熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

ひとりごと(桜)

2018-04-23 17:39:55 | ひとりごと

昨日の暑さでどこよりも遅く開花する旧中山道一石栃の茶屋の桜が満開になっただろうと思った。

あっという間に見頃を終えてしまう桜の花。

来年又見れるから・・と思えるのは若いうちだけで、

高齢になると、来年又見る事ができるという保証などはない。

93歳になった父と90歳の母ーいつの間にか二人とも90台になった。

「今年もこの桜が見れたなぁ・・」という言葉には90年の重みがある。

 

茶屋でお茶を頂きながら「来年も見に来て下さいね」と声を掛けられ、

「来年も来るでな」って言いながら外に出た母は、

きっと、

来年まで頑張って生きなくてはと思っていたに違いない・・。

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ひとりごと(記憶の風景)

2018-03-02 21:40:01 | ひとりごと

もうすぐ93歳になる父と90歳の叔父が育った部落。

生家も解体され、思い出が次第に消えて行く。

それはやっぱり寂しい事で、時代の流れをひしひしと感じる。

 

・・なので最近、父や叔父の子供の頃の話を聞く・・・

それは、今や、父や叔父の記憶の中にしか故郷が存在しないからだ。

今と違って、写真や情報や記述の少なかった時代の思い出は、生きた人たちの記憶の中にしか存在しない。

そして、その記憶も次第に消えて行く。

そんな事を考えるているうちに、その記憶を辿ってみたいと思うようになった。

 

「山の中を歩いて爺さんの妹が嫁に行った隣の村の家まで、よく婆さんに連れられて行ったものだ。

隧道を抜けて山を下り、小さな川に出て川を渡り、林の中の急な山道を登るとお歯黒のばあさんが住む家に着いた。

そこには、松、竹、梅という3人の娘がいて、婆さんの話しがすむまでシャボン玉を作って遊んでくれた・・。」

そんな話を叔父から聞いて

親達の歩いた道を私たちも辿ってみようと、従妹の子供を用心棒代わりに誘って、まだ雪の残る山の中を歩き始めた。

昔歩いて下った山はもう鹿よけの柵で囲まれ歩けず、林道を通って川に着く。

この橋でいいのかな?

とりあえず渡ってみると、田んぼの跡や家屋の跡があり、その地に立っていた碑には(慶応年間から14代続いた〇〇家一族の家は昭和36年の36災害で全戸流された)との記載があった。

おそらくはもう誰も訪れる事のないこの地にも人の歴史があり、その人達のための橋だったのだろう。

    

もう、獣道さえもなくなった崖をよじ登り、竹藪を掻き分け掻き分け、隣町の一軒の家の畑にたどり着いた。

 

痩せた斜面を耕して作った畑に立って見ると

父の生まれた部落の裏山が正面に見え、谷底に川が流れていた。

この風景を見ながら、父から聞いたこんな話を思い出した。

 

「弟と一緒に裏山よりもっと奥の山の中に栗拾いに行った。

道に迷って山を歩き回っているうちに真っ暗になった。

尾根を歩いて山の高い所に行くと、向こうの方に幾つか家の灯が見える。

あぁ、あれは隣村の部落の灯りだから、この山を下れば川があるはずだ。

川まで行けば林道があり、村に帰れる。

崖を下り川に着き、真っ暗な林道を歩いて家に着いた時には、家の周りは大騒ぎになっていて、おやじにこっぴどく叱られた」

 

父達が見た隣村の部落の灯はこの家の灯りだったかもしれない。

この畑から正面の山を見て、

父と叔父はあの山の頂上近くから道もない崖を下り、さっき、私たちが渡った川まで下り、私たちが歩いて来た林道を通って村まで帰ったのだ。

その話をしている父に聞いた「川まで下りても道が分からなかったらどうしてた?」

「この辺りの川はみんな天竜川に注いでいる。いざとなれば天竜川まで川沿いに下ればいいと思っていた」と父は言った。

これは父が小学校3.4年の頃の話らしい。

それにしても、今だったら遭難だろう。

 

結局、叔父がばあさんに連れられて遊びに行っていた爺さんの妹の家が分からないので、

この家の人に道を聞いて行ってみることにした。

どうも、この道を下るみたいだ。

どこの家も、もう人は住んでいない。

 

