熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

大鹿村を歩いてみたら・・・②

2018-05-28 01:12:15 | 風景

前回、雨のため途中で帰らざるを得なかったので、鹿塩地区二度目のウォーキングです。

 

里にはこいのぼりがたなびいています。 

こいのぼりは山村で泳ぐ姿が一番のびのびしていると思う。

  

黒部銑次郎の墓がありました。(大鹿村を歩いてみたら・・①参照)

徳島藩生まれの黒部銑次郎は、この地に岩塩を求めて同郷の工藤欣八らと共に採掘を始め、その後の生涯をこの地で過ごしました。

夢は果たせず故郷から遠く離れたこの地で没し、二人並んで静かな森の中で眠っていました。

そこから中峯集落までは、てくてくてくてく、けっこう上り・・汗だく。

途中で数台の車が通り「乗って行きますか?」と声を掛けてくれるから、

こんな時、ホントに人は優しい、と思う。

人の気配にヤギも振り向き、そして見送ってくれました。

それだけでも嬉しい。。

    

 

木の枝に吊られたブランコ。

小さい頃の思い出の中に同じものを見つけ、ふと暖かい気持ちになりました。

手作りのおもちゃや木登りで遊び、

半世紀前には庭にこんなブランコのある家をよく見かけたな。

 

歩き疲れて真っ白な頭の中にセピア色の写真が一枚。

 

次に見つけたのは折草地蔵。

巨岩の裂け目に祭られている石の地蔵尊。

昔から村人は、この前を通るとき葉の繁った枝を挿して拝んだ...と大鹿村のウォーキングガイドには書かれていました。。

 

山道にはいろんな所に地蔵尊が祀られているます。

今、車社会になってその心を忘れてしまいそうだけれど、

一人、歩いてみると昔の人の心に少し近づける気がします。

山道の安全を守ってくださいと、気持ちは自然に言葉となる。

 

木々に囲まれた葦原神社

葦原神社は建御名方命が諏訪に入る前に鎮座した所と伝えられている・・と説明されているけれど、

建御名方命(たてみなかたのみこと)って誰?

調べてみると出雲の国の大国主命(おおくにぬしのみこと)の

長男は事代主命(ことしろぬしのみこと)二男が建御名方命(たてみなかたのみこと)とある。

日本最古の書物である古事記の国譲り神話にも建御名方命が信濃に逃れたという記もあり、

大鹿村の歴史の深さを証明する神社である事は間違いない。

 

前回、雨の中撤退した沢井集落に到着。

 

この日は天気も良く大急ぎで塩の里まで下る。

 

樽本の滝も眩しい。

 

天気が良かったので、大西公園に行ってみました。

36災害で大西山が崩落し多くの命が奪われました。

 

慰霊碑には日夏耿之介の字で「自我作古」と書かれています。(我より古をなす)

困難を乗り越える願いが込められていると説明がありました。

 

大西山から正面に見える赤石岳

次回は赤石岳により近い大河原地区を歩いてみよう。

 

 

 

 

 

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大鹿村を歩いてみたら・・・①

2018-05-21 22:20:28 | 風景

雨の日曜日、大鹿村を歩いてみました。

この日歩いたのは鹿塩地区。

名前から察しても「塩と鹿」は関係ありそうな里・・楽しみです。

塩の里から出発です。

鹿塩温泉の近くー桜や花桃の花が終わって、緑一色の塩川沿いの道を上ります。

 

歩いて数分「黒部の洞窟」がありました。

洞窟の横にある説明には(略)

「日本には岩塩はないと言われているが、明治初期、黒部銑次郎はこの伊那山中に塩水が出る事を聞き

この地での岩塩の掘削に生涯を捧げた。

結局、岩塩が見つかる事はなかったが、この事業は今も塩水を使った温泉や山塩作りに名残を留めている」

まぼろしの岩塩を求め続けた男の夢の跡・・の洞窟でした。

塩川の水は色が薄いブルーできれいですね・・と、村の人に話しかけると、

下の石の色が透けて見えるからこの色に見えるのだよ。と教えてくれました。

 

空気まで緑色ではないかと思えるほどの緑の中を歩くと、

「樽本の滝」の看板があり、細い遊歩道を下ってみました。

 

鹿の頭蓋骨?? 

