熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

熨斗(のし)の話-3

2015-12-28 00:43:36 | 熨斗

大晦日の日

他界した義理の両親は、毎年、餅を搗いて数件の家へ差し上げていました。

お世話になった数件の家にそのお餅を持って行くのは私の役目だったのですが、

大きなお盆に乗せられた伸し餅の上に、白い紙を乗せ、

包装したあさりの缶詰に、義父によって達筆な毛筆で「なまぐさ」と書かれた白い紙を付けて、

そのお餅の上に乗せて持って行きました。

 

柳田國男は1875年(明治8年)~1962年(昭和37年)に生きた日本民俗学の開拓者ですが、

柳田國男の「のしの起源」の中に次のような文章があります。

 

「~略~それよりももっと根源に遡って尋ねて見るべき事は、どうして日本人がこのようにごく有りふれた物を遣り取りする事を悦び、 

それには又必ずある種の「なまぐさけ」を添える事を忘れなかったかという事である。

我々の食事は、常の日には何でも有合わせを以て間に合わせているが、一年のある決まった節の日だけは、

こしらえて食べるものが少なくとも地方毎に一様である。甲家で餅を搗く日は乙家でもきっと作って食べている。

それにも拘らず是だけは隣近所、近い縁者の家へ持って行かぬと義理が欠ける。

是を無意味なことだとこの頃は止めた者も少しはあるが、実はこのめでたい食物は、家に内の者ばかりで無く、

ひろく平生頼りにしている人々と共に分かち食して、目に見えぬ互いの身の連鎖関係を作ろうとしたらしいのである。

婚姻、誕生のような或る家限りの喜び事のあった場合に、多くそういう人たちを招いて、

家で作った色々の食物を一緒に食べてもらうのと、本来は全く同じ趣意であった。」

 

私は、両親が毎年続けてきたこの「ならわし」ー(お餅を搗いて伸した餅に、なまぐさと呼ばれる貝を添えてお世話になった人に

差し上げる)の真意が、柳田國男のこの文章を読んで初めて分かりました。

これは、贈答品に熨斗をかける以前から行われていた事だったのです。

この我が家の行事は、義母が亡くなるおよそ10年前まで、まさしく、平成の世になっても続けられていた事なのです。

 

時代が進み、この「なまぐさ」は「包み熨斗」へと変わってきたのですが、

 又、柳田國男はこうも述べています。

 

「長い間の習わしによって、今でも我々は熨斗を付けていないと、本当に物をもらったような気がしない。

熨斗を付けて来ぬ時には、付いているものとみてくれというような言葉を、是非とも添えないと気が済まぬ人々も

まだ多い。

ところが、これほど欠くべからざる(アワビ)熨斗というものを、付けてはならぬ場合が3つまでは確かにあるのである。

その一つは贈り物が魚鳥であるとき、二つには何か簡単な動物質の食糧、例えば鰹節などが添えられている時、

三つ目は、葬式法事などの精進の日、すなわちなまぐさい物を食べてはいけない日の贈り物である。

 

そして、次第に「熨斗」も吉事に使うアワビ熨斗、仏事に使う昆布熨斗として使われるようになり(熨斗の話ー2参照)、

共に贈り物の中身を問わずに、贈り主の「心」を象徴するシンボルとして変わって来たのです。

 

 矢野憲一著「鮑」の中では、このように書かれています。

「何度も書いたように本来は酒の肴に添えて持参した美味な熨斗アワビが、次第に精進と清浄を示す

めでたいシンボルと化し、神を招きもてなし、神々とともに喜びの集いをするめでたい飾りとなり、やがて

「包み熨斗」の装飾となった。そして極言すれば、贈り物の中身を問わず印刷した「のし」でも

それ自身が贈り物の心の象徴となって今日にも生き続けているのである。」

 

最後に「鮑」の著者、矢野憲一氏はこう結んでいる。

『「アワビ」を包んだ意味は不明になっても、めでたい日本の伝統はいつまでも残るであろう』と。

 

できれば日本古来からの伝統的習慣の意味が不明にならない様にするのも、

現代人の役目かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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熨斗(のし)の話-2

2015-12-23 22:23:32 | 熨斗

先日、ラジオの番組で

「おめでたい赤白の熨斗は見た事がありますが、黒白の熨斗っていうのはありませんからね。」

と言っている放送を聞きました。

 