一番奥の家の表札を見ると、遠い遠い親せきの家の名字が書かれていた。

崩れ落ちる寸前の家屋だが、おそらくここへまだ幼かった父と叔父が来て、

この庭でモンペを履いた松、竹、梅姉さんに遊んでもらったかと思うと、

誰もいない山の中の人のいない崩れそうな家に立つ怖さも忘れた瞬間だった。

父と叔父の記憶の映像が、私の中で文字から映像に変わった。

 

 

 

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ひとりごと(力強さの源)

2017-11-28 21:13:34 | ひとりごと

父は木彫を趣味にしている。

先日、何かの作品展に出品したら、非常に良い成績を収めたという事で表彰されたみたいだった。

その作品が不動明王と題したこの作品。

高さ70cmほどあるこの木彫は、丸太を掘って作ったものだった。

審査員の方々の評には

「91歳という高齢なのに、作品はエネルギッシュで見応えがある。丸い木を彫り出して、これだけの形を作り出すことは

とても苦労されたと思う。」

「・・・木を彫っていくというけっして楽ではない作業に向かって、表現していこうという意思は素晴らしいと思います。

こちらが背筋を正したくなる作品と出会う事ができました。」

「力強さ、優しさが感じられます。

何とも言えない生きる力を感じます。

作品への熱意と造形に作者の喜びを感じる」

など、様々な方々からのお褒めの言葉を頂き、表彰式の日の夕食時には照れくさそうに

「おれが年寄りだもんで褒めてくれたんだら。」

と言っていた父。

 

今年の夏、

父の足で約50分ほど登った山の中腹にある、山の寺の不動明王を見に行った。

大きな一枚岩に掘られた不動明王で、是非とも父に見せてあげたかった。

 

もちろん父は写真も撮らず、このわずか数分不動明王をじっと見つめただけだった。

作品が展覧会から帰ってきて見た時、この作品はこの時の不動明王だと初めて知った。

そして、多くの人に評して頂いた「力強さ」はきっとこの話を聞けば頷けるに違いないと思う。

 

もう一つの作品「豊穣」は米俵の上で鶏の親子が遊んでいるところだけれど、

私は「やさしさ」を感じる。

親の作品とはいえ、いい作品を見せてもらったという気持ちは審査員の方たちと何ら変わらない。

 

 

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ひとりごと(こどもの日)

2017-04-30 21:20:23 | ひとりごと

明日はもう5月。

端午の節句はもうすぐです。

家にある5月人形の一部と、鎧兜を飾ってみました。

昭和の物、大正時代の物、明治末期の物、

とくにこの一番小さな甲冑は感心するほど良くできている。

大きなものと並べてみても、存在感で引けをとらない。

明治末期から大正初期に作られたと思われる物のようです。

 

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ひとりごと(さくら)

2017-04-16 20:40:47 | ひとりごと

ここ数年、南信州の、ありとあらゆる桜の写真を撮ってきた。

特にここ南信州は一本桜が多い。

あちこちに立派な桜があり、

今や、どこに行ってもカメラマンがいて、

SNSやFacebookや雑誌に紹介されていて、

画像がグルグル回っている。

桜を撮るには青空でなくちゃダメ、とか、どの角度が一番きれいに見えるか、とか

この時間に行かなくちゃとか、

桜を愛でる純粋な心がなくなってきた。

 

父の生まれ故郷の家を壊す事になった。

過疎の集落で、もう人が住んでいない。

誰も住んでいなかった家なのに、いざ壊すとなると寂しいもので、

そんな日の来ることは、父が一番よく知っていた。

山の中の、

鹿やタヌキやイノシシが住人の様に歩き回っているこの土地が、

数年もすると雑木林に変わっていく事は、

言葉にこそ出さないまでも、誰もが感じていた事だった。

 

十数年前、

父が桜を植えたのは、

桜の根元に一つの石碑を立てたのは、

誰も行かない山の中でも、

1本の桜が生き続けてほしいと思う気持ちからだったと思う。

この地に人が生きたという証を、

残したかった。

それだけだと思った。

 

石碑には

「布る里の(ふるさとの) 峪のこだまに今もなほ 籠りてあらむ母が筬(おさ)の音」

「さと恋えば、見ゆる恵那山 霞む谷」

と、父と弟が詠んだ句が刻まれている。

山道を上って、上って、

家の跡地の近くまで行ったとき、満開のピンクの花が見えた。

満開に咲いた桜を見た時に、涙が出た。

忘れていた感情を思い出した。

 

どの桜も、

どの一本桜も、

どんな気持ちで植えられたのだろう。

どれほど長くその地を守り続けたのだろう。

忘れちゃだめだった。

 

 

 

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