隧道を下った川の側に松上という大きな家があった。
次兄は学校を卒業するとすぐ、頼まれて住み込みで松上家の家業を手伝いに行った。
そしてお盆の頃には母もびっくりするほどのお金を貰ってきた。
平和で景気の良かった頃は、東京に出て良い店の丁稚奉公にでも入れば、暖簾分けなどさせて貰えて
支店も出させて貰える・・・そんな話も聞こえてきたが、その頃には就職の話などなく、
予科練だ、少年飛行隊だの、そのうちに支那事変も深みに入り、国も県も満州開拓義勇軍募集を学校のノルマとしてきた。
兄弟も多く自分がいないほうがいいと思ったのかもしれない。
次兄は父の印鑑を知らないうちに持ち出して、満州開拓義勇軍に志願した。
おじいさんの植えたダリアの花が咲き始めた頃だった。
次兄は松上で貰ったお金でハーモニカを買い、夕刻、垣根の外に出ては独りで吹いていた。
あの曲は確か浜千鳥だった。
「そんな遠くへ行かんでもいいじゃないかな」おばあさんは泣いた。
出かける時、長兄が写真をやっていた先輩を連れて来て、写真を撮ってもらった。
昭和14年 ダリアの花が満開の日だった。
母とおばあさんは涙を拭きながら次兄を送り出した。
カーキ色の服に襷を掛けて駅で別れた姿が次兄の最後の姿になった。