実は黒白の熨斗もあるのです。

「熨斗の話ー1」で「のし」の起源はアワビであると書きましたが、

この黒白の「のし」の真ん中にある黒い部分(アワビの部分)は昆布が起源です。

「ものと人間の文化史62」 矢野憲一著「鮑」という本の中に、

「熨斗はアワビばかりではない、サザエ熨斗とか昆布熨斗、海たけ熨斗というのもある。アワビが第一だがその代用に用いたもので、

僧家では昆布を精進熨斗として使ったという」という一文があります。

そして、柳田國男集第14巻「のしの起源」の中には、

「~略~ 例えば昆布は遠い昔から取れたものである故に、するめや熨斗鮑と同列のものと考えられていたらしく、~略~すべて自由な又精進の拘束を解除する力を持つ食物だった」

と記されています。

 

お祝いやおめでたい日には酒と肴が振る舞われるのが当然で、今でも必ず刺身は出てきます。

そして、精進料理やお葬式などの料理には、肉や刺身が使われていない様に、

昔から不幸のあった時には、一切の「ナマグサ」を食べない風習があったのです。

このように、

吉事には「ナマグサ」が付き物で、不吉の時には「ナマグサ」は食べないという事で吉凶をはっきり区別していたのです。

 

古来から高級贈答品であり、貴重品として尊ばれていたアワビが「ナマグサ」の代表であり、

この「ナマグサ」を使えない時、アワビと同等に尊ばれてきた昆布が代用品に使われたのです。

 

その為

吉事に使われる贈答品にはアワビを起源に持つ熨斗、(紅白など)

仏事に使われる贈答品には昆布を起源に持つ熨斗(黒白・オリブ)が用いられています。

 

資料

≪「ものと人間の文化史62」 矢野憲一著「鮑」≫

≪柳田國男集第14巻「のしの起源」≫

 

 

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ひとりごと(氏神様)

2015-12-20 20:34:16 | ひとりごと

父の生まれ育った家は山の中で、

部落の住民は次第に山から下り、今は草に埋もれた空き家が数件。

たまに行って手入れをしても、勢いのいい草木や野生動物には勝てず、

時と共に廃虚となってしまうのも仕方がないと思ってはみても、

やはり寂しさは残り・・・・そんな事を考えていたからか、

小さな山の部落の氏神様のお祭りの夢をみた。

数件の部落のおじいちゃんやおばあちゃんがこんにゃくやシイタケの煮物を重箱に入れて持ち寄って、

氏神様の前でお酒を飲んで、一年に一回お祭りをした。

天気の良い日曜日、

父の実家の氏神様の「高鳥谷様(たかどやさま)」まで行ってみようと90歳の父を誘った。

小さな車がようやく通れるほどの林道を進むと、太い倒木に道を遮られ、

車を降りて歩き始める。

「この山は本家の山だぞ」と父。

この山でいとこやおじいちゃんとキノコを採った事を思い出した。

この山からこんなにきれいに中央アルプスが見える場所があるなんて知らなかったな。

誰も住まない山の中の中、鳥居をくぐって東を見ると、

伊那山地が目の前に見える。

正面の山が障子山、その向こうが大西山、視界の一番右端は鬼面山。

36災害で大西山が崩れ大鹿村の道が通れなかった時、

大鹿村からこの大西山を越えて豊丘村に入った記録があったから、きっとこの辺りを通ったのかもしれない。

 

小さな神社のこの場所で、

掌を皿代わり煮物を取りながら、10人そこそこで重箱を回し、

酒を酌み交わすと、笑い声が山に響く。

そんな時代を見ていた氏神様に、お饅頭を備え、

帽子を取って手を合わせた父。

氏神様のお祭りを愉しみに、

山の中で遊んでいた少年だったのかもしれない。

 

高鳥谷様から戻り、西側から伊那山地を見ると

 

雪を被った南アルプスの小河内岳と悪沢岳の間に大西山があり、

おそらくその手前に障子山。

ほんとにほんとに

家があるとは思えないほどの山の中だった。

 

 

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高烏谷山(1331m)

