熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

初島

2019-12-16 19:53:42 | 旅行

父が94歳になり、母が91歳になり、-ー11月の初め二人を連れて熱海に行った。

熱海の温泉に一泊した次の日、熱海港から初島に向かった。

初島を知ったのは多分あるテレビの旅番組だったか?

熱海から30分で行ける島だというので、高齢者でも船疲れしない距離かもしれないとテレビを見ながら思っていた。

熱海港からフェリーに乗り、遠ざかる熱海の街に見送られ、四方を見渡すと初島が迫っている。

 

前知識では

①同じ形の建物の、漁師さんたちがやっている食堂街がある事

ーあった!

②初島からは富士山が見える事

ーこの日は天気はいいのに富士山は見えない。

「どこにみえるんだか???」

③島の周囲は4kmで周遊道がある事

ー予約した民宿からすぐの所にあった「飲み物自動販売機センター」には2台の自販機があり、

イカのトイレが可愛かった。

   

静かな海沿いの道から標高50mの高台に向かうと、海の安全を守る小さな灯台があった。

  

④大きく分けて島の人たちが住む地域とリゾートホテルの区域がある事

ー島の人々の家は肩を寄せ合うように北側に建てられていて、優しい民宿の方の話によると、島のこの方向、この場所は津波や雨風の被害が少ないらしく、

初島を訪れた数日前の台風19号でも15号でも被害はなかったという話だった。

山国は山国で、島は島で、生きるための知恵というのはすごいなぁと思う事が多い。

リゾートホテルの庭では夜になるとイルミネーションがきれいだった。

島のどこからでも星もきれいだった!!!

 

朝になり、もう一度散歩に出かけた。

昨日賑やかだった食堂街もまだ寝ざめておらず、うっすらと東の空が明るくなって来て、

 

東の空から日が昇った。

朝が来るのが早いなぁ~と思ったのは、当然、海から昇る日の出と、3000mの南アルプスから昇る日の出の時間が違うからだけど、

山の谷間からはやっぱり空も狭く、日照時間は短いし、

里山の細い道など夕方4時にもなると真っ暗になり、

こんな日の出を見ると、海は広いなぁ~、空は広いなぁ~、海から太陽が昇るんだ!と当たり前の事にも感動したりする。

海が朝日に輝いた。

その中を、前日の夕方沖に向かったと同じような小さな舟が初島港へ向かって行くのを目で追うと、

熱海の街の上に真っ白な雪を被った大きな富士山が見えた。

「初島からの富士山はすごいなぁ」

富士山が見えたのに感動して民宿に戻り、父を朝の散歩に連れ出した。

先ほどの舟が捕って来た魚を上げている所だった。

捕れたてのこれらの魚が昼には食堂の料理になるー新鮮過ぎる。

「これは何て言う魚かな?」興味津々に父が聞く。

 

父と一緒に島をゆっくり一回りして、帰りの時間になった。

初めての場所での一時一時が大切な時間。 

初島からの富士山も見納めで、ちょっと寂しい。

又いつか見れる日があるのだろうか?

 

 

 

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法華道-3(御所平峠~沢入り登山口)

2019-12-06 00:28:20 | 

市道黒河内線に下り南に200mほど歩くと、

 

右手に大きな看板のある法華道入り口があった。

本当は御所平を経てここへ下りて来るはずだった。

入り口から100mほど上ると

御所平峠があり、お地蔵さまと御所平峠の碑。矢印には高座岩の案内が・・。

 

 

ここは三ツ辻になっていて、芝平の方へ(御所平)下る道と高座岩方面に分かれる。

ここから高座岩へはいい道が続いていた。

高座岩とは、法華道を通った日朝上人がこの上で題目を唱えた岩だそうで、

   

高見岩を過ぎ、しばらく歩くと

 

高座岩という看板が目に入る。

 

日朝上人がここで説法をしたという岩は見晴らしのいい高処にあり、眼下に歩き始めた山室川の谷も見え、正面には経ヶ岳、中央アルプス、御岳山などが見えた。

 

 

高座岩を右手に見てきれいな遊歩道がまっすぐに続いているが、この道は長谷の鹿嶺高原まで続く「鹿嶺高原トレッキングコース」で、鹿嶺高原までは13km 8時間ほどかかる。

伊那高遠の芝平、又は荊口から登って来た法華道は御所平峠を越えると一旦下り、

又入笠山に向かって登り始め、大阿原湿原を源流とするテイ沢沿いに大阿原湿原に出る。

このテイ沢付近は原生林のような手付かずの自然が残っていて、苔の生えている岩も多い。

大阿原湿原は入笠山の南に位置し、湿原の中を散策できるよう木道があるが木々は少ない。

大阿原湿原の前を通って入笠湿原の方に進むと標高1850mの佛平峠に着く。

(ここからは20分ほどで入笠山山頂に行ける。)

法華道はこの後、入笠湿原を通って(写真は2019年7月撮影)

 