その先に形のいい滝があり、マイナスイオンが気持ちがいい。

 

「今より800年前一の谷で敗れた平家一門の落ち武者が隠れ住んだが、塩不足に困っていた。

ある時、弘法大師が夢枕に現れ、傍らの岩の影を指さし掘るように示した場所から塩の泉が沸きだしたー

という伝説がある。いずれにしても海から遠いこの山中で海からの塩を求める事は難しく、

この塩水がこの地に住む人々にとって欠くべからざる物だった事は言うまでもない。」

 

と、言った趣旨の説明と、

ダム建設の折、塩水が湧き出したので利用できるようにした・・・。

と書いてあったけれど、今はこの塩釜から塩水は出てこなかった。

けれど、いかにこの地が塩と共に歴史を刻んできたかが良く分かる

・・・と思いながら歩いている足元に今度は何の頭蓋骨?

イノシシかな?  

普通の木の枝のように転がっているけど、動物と共存してるのもよくわかる。

上って、上って、沢井地区。

ずい分高い所まで来ました。

  

こんなに高い場所にも集落があり、少しの平を耕して畑を作り、

車のない時代にはこうして一歩一歩歩き続けて、時を繋いで来たのだと思うと、

人の力の大きさを感じる。

昔懐かしい半鐘。

そして見上げると学校の跡?

ここまで来たら雨が大降りになって、歩くのも困難になって来ました。

偶然通りかかった(ほとんど車は通らない)村の親切な人に車に乗せてもらって、

歩き始めた塩の里へ到着。

ほんとにありがとうございました。

村の人たちは優しいといつも思う。

 

 

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北八ヶ岳ー北横岳と縞枯山

2018-05-16 12:42:34 | 

GW最終日、

冬の間のトレーニング不足解消と体力作りのために今年初の八ヶ岳に行きました。

ロープーウエイで坪庭まで行くとは言え、本格的な山に登るのはそれなりの装備や心構えが必要です。

 

途中、一緒に歩いた方も「春先の足慣らしにはこのコースが一番。冬の間山に登っていないから、

少しずつ夏に備えて体を整えて行かなくては・・」と言って北横岳に向かっていました。

北横岳ヒュッテから上にはまだ残雪があり、

安全のため持って行ったアイゼンを付けての登山になりました。

上りは何とかアイゼンなしで行けても、下りが少し危険。やっぱり持って来て良かった・・・!

 

山頂には雪がなく、八ヶ岳の南部や蓼科山、向こうには残雪の残る北アルプスが見えます。

 

やっぱりいいなぁ。。山は。

歩きながらいろんなことを考える・・冬の出来事、昨年登った山の事、昨日の出来事、明日の事。

   

青い空と澄んだ空気と、流れる汗と、人の優しさに触れて、少しずつ自分の心が自然に還る。

ホントに単純な事だけど、山ではみんなニコニコ笑って知らない人に「こんにちは」って言えるのは何故だろう。

何だかみんな友達のように思えるのは何故だろう。

まだ少し時間に余裕があったので、もう一度坪庭に戻り、縞枯山に行ってみる事にしました、

 

山の上はまだ新緑には程遠く、

日陰の斜面の登山道はずっと雪に覆われていました。

 

雪上は思ったよりも時間がかかり、茶臼山まで行かずに下山。

それでも、久しぶりに雪を見てちょっとわくわくー冬の名残が懐かしい。

 

こうやって一年、一年、

冬から春を過ぎ、また夏になり、そして秋が来て冬になる。

一年、一年、

自然にとっては変わらない四季の繰り返しでも、人は・・

一年、一年 年をとる。

今日の自分は昨日の自分ではなく、今年の自分は昨年の自分ではなく、

昨年登れたはずの山が今年も登れるとは限らず、

だから、毎日が一生懸命でなくては、昨年と同じことはできないと、

いつも山は教えてくれる。

 

 

 

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