頂きました。まだ55歳なのに、こんなに突然に亡くなられるとは、あまりに予想外のことで、愕然としてしまい、ネット上の付き合いとは言え、深くショックを受けました。最後の絶筆が「月日だけがいたずらに過ぎて行く」という記事でした。このブログでも転載しました。復興へ本気で取り組まない政府の姿勢に焦りと郷土福島への愛とがにじみ出たこの記事が、敬天愛人様の心を思うと、ほんとに悲しくて、悔しくて、涙が出ました。そんな中、この美しい国に掲載された記事には、深く共感を覚えました。



転載開始


 

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金剛力士 「阿形」(法隆寺)
 
 
金剛力士の役割は、寺院などの境内を守るために忿怒(ふんど)の形相で門の前に立ち悪などの出入りを防いでおり、もともと1体でしたが、門の両脇におくことで2体になり、そこから「仁王」と名が付けられたと考えられています。
この仁王は、正面から見て左側が「吽形の像」と呼ばれ、右側が「阿形」と呼ば れます。これは、阿はア行の始まりで、吽は「ん」のことで、最初と最後、つまり始まりと終わりを意味しています。阿形像は今まさに仏敵を威嚇攻撃している 様を表現しており、吽形の方は仏敵が襲ってくるまでの小休止で休めの姿勢と言われています。
阿吽(あうん)とは、上述のように、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを阿吽の呼吸、阿吽の仲などとも言います。
 
 
 
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金剛力士 「吽形」(法隆寺)
 
 
筆者は、金剛力士の記事を紹介しているのではありません。
筆者が政治を見る形相(形相)が金剛力士の面(おもて)になっているのです。
今日の読売新聞に、「福島の仮設世帯、7割 仕事してない」の記事に忿怒(ふんど)しているのです。
 
以下にその記事を引用します。
 
震災と東京電力福島第一原発事故で、福島県内の仮設住宅で暮らす世帯のうち、家計を支える立場にありながら仕事に就いていない人が7割近くに上ることが20日、県の調査で明らかになった。

 震災前に仕事に就いていた人は7割。原発事故で職場を失うなどした人は多く、今後の収入確保に不安を募らせている。


 調査は9月10日~18日、県内の仮設住宅に入居する約1万世帯のうち、主たる生計維持者を対象に調査員が聞き取りを行った。6468人が回答した。


 集計によると、震災前に働いていた人は全体の71・6%だったのに、震災後の現在は33・1%にとどまった。県によると、震災による解雇のほか、立ち入 り制限区域内の事業所が休業したり、農林漁業従事者が仕事を失ったりするケースが多いという。地域別では、原発事故に伴い、警戒区域や一部が計画的避難区 域となった町村などで、働いていないと回答した人の割合が高い傾向にあった。


 全体の2割が失業保険を受給。現在の主な収入源は「年金」41・8%、「預金の取り崩し」11・5%、「失業保険」7・2%などだった。就労について は、65歳未満のうち62・9%が就職を希望し、57%が正規雇用を望んだ。就職を希望しない人では、6割が高齢を理由に挙げたほか、今後の見通しが不透 明なため活動しづらいとする声も1割ほどあった。
 
先日、祖国「日本」、故郷「福島」を愛し、国を憂い、志半ばにして逝去された、筆者が師とも仰いだ敬天愛人大兄の絶筆、「月日だけがいたずらに過ぎて行く」の中で、荒廃してしまった政治家の資質、国の怠慢さを憂い、風評被害に苦しみ、死活問題となっている「福島」の現状を、切実に訴えておられました。
上記の読売新聞の引用記事がそれを語っています。
 
ガラクタに等しい民主党政権震災後何をやってきたでしょうか?
いたずらに時間を浪費し、権力闘争に明け暮れ、政権にしがみつく保身しかしてこなかったのではないでしょうか?
「復興、復興」と掛け声だけで、アクセルを踏もうともせず、今やらなくてもいいことばかりに重心をおいているのではないでしょうか?
被災地、とりわけ福島の被災者の方々は、家族を失い、職を失い、収入を絶たれ、家を失い、原発周辺の方々は先祖伝来の田畑まで失ったのも同然の状態です。
敬天愛人大兄は、記事の中で「7ヶ月経っても、何も変わらない」と嘆いておられました。
「7ヶ月経っても、何も変わらない」ことは、これから先急転直下、事態がいきなり好転することなど到底望めるはずもないでしょう。
辛抱強い、被災地の皆さんの「気力」も限界があるでしょう・・・
いづれ、生活資金、事業資金も枯渇してくるでしょう。
東北の皆さんだから、暴動やデモが起きないといっても過言ではありません。
政治の怠慢により、今後被災地に起きることは、政府民主党による「人災」です。
国難である時だからこそ、愚か者たちに政治を任せてはならないのです。
 