沢入り登山口からの登山道へ抜けている。

ここは既に富士見側で、登山道の途中に時々法華道の看板が立っている。

 

 カモシカも心配してみていた。

 そして沢入り登山口へ。

富士見町まで来ると山梨はぐっと近くなる。

 

入笠湿原は6月終わりには日本スズランや釜無ホテイアツモリソウ、クリンソウや、

 

 

珍しいキバナアツモリソウなどが見られ、四季を通して楽しめる入笠山だけれど、花の時期は一番いいと思う。

 

高遠町の芝平を出発して、入笠湿原を経て、富士見町の沢入り登山口まで、

歩いて8時間くらいか。

リニアが走るこの時代なのだけれど、

時々峠を越えて歩いてみたいなぁ・・と思う。

 

 

 

 

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法華道-2(芝平~入笠牧場)

2019-12-04 01:04:38 | 

数日後、友人ら3人で法華道を歩いてみることにした。

芝平(しびら)の入り口から入り(8:37)マンドーを過ぎると(8:42)

 

法華道 御所平・入笠山に至る・・・という立札があり、細いロープを潜って歩き始めた。(8:49)

 

法華道は元々法華経の布教のため開かれた道と伝えられているけれど、

山菜やキノコ採り、山仕事や炭焼きなど、山で暮らす芝平の人々の生活道でもあり、

(今は何もない山の中ではあるけれど)昔は村の人達が頻繁に利用し、地名として呼ばれていた事は生活していた証で、

その場所には立札が立てられていた。

 

地名 龍立場 (古くは猟師のことをなまって龍師と呼んだ。その龍師が狩りをするためここに立ったため

龍立場と呼んでいる)(9:18)

 

 薄暗い林の中だけれど、立札の脇を細い道が続いている。

 

地名 爺婆の石(昔より現在まで旅人はこの自然石を守り神として通行の度に小さな小石など供え通行安全祈願をした)(9:55)

 

木の間を縫うように細い道はまだ続いている。

 

地名 厩の平(武田の一軍が高遠城攻略のため、ここに馬を休め、時を待っていたとされる平。

後に馬具、槍など出土したとされる)(9:58)

 

厩の平を過ぎるとしばらく人工的に作られたしっかりした道が残っていて、

この道を宗良親王御一行や武田軍が馬に乗って行き来したり、僧侶が布教の為に修行の様に歩き、そして村人が生活道としてキノコを採ったり、猟をしたりしていたかと思うと、

驚きと何に対してか分からないけれど感動を覚える。

 

 地名 ハバキアテ (上人や旅人はこの平らで錫杖を置き、ハバキをあて直し、休息した場所。)

(10:10)

 

この辺りまでは道を見失うことはなかったが・・、

 

お助け小屋と呼ばれる サンショウゴヤ 跡(10:16)

この辺から微妙に道が分からなくなり、獣道なのか法華道なのか・・・?

(10:48)

頼りはこの赤い法華道という木に付けられた札だけれど、それほど多くはなく、人の道と同じくらいしっかりした獣道が縦横に走っている場所もある。

見落とすと四方木々に囲まれた深い森の中で道を失うことになるので、行動には十分な時間や、万一の安全のため懐中電灯などは里山歩きの必需品と実感する。

  

時々、獣道に騙されながらもようやく御所ヶ池、御所平に近づいてきた感じはしたのだけれど・・・ 

 

御所ヶ池に・・の看板 (11:09)

御所ヶ池の看板までは行けたものの、3人で付近をあちらこちらを探してみても御所ヶ池は見つからず、

どうも御所平まで行ける時間もなさそうなので、この日は水場を経て、荊口の登山口に下山した。

 

 

 

しかし・・どうしても御所ヶ池を見たかったので、秋にもう一度‥いや二度、この辺りを散策し、

春から数えて三度目でようやく秋色になった御所ヶ池に辿り着いた。

御所ヶ池に・・の看板からは細い道が続いているのだけれど・・次第に道がなくなり林の中に入る・・

   

けど、もう少し頑張って進むと池があった!!

周りには看板などもなく、GPSで位置を確認して戻らないと道に迷うこともある・・というか、道がない所もある。

実際、この3回目はほとんどGPSで現在位置を確認しながら池を探し、御所平まで辿り着いた感じだった。

それでも、この御所ヶ池、宗良親王を隠れ住まわせるために村人が作った池だと言われているだけに、どうしても見たかった。

こんな山の中でも今も水を湛えている。

ここなら確かに身を隠せるかも・・と思うほどに、道に迷う。

 

秋も深まり、日も短くなったので急がなくては・・。

御所ヶ池を見た後、入笠山近道という矢印に沿って入笠山まで行ってみようという事になり登り始めた。

 

近道だけに急登が続き、登り切った辺りに御所平があった。

地名 御所平

宗良親王 甲州白須にて戦いに破れ、蔦木より佛平峠を越え、ここに一時身を潜めていた親王の仮住まいの跡と言われている。

・・・・と書かれている。

 