2015-12-19 23:43:07 | 

12月の終わりとは思えないほどの暖かさと真っ青な空。

アルプスには真っ白な雪。

こんな日は、ちょっと高い所から雪を被ったアルプスが見たくなります。

伊那市と駒ヶ根市の境にある高烏谷山(たかずや山) 

1331m-登山口から1時間とちょっとで伊那谷が見渡せる展望のいい山です。

 

高烏谷神社の脇から、朝日が眩しい登山道に入ります。

約1時間で山頂。

 

山頂から南側を見ると、正面に恵那山、飯田のシンボル風越山(かざこしやま)も見え、

駒ヶ根から南の市町村がすっぽりと視界に入ります。

山頂には高烏谷神社が祀られ、眼下には駒ヶ根、伊那市。

     

正面に中央アルプス、東側には南アルプス、中心に天竜川。

「これが伊那谷です」っていう風景です。

中央アルプスは雲の中であまり見えなかったけれど、

たった10分、この風景を見ただけでも、気持ちが変わる。

一昨年の同じ時期に登った時は雪の中だったな・・と思いながら、10時半には下山。

  

今日は1日、真っ青な空でした。

 

 

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熨斗(のし)の話-1

2015-12-13 18:42:30 | 熨斗

最近、小さな熨斗紙の依頼が少しずつ増えていて、熨斗についての問い合わせも多いので、

今日は少し熨斗について書こうと思います。

既成の熨斗紙はサイズが決まっています。

小さな箱や、横に広かったり、縦に長かったり・・・の箱にはサイズに合う既成の熨斗紙が合わない場合があります。

弊社に最近注文のあった小さいサイズの熨斗紙の見本です。

一番小さい箱のサイズは6×6×6cm や  4.5×10×2cm など 手の中に納まるくらいの大きさでした。

和紙と一番小さな5分熨斗を使って、箱の大きさに合わせて一枚一枚造るのですが、

ご結婚のお祝いや内祝いの品が多く、皆さんに喜んで頂いています。(一枚50円)

ところで、熨斗って何?

知っているようでほんとは良く知らない??

時々「熨斗を下さい!!」って言われてよくよく聞いてみると「熨斗紙」の事だったり、「のし袋」の事だったりするのですが、

熨斗とはお祝い事に使うのし袋の右上に付いている・・・・・

そう、この赤白の・・・これが「熨斗」で、熨斗と水引は一緒に使われることが多いのですが、

必ずしも一緒でなければいけない訳ではありません。

 

では、「熨斗の役割」って?

熨斗がなぜ進物に添えられるようになったのか?

これは、ちょっと長くなるので、次回に書く事にして・・・、

・・・いつしか、進物に添えられる熨斗は、「清浄の象徴」という意味を持つようになりました。

熨斗を添えたものは害意、逆心を持たない、心からの贈り物である。という意味です。

 

熨斗の古形は「のしあわび」です。

あわび貝の身肉を伸して乾かしたもので、この「伸す」又は「延す」から「のし」に

変わってきたものです。

これが、一般に「熨斗」とよばれる進物に添える真心のしるしとしての熨斗の古形です。

 

最も一般的なのし袋についている熨斗(上の写真)と、このアワビを伸して乾かしたものとは

形が全く違う!!と思われると思うのですが、

実は「熨斗」とはこの赤白の紙の真ん中に入っている黄色っぽい芯の部分の事なのです。

なので、実は熨斗の種類と言うのは数えきれないほどたくさんあって、

共通している部分は、真ん中に黄色っぽい芯があるという事だけなのです。

この「芯」がアワビの部分だからです。

 

日本古来からの紙の折り方で、このアワビを包んでみると

簡略化された今の熨斗の形に近くなってきます。

 

和紙でいろいろ作ってみました。

この形は、熨斗袋に良く使われている熨斗の折り方です。

和紙と紅紙を両表に重ねて作ります。

ちょっと人にあげてしまうのが、惜しくなってしまうほどきれいな熨斗ができました。

折り方を図にしてみました。

ちょっときれいな紙があったら、正方形に切って(写真の熨斗は6cm×6cm)

オリジナルの熨斗を作って、

大事な贈り物に添えてみると、

言葉では伝えられない気持ちが伝わりそうな気がします。

 

ちなみに、最初にお話した小さな熨斗紙に使った五分豆熨斗は、下の写真の一番小さな熨斗です。

 

 

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