筆者は、阪神淡路大震災を経験し、兄弟が被災しましたが、明らかに「復興」の歩みが遅すぎます。メディアは東電を叩き、本質を報道しようともしませんが、責任は政府にあるのです。今の政府なら、素人でもやれます。同胞を護ろうという意欲、意識すら感じられません。
国民はもっと怒るべきです。金剛力士のように・・
 
そして、阿吽(あうん)の呼吸で政治のできる人材に国を託さなくては、国は再生しないでしょう。
 
憚りながら、民主党は傾城傾国(けいせいけいこく)の政権です。
交代せねば、まさに「亡国」です。
 
 
 

転載元 転載元: 美しい国

 



10月30日は「教育勅語の日」

2011年10月23日 21時47分23秒 | 無題

美しい国からの転載です。

教育勅語は今から121年前に「教育の詔」として交付されました。当時は明治維新以来文明開化の波に乗って、物質的に豊かになってきましたが、滔々と流れこむ欧米文化に西洋崇拝の風潮が高まり、日本人は日本古来の日本的伝統を尊ぶことを忘れ去って、その風俗習慣までも欧米化し、いわゆる鹿鳴館時代となっていました。鹿鳴館ではハイカラ紳士たちが西洋風のダンスに打ち興じつつも、しばしば醜態をさらすという異様な状態でした。また維新変動以来続いていた社会的、文化的混乱もあり、日本の伝統や美徳は全く無視され、国民道徳の頽廃は目に余るものがあったのです。明治天皇はこの状態を痛く心配され、この詔を発布されたのです。

そのような状態にあった日本も、この教育勅語の普及するとともに、見事に落ち着きを取り戻し、混乱は収拾されて、国民の心に道義心が育まれるようになりました。これは、ほんとうに驚嘆すべき素晴らしいことでした。これはまさに明治天皇の御徳と、教育勅語の普及に尽力した教員の努力によるものでした。 

江戸時代から国民の間にいろいろな人の道を説く思想が普及し、道徳が広く行き渡っていた日本の伝統が、これによってよみがえり、道徳心が広く育まれて行きました。

こうした精神性の高い国民性をアメリカ占領軍は恐れ、日本の精神を破壊することに力を尽くし、占領統治による洗脳、そして戦前の制度の廃止によって、日本人の精神を作り変えようとした結果が、今現代の社会です。

日教組教育を受けた子供たちは、日本に生れたことを恥ずかしいと思い、戦争を行ったということで先祖を恨み、劣等感をいだき、生き甲斐を喪失し、少しの動機でもすぐに自殺してしまうような青少年が多くなりました。

権利ばかり教えられるので、自分が奉仕し与える悦びを知らず、不平不満ばかり募らせ、社会や他人を悪く思い、法律もルールも守らない若者が増え、わがまま勝手な粗暴な人間、破廉恥な日本人が増えていきつつあるのです。

教育勅語は、今現代にこそよみがえらせる必要があります。日教組がいうような、押し付けの道徳、封建的な道徳ではありません。本来人間が自然にもっている当り前の道徳心を大切にしようと呼びかけている文章なのです。だから、明治の時代に、熱病が引くように、混乱がおさまり国民の心が本来の日本の美徳を取り戻したのです。

教育勅語を、ほんとうにじっくり読んでみたこともないのに、批判している人は一度読んでみたらいいと思います。
穏やかで、ほんとうに真っ直ぐな人間の当り前の道徳を呼びかけているだけなのです。あまりに真っ直ぐなので、心にすっと受け入れることができます。

 

 

転載開始

教育勅語
 
 
明治23年(1890年)10月30日121年前の10月30日、明治天皇陛下より「教育ニ関スル勅語」が渙発されました。
荒廃した今日の日本社会、およそ日本人の政党ではないのではないかと疑いたくなる民主党政権の横暴、国民、権力と化したマスコミ、東日本大震災後の風評被害、すべて戦後教育の歪みであります。
素晴らしい人材を輩出し、崇高な精神を誰もが持ちえた戦前の日本と戦後日本を考え、教育勅語の日を迎えるにあたり、今一度、教育についてご考慮いただけたらと思う次第です。
また、「教育勅語の日」の復活を強く願うものであります。
 
 
以下明治神宮HPより引用

明治天皇は明治元年、国是五箇條を神々にお誓いになり、新生日本の大方針を明らかにさ れました。政府はこの方針にそって、近代国家の建設には人材の育成が急務であるとして、明治5年学制を公布し、全国的に学校を設置して義務教育の制度を確 立し、教育の普及に努めました。しかし当時は文明開化の風潮により洋学が重んじられ、我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される傾向にありました。