それにしても、弘妙寺の檀家衆や芝平の人たちが荊口や芝平の集落からこの御所平まで食事を運び、御所ヶ池で水を汲んでこの平らまで上って来るのは大変なことだったろうと思う。

大鹿村の大河原にある御所平も、最終集落から歩いて1時間半ほどある南アルプスの麓にあり、時の大河原城主、香坂高宗とその家臣によって朝晩の食事を運び、

宗良親王を匿い守ったという話を大鹿村で聞いた。

御所平を過ぎ、御所平峠まではすぐだったはずだけれど、ここも道に迷ったのか入笠牧場の脇に出た。

入笠山山頂まですぐの所まで来ていた。

 

 

 

 

 

 

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法華道-1(高遠町)

2019-12-02 11:22:39 | 

伊那市高遠町から入笠山に至る法華道(ほっけみち)という古道がある事を知ったのは昨年の事だったと思う。

法華道は入笠山に至る道ではなく、甲斐の国と信州高遠を最短(全長22km)で結ぶ道で、富士見町から入笠山東斜面を登って大阿原湿原ー仏平峠ー荊口ー山室(一説には 御所平峠ー芝平ー荊口ー山室)を通って非持に至る道と説明されている。

法華道とは日蓮宗を広める為に、甲斐の国、身延山の僧侶が通った道だった。

日蓮宗は鎌倉時代はじめに日蓮上人が開いた仏教宗派で、法華経の教えを説く法華宗と言われる。

日蓮上人は甲斐の国身延山に入り、没後、総本山となった身延山久遠寺からは多くの僧侶が諸国へ布教に出た。

伊那市高遠町の山室川周辺は早くから日蓮宗が普及した地域と言われている。

この古道ー法華道は、芝平集落出身の有志の方が故郷への強い思いから10年余の年月をかけ復興されたことを知り、尚更歩いてみたくなった。

山室川沿いには法華経伝来を偲ばせる古刹があり、まず弘妙寺を訪ねてみた。

 

日蓮宗の寺として800年の歴史を持つ弘妙寺はもともと真言宗だったが、身延山から日学上人が巡錫して日蓮宗に改めたと書かれている。

この弘妙寺にある説明板には「宗良親王」についても記されている。

「親王は後醍醐天皇と共に元弘の変、建武中興に破れ信濃(現在の高遠町荊口)に逃れ、寺に助けを求む。時の住職は親王の一行を隠い、山の中腹(法華道の道筋)に道筋の平らな処に住を建て池を掘り住めるようにした。この処をを御所平、御所が池という。」

南北朝時代、宗良親王(1385年没と記されている)が下伊那郡大河原(現 大鹿村)に居を構えていたことは大鹿村を歩いて知る事ができたのだが、大河原から分杭峠を通り、高遠に至り、この法華道道筋付近を通り甲斐の国に抜けて関東武士と連絡を取りながら、戦いの時が来るのを待っていたと言われている。

弘妙寺を訪ねてお話を聞くと、檀家衆が池を掘り朝晩の食事を届け宗良親王を匿った、と代々言い伝えられ、私たちも聞いていると話されました。

 

弘妙寺境内には宗良親王の碑と歌人宗良親王が詠んだ「我を世に ありやととはは 信濃なる いなとこたへよ 峯の松風」という句がある。

宗良親王は幾つもの歌を詠まれているけれど、いな=伊那と言うのはこの高遠の事なのだと頷ける句だと思う。

それ故、法華道を歩く事は、この甲州と信濃を結ぶ古道付近に残る「宗良親王」の足跡も訪ねる事となりそうだと思うと心弾む。

 

弘妙寺から歩けば一時間くらいかかるのか、山室川に沿って上流に進むと、昭和36年の三六災害によって歴史を閉じた芝平(しびら)地区に至る。

数軒の家と分校跡があり、

約800年の歴史を閉じて廃校になった分校跡には、集落の記念碑が建てられていた。

 

透き通った山室川沿いにはクリンソウが咲いていて

傍らには石仏などもあり、人の住んだ歴史を感ずる川沿いの道をもう少し上流に進むと、

 

法華道、入笠山入り口という看板に辿り着いた。

 

とりあえず、一回目は法華道入り口の確認をして、少しだけ山への道を進んでみた。

法華道を入るとすぐ第一の看板があり、 

地名 万灯(マンド―) 天文14年4月

武田の一軍が高遠城を攻める折、この道を万灯を燃やしながら下った。

その情景を先人が見て、この場所をマンドーと呼んだと書かれていた。

 

この信州高遠から甲州に至る道には、法華経伝来の歴史のみならず、甲州・武田軍の信州侵略の歴史や、

古くは宗良親王の生きた南北朝時代の歴史も垣間見ることができると思うとちょっとわくわくするのだが、

山道はそれほど甘くはなかった。

法華道を一歩入っただけで、ここは一人では歩いてはいけない道だと感じる。

深い里山には獣がいたり、獣道に迷ったり、太陽の光の届かない所もある。

法華道は後日友人と一緒に歩こうと思い、一回目を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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