前回、雨のため途中で帰らざるを得なかったので、鹿塩地区二度目のウォーキングです。
里にはこいのぼりがたなびいています。
こいのぼりは山村で泳ぐ姿が一番のびのびしていると思う。
黒部銑次郎の墓がありました。(大鹿村を歩いてみたら・・①参照)
徳島藩生まれの黒部銑次郎は、この地に岩塩を求めて同郷の工藤欣八らと共に採掘を始め、その後の生涯をこの地で過ごしました。
夢は果たせず故郷から遠く離れたこの地で没し、二人並んで静かな森の中で眠っていました。
そこから中峯集落までは、てくてくてくてく、けっこう上り・・汗だく。
途中で数台の車が通り「乗って行きますか?」と声を掛けてくれるから、
こんな時、ホントに人は優しい、と思う。
人の気配にヤギも振り向き、そして見送ってくれました。
それだけでも嬉しい。。
木の枝に吊られたブランコ。
小さい頃の思い出の中に同じものを見つけ、ふと暖かい気持ちになりました。
手作りのおもちゃや木登りで遊び、
半世紀前には庭にこんなブランコのある家をよく見かけたな。
歩き疲れて真っ白な頭の中にセピア色の写真が一枚。
次に見つけたのは折草地蔵。
巨岩の裂け目に祭られている石の地蔵尊。
昔から村人は、この前を通るとき葉の繁った枝を挿して拝んだ...と大鹿村のウォーキングガイドには書かれていました。。
山道にはいろんな所に地蔵尊が祀られているます。
今、車社会になってその心を忘れてしまいそうだけれど、
一人、歩いてみると昔の人の心に少し近づける気がします。
山道の安全を守ってくださいと、気持ちは自然に言葉となる。
木々に囲まれた葦原神社
葦原神社は建御名方命が諏訪に入る前に鎮座した所と伝えられている・・と説明されているけれど、
建御名方命(たてみなかたのみこと)って誰?
調べてみると出雲の国の大国主命(おおくにぬしのみこと)の
長男は事代主命(ことしろぬしのみこと)二男が建御名方命(たてみなかたのみこと)とある。
日本最古の書物である古事記の国譲り神話にも建御名方命が信濃に逃れたという記もあり、
大鹿村の歴史の深さを証明する神社である事は間違いない。
前回、雨の中撤退した沢井集落に到着。
この日は天気も良く大急ぎで塩の里まで下る。
樽本の滝も眩しい。
天気が良かったので、大西公園に行ってみました。
36災害で大西山が崩落し多くの命が奪われました。
慰霊碑には日夏耿之介の字で「自我作古」と書かれています。(我より古をなす)
困難を乗り越える願いが込められていると説明がありました。
大西山から正面に見える赤石岳
次回は赤石岳により近い大河原地区を歩いてみよう。