このような実情を深く憂慮された明治天皇は、徳育の振興が最も大切であるとされ、わが国の教育方針を明らかにするため明治23年10月30日、教育勅語を 渙発されました。勅語には、日本人が祖先から受け継いできた豊かな感性と美徳が表され、人が生きていくべき上で心がけるべき徳目が簡潔に述べられていまし たが、戦後に教育勅語が排除された結果、我が国の倫理道徳観は著しく低下し、極端な個人主義が横溢し、教育現場はもとより、地域社会、家庭においても深刻 な問題が多発しています。


今こそ、私たちは教育勅語の精神を再認識し、道義の国日本再生のために、精進努力しなければなりません。





【教育勅語の口語文訳】

 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うし て、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりません が、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 

  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の 言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律 や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国 民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもありま す。


  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、ま た日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、 心から念願するものであります。


~国民道徳協会訳文による~
 
 
 

【教育勅語の十二の徳目】

 

孝行 (こうこう 親に孝養をつくしましょう
友愛 ( ゆうあい ) 兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦 ( ふうふ ) ノ ( の ) 和 ( わ )
夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友 ( ほうゆう ) ノ ( の ) 信 ( しん ) 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
謙遜 ( けんそん ) 自分の言動をつつしみましょう
博愛 ( はくあい ) 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
修学 ( しゅうがく ) 習業 ( しゅうぎょう ) 勉学に励み職業を身につけましょう
智能 ( ちのう ) 啓発 ( けいはつ ) 知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器 ( とくき ) 成就 ( じょうじゅ ) 人格の向上につとめましょう
公益 ( こうえき ) 世務 ( せいむ ) 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵法 ( じゅんぽう ) 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇 ( ぎゆう ) 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう

引用終わり
 
 
明 治天皇陛下による「教育ニ関スル勅語」は戦前まで日本国民の精神を培った教育基本法ですが、これは明治天皇陛下が新たに決めたものでもなく日本古来からの 伝統であり教訓をこれを普遍的に続く道徳であるとして、明治天皇陛下みずからも努力して実践しようではないかと国民に呼びかけているものであり、陛下が一 方的に国民に押し付けたものではありません。
  
戦後敗戦国となった日本は連合国に「教育勅語」を廃棄・失効させられ、これに代わって日本人の魂を狂わせ、戦後の教育や社会が悪化・堕落するように周到に仕掛けてあった社会科教育などの占領政策である。
現在の70歳以下の国民は戦後の教育で育ち現在の教育に何ら矛盾を感じないのです。
戦前は社会科という教科はなく、「修身・地理・歴史」という教科で学びました。
連合国は日本の精神の強さ、気品ある国柄を恐れ、再軍備し再び米国に立向かわないよう教育の場から「骨抜き」にしてしまったのです。
占領期間はわずかな期間で終わりましたが、占領政策に関しては倍の年数をかけています。
なぜなら、占領政策は「魂の原爆」となって、二度と米国に刃向かわないよう属国とし、日本の戦後60年の間、社会や教育悪化に深刻な影響を及ぼす骨抜き政策だったのです。

 


教育勅語こそ、先祖代々・明治以来百年の父祖の精神、品格ある国家と品格ある日本国民を生んだ大本だったのです。
 
連合国は、日本人を恐れ「教育ニ関スル勅語」を恐れたのです。
現在連合国の罠にまんまと嵌り、もがき苦しんでいます。
 お国柄を忘れた夢遊病者のように・・・・
 
 
 
朕 (ちん)惟(おも)ふに 我が皇祖皇宗(こうそこうそう) 国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 徳を樹(た)つること深厚(しんこう)なり 我が 臣民(しんみん) 克(よ)く忠に克く孝に 億兆(おくちょう)心を一(いつ)にして 世々(よよ)厥(そ)の美を濟(な)せるは 此(こ)れ我が国体 (こくたい)の精華(せいか)にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)実に此(ここ)に存す
爾 (なんじ)臣民(しんみん) 父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相(あい)和し 朋友(ほうゆう)相信じ 恭儉(きょうけん)己れを持し 博愛衆に及ぼし 學 を修め業(ぎょう)を習ひ 以(も)って智能を啓発し 徳器(とくき)を成就(じょうじゅ)し、進んで公益を広(ひろ)め 世務(せいむ)を開き 常に国 憲を重んじ国法に遵(したが)ひ 一旦緩急あれば義勇公に奉じ 以って天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし 是(か く)の如(ごと)きは 独(ひと)り朕が忠良の臣民たるのみならず 又以って爾祖先の遺風を顕彰(けんしょう)するに足らん
斯 (こ)の道は 実に我が皇祖皇宗の遺訓にして 子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所 之(これ)を古今に通じて謬(あやま)らず 之を中外(ちゅうがい) に施(ほどこ)して悖(もと)らず 朕爾臣民と倶(とも)に挙々服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其(そ)の徳を一(いつ)にせんことを庶(こ)ひ 幾(ねが)う
 
明治二十三年十月三十日
      御 名   御  璽

 

 



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ちびっこによる教育ニ関スル勅語リレー1





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